オレたちのバレンタインデー
問題児は黄ばんだ歯をにっと剥き出した。
【そいつが発端なのだよ。オレたちも手を焼いている。先生、力を貸してくれないか】
問題児にけしかけられたことを実行するのはいい気分ではない。しかしそれであの馬鹿げた、生徒に無駄な苦労をさせる宣言を揉み消し、あわよくば本部を潰せる可能性があるのならば、当たってみる価値がなくもない。
【本人に聞いてみよう】
私はゆっくり大きくそう書いた。
「えー、ではこの定理を応用し、P64の(1)をI、解いてくれたまえ」
黒板に黄のチョークで定理を書き終えた直後に指名すると、最前列の分厚い眼鏡とキノコヘアー(他に言い表しようがなくこう呼んでいる)の学ランが、すぐさま低くどもった声で答えた。
「-1/5+51i」
正解。この私でさえも学生時代は理解のままならなかった定理を、すぐに使いこなせてしまう彼の脳内メカニズムはよく分からない。
ちょうど一秒後、チャイムが鳴り響いた。日直の号令で、県下一進度が速いと言われる私の数?の授業は終わった。
生徒たちがげっそりした顔で近くの級友と話し始め、騒々しい話し声が溢れる中、Iは机に突っ伏して誰とも話さず、また誰もIと話そうとしない。
私はしばらく授業の道具を片付けるふりをしてIを観察していたが、やがて意を決しその頭を軽く叩いた。
「I君」
キノコヘアーが流麗に揺れ、Iの不機嫌そうな、腫れぼったい唇の目立つ顔が上がった。
「キミは生徒会本部の副会長か?」
遥として知れない暗い眼鏡の奥が、ちらりと光ったように思えた。
「……何をおっしゃりたいのですか」
黙ってその眼を見つめると、暗黒にじわじわと侵食されるような心持ちがし、慌てて視線を落とした。ボールペン書きの整然とした文字の並ぶノートが目に入る。
「キミが例の会報を書いたのではないかと、専らの噂だよ」
Iは即答した。
「何かの間違いでは? 俺には本部などで他人の面倒をみる暇も、幸福を羨んでいる暇もありませんよ」
あまりにもきっぱりした答えに、少々気圧されてしまった。依然眼鏡の奥は窺い知れないが、彼の両目が限りなく私への不信と失望に占められているような気がしてならない。
「すまなかった。つまらないガセネタだったようだ」
精一杯笑って軽く頭を下げ、背を向けると、憤りを隠せない声が背後から飛んできた。
作品名:オレたちのバレンタインデー 作家名:貴志イズミ