世界はひとつの音を奪った
「でも。よかったんだよそれで。」
僕が胸元から離れると、彼女はあどけなく笑った。
サトル君はカウンターチェアに胡坐をかくように座っている。
覗く白い足。
情けないことに、見慣れてしまった僕はそこにエロスを感じない。
彼女は常に自然体なのだ。
彼女の名はサトル。
これも本名とは異なる。
といっても、僕が彼女の名前を読み替えてあだ名にしただけのことだ。
彼女は気に入っているようだが。
目鼻立ちのはっきりした、少々幼さの残る明るい表情。
アイライナーなしでこの目のハッキリパッチリ感はすごいんじゃないだろうか?
「…じゃぁ、君の方はよくなかったって事になる…。」
僕は不貞腐れるように肘をつく。
その言葉に、彼女はキョトンとしてから、ニヒヒと笑った。
「そうなんだろうね。」
隠す気がないのでさっさと説明しよう。
壱弥君と同じような表情をしていたのは彼女だ。
街中で、死んだようにボーっとしていた。
僕はそのときも、今日と同じように声をかけてしまった。
そして、今日とは違ってそのまま拾ってしまったのだった…。
「拾われたかったのかな…その子。」
「やめておくれよ。もう拾わないって決めてるんだから。」
「でも僕は嬉しかったよ?」
「わかってる。…分かるよ。僕だって拾われたんだから。」
「…そうだね。」
僕はグラスに映る自分の滑稽さに目をつぶった。
作品名:世界はひとつの音を奪った 作家名:黒春 和