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Future Star

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その日は、私が16歳になってすぐ、やってきた。
結局、私の予感通り、鈴音さんとはお互い、あの話題を再び出すことがないまま、今日を迎えてしまった。
お互い口論するよりは、ただでさえ一緒に過ごせる僅かな時間で、することが他にあると判断した結果だった。
判断を先送りにした、という方が正しいのかもしれない。
どっちにしても、私は何も決断することが出来なかったということ。
どうしようもなく落ち着かない気持ちを振り切るように、鞄に必要最小限の荷物を入れる。
おそらく今日、あの家に行けば、二度とは戻って来れない。
もし、戻ってきたとしても、それはレア・スチュアートとしてではない。
その代わり、スチュアート家の家系図には役目を果たしたスチュアートの子孫として、名前は残る。
なんて矛盾したことでしょう、と嘆きたくなった。
宝物の日記帳と砂時計。
スチュアート家に伝わるタロットカード。
鈴音さんはこれを持っていた私を見て、おまえには才能があると言って占いを教えてくれた。
今から思えば、それがきっかけだったのかもしれない。
それから鈴音さんがお餞別にくれた香水。
菖蒲さんのクリスタルの砂に対抗したのか、クリスタルの瓶に入ったその香水をまだ一度も、開栓していない。
私にとっての執着すべきものはそれくらいしかなかった。
日記帳を入れるとき、開いて読む勇気はなかった。
鍵がきっちりと掛かっていることを確認する。
赤髪の彼は、隠さなければならないことがもし出来たら、必ず鍵をかけろ、と言った。
私がこの家を出たら、私は墓場までこの3年間の秘密を持って行かなければならない。
嫁ぐ、ということはそういうことだと私は不倫を隠し通している母を見ていたので、知っていた。
結婚というものの持つ意味に私は改めて暗い気分になった。
家を出る直前、鈴音さんに会って行くべきかどうか、迷ったけれど、会っても、私は後悔と申し訳なさと気まずさで悲しくなって、鈴音さんに迷惑をかけるだけだと思うと、結局実行には移せなかった。
でも、幸か不幸か、玄関でばったりと鈴音さんに会う。
彼女は、数年前、彼女がこの家に来たときと全く同じ服装で、旅行鞄を持っていた。
もしかしてと思ってどこへ行かれるのですか、尋ねてみると、旅に出ようかと思ってね、と彼女は言った。
どこへ行かれるのですか、と聞くと、とりあえずフランスかな、列車にでも乗ってゆっくり傷心旅行でもしようかな、と彼女は言う。
サングラスをかけていたので表情は読めなかった。
それじゃあな、と彼女は短く別れの言葉を告げる。
私は今すぐ、鈴音さんを抱き締めたい衝動に駆られた。
でも、鈴音さんは家を出て、どんどん私の前を歩いていってしまう。
追いかけていきたかったのに、私は家の外で待っていた婚約者に捕まった。
促されるままに、車に乗ったときには、もう既に鈴音さんの姿は見えなくなっていた。

婚約者は、伯爵の名を持つ、実業家のよく喋る男だった。
一代限りの貴族の名を買った彼は、余程スチュアート家の血を取り込めることが嬉しいらしい。
没落しきって準貴族からも外れた、この家の何が良いのか私にはさっぱり分からない。
没落しきった元貴族を助けるという面目で、家ごと乗っ取ろうとする作戦かもしれない。
ただ、唯一言えることは、そんな甘い考えでは、スチュアート家は乗っ取れない。
これは私でも断言できる。
でも、今となってはもう、どうでも良いことだった。
現に隣に座っている婚約者の言うことの半分も私の耳には入ってこない。
彼の顔を見ながらも、私の目はたった一人しか見えない。
鈴音さんと一緒に歩いた土地、彼女との思い出を作った場所を離れることだけがたまらなく辛かった。

車を降りるとき彼は私の荷物を持とうと申し出たが、私は丁重に断った。
秘密はどんな時も手放すわけにはいかない。
家は私の家よりずっと都会にあり、駅に近い。
見た目も豪華で、出来る限りの贅を尽くしたというようなものだった。
前衛的なデザインの門に、品種改良されて馴染みのない、色とりどりの花が咲き乱れる庭。
どれも私には異質なものとしてうつる。
まるで違う世界に来たようで、わたしはすぐに一人になって落ち着ける時間が欲しくなったけれど、婚約者や、使用人にあれこれと世話を焼かれ、結局一人でいれたのは、用意されたドレスに着替てから、晩餐に出るまでの僅かな時間だけだった。
部屋の中も、当たり前と言えば当たり前なのだろうけれど、どこにも私の知るものはなかった。
少しでもいいから自分の持つ物の存在を確かめたくて、私は鞄の中をのぞき込む。
迷った末、鈴音さんに貰った香水を取り出し、勇気を出して、瓶の蓋を開けた。
瞬間、懐かしい匂いが鼻を満たす。
失神しそうなくらい甘いイランイランの深い香りに私は思わず溜息を吐いた。
私が求めていたのは馴染みのある何かではなくて、ずっとこの匂いだけだった、ということに今更気づく。
この香水を全て飲み干せば、ここに鈴音さんが現れるのではないかという愚かな想像をしてしまうほど、この香りはもう、鈴音さんの一部だった。
あまりの切なさに、私は自分で自分を抱き締める。
そうやっていないと、今にも駆けだしてしまいそうだった。
こんなものをお餞別にするなんて酷い、と唇を噛んで涙を呑み込む。
私はやっぱり彼女なしでは生きていけない。
きっとこの香水を何リットル買っても、私の気持ちは満たされないという確信を持つ。
どうしよう。
まだ、間に合うだろうか。
私が決断を下そうとしたとき、扉を叩く音が聞こえた。
時計を見ると、移動しなければならない時刻だった。
私は慌てて香水を少しだけ身につけて、鞄を持って、部屋を出る。
使用人に連れられて、ホールへ案内される。
ホール内は和やかな雰囲気で、立食形式らしくテーブルには食事が沢山並べられ、私は中に入るなりグラスを渡された。
もう慣れて苦手ではなくなった、鈴音さんの大好きだった赤ワインの入ったグラスに口を付ける。
味わう間もなく、婚約者が私の方に近づき、話しかけてきた。

「よもや、貴方と結婚できるなんて思ってもいませんでした。
私は大変光栄に思っています、レア」

出会って間もないのに、なれなれしい呼び名に嫌気と屈辱を感じ、私はグラスを強く握り締めた。
彼は続けて言う。

「貴女もそう思って下さっていれば幸いなんですが」

彼は私の空いた方の手を取って唇を近づける。
私は嫌悪感から反射的に手を退いた。

「どうやらそうは思ってはくれないようですね」

いかにも残念だというように彼は肩を竦めてみせた。
私は固まったまま動けない。

「でも、あなたは今日から私のものなんですよ。
つきましては」

彼はここで言葉を切り、一見人が良さそうに見える笑顔を浮かべた。
でも、彼の目は笑っていない。

「この香水は止めていただきたい」

そう彼が言った直後、私は頭が真っ白になり、何をしたのか自分でも一瞬分からなかった。
侮辱されたことに激しい怒りを感じて、彼の結婚の裏に見える意図を悟り、気が付くとグラスを持った手を彼に向かって振り上げていたようだった。
作品名:Future Star 作家名:ちひろ