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音楽の人

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さいふを忘れる

(多摩くんと緑くん)



「最近さあ、オリオンの左下のやつだけ見えないんだよね」

夜食と間食とをしこたま仕入れたコンビニを出るタイミングで何の気なしにそう言ったら、ひと呼吸ぶんの間の後、ものすごくわけがわからないという顔をされた。
凄いね。人のまゆげってそこまで寄るものなんだね。

「何。今。なんて?」
「……いや、いい。もう」

その瞳があまりにも好奇に満ち満ちていたものだから、俺は急激に恥ずかしさとかやるせなさとかとにかくもうよくないきもちばかりで一杯になってしまって、小さくなって手を擦り合わせた。
なんだよ、俺が星の話なんかするのってそんなにワンダーなの。ねえ。東京でもオリオンくらいは見えるじゃない。
大人げない反抗心の芽生え始めたところで相手はようやっと言葉そのものの意味だけを汲み取ることに成功したらしく、ああオリオンね。とコンビニの新商品の名前を口にするかのごとく気安さで言い放った上にてきぱきと歩き始めてしまった。

「なんだよーみどりくんの方が夢がないじゃんかー」
「いやいや、夢がないとかじゃなくてさ。多摩くんが星のことなんか気にしてるのが意外だっただけだよ」
「同じじゃんかーそれー」
「なんだよもう。すねんなよ」
「すねてないよー悲しかったんだよー」

口をとがらせた声が背後から聞こえてくるのが可笑しかったらしい緑くんは我慢ならずと笑い出して、ひとしきり笑ったあとでくるりと振り返り、少しだけ真剣な顔を作ってごめんねと言った。
そしてまた笑った。
しょうがないので俺も笑った。

「でなんだっけ、オリオンの、」
「左下」
「左下。え、シリウスでなくて」
「なくて。オリオンそのものの左下」
「ああー」

名前あったよねえ忘れちゃったな冬の大三角形とかなんだっけな。そういえばおれこないだ星の名前覚えようと思ったんだけどそれも忘れてた。
昼よりも明るいようなコンビニを離れて、ぽつりぽつりと見えはじめた星に目をすがめながらぽつりぽつりと呟く声を聞き逃さないように、良妻の位置についてゆっくりと歩いた。

「俺も大概うっすらなんだけど。星雲は?」
「全然」
「えー、それはあわれだわ」
「でしょ」
「うん」

しばらく会話が途切れて、膝のあたりでコンビニの袋がひそひそ言った。
遠くで連続するのは短気なクラクションで、電線をわたる松風はいつだって悲劇的。
この街のしずかはとてもにぎやかだけど、そうだ、冬の大三角形はシリウスとプロなんとかとオリオンの左上だよ。
思い出したことを報告したくて息を吸い込んだら、はたと立ち止まった緑くんの肩に衝突した。

「う、」
「あ、ごめん」
「んや、うん、どしたの」
「いや、冬の大三角形ってさ。なんとかオンっていうのなかった?」
「……あ! プロキオンだ!」
「ああ! そうだ!」
「あとオリオンの左上だよ」
「……左上、」

自然となりに並んで、うんざりとしかめた緑くんの顔を覗き込む。

「いいやもうオリオンはオリオンで」
「いや駄目だよ。帰ったらネットで調べようよ」
「ああそうだねそれがいいね」
「みどりくん」
「うん」
「目のなかに星入ってる」
「は、何?」

点在する街灯や自販機や生活のあかり、そのなかのどれかはわからないけれど、小さな白い光のつぶを瞳のなかに見つけた。
そう教えると緑くんはきらきらと笑って、彼の歩幅がたゆんだ拍子に勢い半歩進み出てしまった俺の目玉をはすに見上げた。
良妻の位置、交代。

「たまは真っ暗だね」
「新月なんだよ」
「新月の日って星すごいじゃん」
「だから星は緑くんの目のなかに、」

他者が聞いたら悶死もののやりとりを一片の色気も恥じらいもなく交わしていたら、いつの間にか元いたスタジオの門前まで帰り着いてしまっていた。
ロビーで談笑しているらしきメンバーとスタッフさんたちの声が聞こえる。まったく僕らときたら手も握ってない。
その手がドアの取っ手をひょいと掴むのとタイミングを同じくして、俺はその肩をひょいと掴む。

「何」
「ここまで来てなんだけど、みどりくん。寄り道してかない?」
「してかない」
「なんで」
「からすの子たちが餓死するから」
「しないよ。ねえ、ちょっとだけ、」
「無理だってば、絶対ちょっとで済まんでしょうが」
「何考えてんの。みどりくんのエロ」
「…………、」

しらねえよもうおまえなんか死星見えろ。
と早口で言ってさっさとおんぼろアパートみたいな練習スタジオの扉を開けようとする緑くんの肩を引き寄せて、後ろから羽交い締めにした。
本当は抱きしめるつもりだったのだけど、緑くんがその素晴らしい反射神経を発揮してもがいたものだから、そんなことになってしまった。
ふたりして吹き出した。

「何これ?」
「んや……うん、」

しばらく会話が途切れて、遠くを走る環状線がこそこそ言った。
夜のいちばん深いときのいろをしたふたつの目はしんと俺を見ている。
街の夜はにぎやかだけれど絶対の静けさを感じて耳鳴りすら、そうだ、俺がオリオンを気にするのはきみの喉元に連なる三ツ星をいつも好ましく思うからだよ。

「しょうがないな、」

思い出したことを報告したくて息を吸い込んだら、星の入ったふたつの目がまたたいて、近づいた。
額をむやみに擦り合わせるせいでいつもこんがらがってしまうその髪は、夜の風を含んでいつもより硬質だった。



作品名:音楽の人 作家名:むくお