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真っ赤な昼、ホットケーキの蜜

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真っ赤な昼、ホットケーキの蜜





 午後二時に店に入る。
 特に決まりのない生活にけじめをつけるために、それだけは決めている。今日も俺は吉野家でテイクアウトした牛丼の大盛りの入った袋を片手にぶらさげ、気だるさと共にシャッターの鍵を開けた。五十センチほど開けたシャッターをくぐり、中へ入る。少ししかシャッターを開けないのは、外の世界と中の空間とをできる限り遮断しておきたいからだ。
 全体的に黒に統一した店は、自分で云うのもなんだがシックで雰囲気がいい。客席はカウンターだけで、全部で十席。「儲からないんじゃないの?」とからかう客もいるが、利益はさほど重要ではない。ここは自分の城なのだ。そして俺はその小さな城の主だ。その城が、自分にとって居心地の良いものでなければ、経営のやる気も減退するばかりである。
 まだ六月の半ばだというのに、陽の照りつけた外は真夏のように蒸し暑い。店に入ってもずっと締めっぱなしだったせいで湿気がひどいのは変わらないが、黒の空間は途端に夜に迷い込んだような錯覚を見せてくれる。心なしか体感温度が二度ほど下がったような気がした。
 エアコンを入れ除湿に設定すると、俺は客席に座り牛丼の容器を袋から出した。蓋を開けると、良い匂いを含んだ湯気が立ちこめる。
 開店は六時。酒をメインとしたバーであるから普通の居酒屋のようにフードメニューの数は多くないため、仕込みというほどの作業はない。本当は四時に店に入れば十分間に合うのだが、二時に入らなければ気が済まない。そういう頑なで変に生真面目な性格を、ときどき怨めしく思う。
 俺は口に入れた白飯を、のんびりと四十回以上噛み締めた。昨夜テレビの番組で、高血圧にならないためには長く噛むと良いと云っていたのだ。それをのんびりと実践するだけの時間を持て余している自分が、なんだか馬鹿に情けなくも感じた。
 カウンターの奥にある、酒のリキュールが並んだ陳列棚をぼんやりと眺めながら、何を仕入れなくてはならないかを考える。それもひどく適当なものだから、結局後からもう一度確認してメモに取るのだが、なんとなく仕事をしているような気にならなければ気が済まないのだ。
 そうやってどれくらいの時間を過ごしたか、ふと背後で物音がして振り返った。一人の女がしゃがみ込んでシャッターをくぐろうとしているところだった。
「…何してんの?」
 俺は、訝しげに女を見る。すると女は顔を上げ、「あーぁ、見つかっちゃった」と茶目っ気たっぷりに笑みを浮かべて云った。
「後ろから驚かせようと思ったのに」
「待てよ、シャッター開けるから」
「いいです、このままくぐっちゃいますから」
 そう云って女が頭を下げて中に入ろうとする。ただでさえ一六〇は超えている身長なのだから、それに十センチ近くあるヒールを履いていればくぐるのは至難に違いなかった。だがその心配は杞憂で、女は五十センチほどしか開いていないシャッターを器用にひょいとくぐった。
「コーヒー、飲むか?それともお酒?」
 箸を置き、立ち上がって俺は聞いた。女は食べかけの牛丼を見て申し訳なさそうに肩をすくめた。
「ごめんなさい、食事中だったんですね」
「いや、全然いいよ。どうせ暇だから。何飲む?」
「ブランデージンジャー、もらっていいですか?お金はちゃんと払うので」
 女はそう云うと、俺の座っていた椅子の二つ先に腰を下ろした。カウンターに入り、棚からブランデーのボトルを取る。グラスに氷を入れてブランデーを注ぎ、ジンジャーエールを適度に入れる。
 店は六時からの営業だが、ときどき暇を持て余した常連客がこうして昼間にやってくることがある。俺自身の暇つぶしにもなるから、そういった客を面倒だと思うことは殆どない。
「はいよ」
 そう云って女の前に出すと、女はやはり満面の笑みで「ありがとう」とグラスを手に取った。
 女の名前は、カンナ。それが本名なのかどうかはわからないが、みんなは彼女をそう呼んでいる。半年ほど前にふらりと店に現われ、店の男たちの鼻の下を伸ばさせて颯爽と帰っていった女だ。 それから週に一度くらいのペースで飲みにやってくる。 常に明るく笑顔を振りまくものだから、常連の男たちにも「カンナちゃん」と可愛がられている。だが、昼間にやって来たのは初めてだ。
「今日はまたこんな時間にどうしたの?昨夜、砂原ちゃんともう一軒飲みに行ったんだろ?まだ飲み足りないのか?」
 俺はなるべくポーカーフェイスを務めて何気なくそう聞いた。砂原というのは、カンナと同じく店の常連客の男だ。四十代半ばで、所帯持ちである。二人とも、いつも飲みには一人で来るから、一緒になるとよく話をしている。店は常連で成っているようなものだから、不思議な光景ではない。昨夜もそうだったのだが、一つ違ったのは、カンナが砂原にもう一軒行こうと誘ったことだ。
 砂原はカンナに気がある。多くの男が親しく接してくる若い娘に下心を持つそれと似たようなものではあると思うが、砂原はカンナが来るととても表情が明るくなるのだ。そんなカンナの誘いであるから、砂原は喜んで付いて行った。
 だが、男と女というのは、酒が入ると面倒なものだ。その気がなくても、ちょっとしたきっかけでホテルへ入り、まるでスポーツでもするかのようなノリで身体を重ねてしまう。特に砂原にはその気があるのだから、そういうことがあったとしても不思議ではない。
 だがカンナはあっけらかんとした様子で、「若いから、いくらでも飲めるんです」と悪戯っぽく返しただけだった。砂原とその後どうなったのかを、自分の口から云うつもりはないらしい。
 だが、俺もそういった話を自分から聞くような真似はしない。店のオーナーは、客とは付かず離れずくらいがベストだ。相手が話したくないなら、何も聞かない。これが経営の鉄則だ。
「なんか、まだ昼なのに、夜みたいですね」
 カンナがグラスに口を付けながら、周囲を見回しそう云った。
「それがモットーだからね」
「モットー?」
 大きな瞳をぱちくりとさせて、カンナが癖のある高い声で聞いた。カンナは、とりたてて美人なわけではない。だが、大きなくっきりと見開いた二重の目が印象的な女だ。
 カンナに気があるのは、砂原だけではない。常連の中には、カンナをそういう目で見ている者も少なからずいる。AKB48が国民的アイドルと謳われ人気が出たのも、庶民的な子の集まった会いに行けるアイドルの集団だからであって、カンナもそれに似ていると思う。案外美人過ぎず、普通の愛想の良い女の子の方が男も好きなのだろうと思う。
 俺はカンナから視線を逸らし、席に座って箸を取った。
「そう、夜は色々なものを隠してくれるだろ?常に身を隠して生きたい、だから常に夜」
 俺がそう云うと、理解したのかしないのか、「ふーん」と若い女にありがちなぶっきらぼうな相槌を返した。
「なんか、ちょっとわかる気がする」
 そう呟くように云ったカンナの言葉に、俺は振り返った。カンナはいつもの笑顔ではなく、真面目な表情をしていた。
「おいおい、おまえみたいな小娘にわかってたまるかよ」
 思わず苦笑して俺が云ったが、カンナは笑っていなかった。表情をそのままに、俺を見る。
「私、子供ですか?」