ボクが召し使い
それは、地獄とはかけ離れた良さを持つ世界だった。暖かく、しかしどこか淋しげだった。
綺麗で広大な黄金色の草原は、美しさを感じ、でも歩いても歩いても、どこまでも、その「美しい」
草原が広がってそうで、美しさ故に恐怖感さえわいてくる。
「アンドレ、ボク、ここに来る前、真っ白な空間にいたんだ」
「ほう」
「ボクはそこで、一人の男と会った。顔は見てないけど、全ての答えはボクの後ろにあるって」
アンドレが口を開く。
「地獄への片道キップは、現れなかった。それが何よりアルク様との契約を破棄されていない理由です」
ボクは、捨てられたわけじゃないのか。
「そういえば、リベルは?」
「彼もきっとこの世界のどこかに飛ばされたに違いないです」
それにしてもここは重力が倍あるのか、身体が地面に押さえつけられるように重い。
「ビジョンでは何が起きても不思議ではありません。まずは村を探しましょう」
「ここはアルク様の思考のみの世界じゃないのか?村なんてあったら人がいて、何か矛盾してないか」
「勿論ここはアルク様の世界です。しかしかといって、今現在この世界に生存するのは私たちだけでは
ない。過去にビジョンへ葬られた者達が集う、ある一つの村がここには存在するのです」
もしそうだとしたら、リベルはそこにいるのだろうか。
重々しい足を持ち上げながら、ボクとアンドレはひたすら村を探しまわった。しかしいくら歩いても、
見えてくるのは草原ばかり、一向に見当たらない。
「アンドレ、さっきから太陽の位置が少しも変わらないけど、どうなってるんだ」
「ビジョンには夜が無い。だからいつも太陽は放浪者の頭上を照らし続け、体力を奪っていくのです」
もう歩き始めてからどれくらい経っただろうか、歩いている意識さえ無くなって、歩こうという気にも
ならない。もう駄目なのだろうか。
丘を越えても目に映るのは再び迫り来るような丘。水も無ければ食料も無い。この状況で、ボクは
あとどれくらい生きれるのだろう。
「イさん・・ガイさん・・・!」
アンドレは、まぶたが半開きだったボクの肩を揺さぶってあるところへと指差した。
「村だ」
もたれる身体の最後の力を振り絞り、ボクは村の門の前まで歩く、しかし。
「ガイさん!起きてください!もう少しですよ、ビジョンの偽りの世界に騙されてはいけません!」
アンドレの言葉も、その時のボクの耳には虚しくも入って来ず、重いまぶたはふさがった。
目の前が真っ暗な闇に包まれている。腕を動かそう、しかし動かない。歩いてみよう、でも動かない。
ボクは視線を一点に定めて、ある小さな光を見つめる。
「アルク様?レーミア様?」
その光が、一瞬アルクとレーミアに見えて、思わず声が出ない口を大きく広げた。
「――っ!」
静寂の暗が、再び光を黒に染めていった。
目を開けると、そこは夜だった。
隣には焚き火があって、暖かかった。
「ここは・・・」
「ロストビレッジ、別名“失われた村”。相当体力を奪われたんだろう、もう少し休ませておきな」
ひげを生やした老人が木製の椅子に腰掛けながら、ボクの横でカップを手にして座っていた。
「ボクはもう・・・平気です」
「お前さんじゃねぇ。俺が言ったのはそっちのスーツの兄ちゃんのことだ」
振り向くと、そこには間違いない、布を布団がわりに寝かされたアンドレの姿があった。
「そいつ、お前さんの看病をずっとしてたんだ。あんなに精神、身体ともにボロボロだったのによ」
ボクはいつも誰かに助けられている。守ろうとして、でもそれがいつかから周り。気づけばボクは
誰かを傷つけてしまう。レミーア様の時のように。
「お前さん、ビジョンは始めてだろう。だがもう安心しなこのロストビレッジでは、全ての環境が
元の世界のように正常に保たれてる。しばらくはお前さんたちに俺の家の部屋を貸してやるつもりだが、
お前、名前は何てんだ?」
「ボクはガイ、あなたは?」
「俺はジャック。ジャック・エルメス」
久しぶりの夜に、少し安心した。虫の音色や風が吹けば、木の葉がこすれあい森がざわめく。
ボクはしばらく、パチパチと火のこが飛び交う焚き火を眺めていた。
ジャックはボクを家に入れることを考えたが、今はまだ外にいたくて、涼しい風にあたっていた。
「ガイさん?」
「アンドレ、起こしたかな?」
「いえ、それより、もう大丈夫なんですか。ジャックさんに後のことは任せておいたはずですが」
「ああ、言われたよ。でももう少しここにいさせてくれないか」
アンドレは不思議そうな表情でボクの顔を覗き込む。
「はて、たそがれるんですか」
「ちがーう!」
でも、何も考えていないと言うと嘘になる。
「アンドレ、アルク様は、テンペストに行ったのだろうか」
少し考えた後、アンドレは重い口を開いた。
「本当は、アルク様に口止めされていたのですが・・・」
「教えて、何かアルク様に繋がることなら」
「ビジョンと元の世界とでは、時間の流れが違うんです。例えばビジョンで1日過ごすとします、
それは元の世界での1分ほどにしか値しないんです」
「ここへ来て4日間・・・ということは、むこうでは4秒しか経っていない?だったらすぐにでも元の
世界に戻ろう、そしてアルク様を引き止める」
「ガイさん、そう言われましても・・・私もビジョンからの脱出法を知らないんです」
すると、ドアが大きく開く音が聞こえてきた。
「二人共、家に入りな。“禁断の出口”への行き方、教えてやろう」
ジャックが手招きをして、家の中へとボクたちを招いた。
「実は、俺も昔このビジョンから抜け出そうと試みたことがある。まあ、失敗に終わったがな」
テーブルの椅子に腰掛けるボクとアンドレに、ホットミルクが入ったカップが渡された。
「5年に一度だけ、その“禁断の出口”は開かれる。このロストビレッジから東に10キロ歩いたところ
にある、クルス大聖堂という大きな聖堂があるんだ。そして、その“出口”はそこにある」
ボクは、その時何かがひっかかっていた。クルス大聖堂とは、地獄にも実際に実在するのだ。
「ジャックさん、その大聖堂、元の世界にもあることを聞いたことがありますが」
「要はそう、ビジョンのクルス大聖堂は、もう一つの地獄のクルス大聖堂と繋がっている。ある人物が、
聖堂の中で“暁の唄”を歌う儀式が行われる。それが、5年に一度しかチャンスが来ない理由。その唄
で、二つの大聖堂の道が共鳴する。そこにお前たち二人が入るんだ」
“暁の唄”昔よくレミーア様が歌っていた。綺麗な歌声だった。それが世界を繋ぐ鍵なのか。
「それで、次の共鳴はいつになりそうですか」
ジャックはしばらくテーブル周りを歩いて、答えた。
「あと、4年だ」
・・・・・・・。
・・・・・・・・・・。
「本当に、良かったんですかアルク様、二人をビジョンに送っても」
「仕方ないだろう!こうまでしなければ、ガイは僕をテンペストに行かせないつもりだった」
アルクはどこか悲しい表情でミルムを見た。
「ミルム、テンペストの入り口、どうだった」