リスタート
〈2〉-2
5月の連休明け、仕事の都合で母校である大学の近くに行った日、思いがけない人物と再会した。正確に言うなら、彼女とそこで行き会うこと自体は不思議でもなんでもないのだが、このタイミングで会うとは思わなかった。先日の木下と同じく、今日も相手の方から声をかけられる。
「あれぇ? 久しぶり、どうしたの?」
柊が正門前のバス停近くを通りかかったのと、そこにバスが停まったのはほぼ同時で、そのバスから降りてきたのが瀬尾彩乃(せおあやの)――奈央子の中学時代からの親友だった。5年半前のあの時、奈央子との間を取り持ってくれた彩乃は、柊にとっても恩人と言える相手である。
「……って、その格好からしたら仕事か。平日だものね」
スーツ姿の柊を見てそう言う彩乃は、今は大学院に在籍しているはずだ。卒論のテーマにした作品に「はまってしまったから」らしいが、奈央子に言わせれば「彼氏が卒業するまで大学にいたい気持ちも、何割かはあったんじゃないかなあ」ということだった。彩乃の相手は2歳下で、従弟でもあるのは柊も知っている。その「彼氏」も3月に卒業して、就職先の都合で遠距離恋愛になったらしい、と奈央子経由で聞いてもいた。
当たり障りない会話の中で、つい口がすべった。
「奈央子から、なにか相談されたりしてないか?」
「え? 別に……そういえばここ半月ぐらいはメールだけで電話はしてないかな。なんで?」
「……いや」
と言ってみたものの、その後に続ける適当なごまかしの言葉が出てこない。先日以来、奈央子の言動の奇妙さはいまだに続いているのだ。
世間は数日前までゴールデンウィークだったが、柊の会社も奈央子の学校も、休日及び勤務日は暦通りである。つまり長期休暇はないものの連休はあるので、普段より遠出もしくは1泊旅行をするのが数年来の習慣だった――去年までは。
今年は遠出も旅行もしなかった。それだけではなく、連休中は一度も奈央子が部屋に泊まらなかったし、丸一日訪ねてこない時さえあった。その理由を本人は「中間テストの準備に手間取ってるから」と話していたが、少し時期が早いような気がするし、本当に手間取っていて忙しいのだとしても、休日に一度も食事を作りに来ないことはかつてなかったので、どうしたって変だと思ってしまう。
さらに妙だと感じるのは、その食事である。このところ味付けがなんだかおかしい。味噌汁が微妙に辛いとか焼き魚の塩味が薄い気がするとかいった程度だし、毎回でもないのだが、しかし料理上手な奈央子にしては珍しいことだった。そしてそれを指摘すると、叱られた子供みたいに妙にびくっとして、一瞬表情を硬くする。すぐに普段通りの口調で謝りはするのだが、釈然としない思い、あれもこれも彼女らしくないという不安は深まるばかりの最近なのである。
柊が黙ったきりなので、当然ながら彩乃は不審に思ったらしく、再度「なんなの?」と聞いてきた。
「ケンカでもしたわけ?」
話の流れからしてそう聞かれるのは当然である。しかし事情を話すことはためらわれた。もしかしたらと思うあまりに口をすべらせてしまったのを、柊は後悔していた。
奈央子のことを彩乃に打ち明けたら、5年半前の「あの時」の再現になってしまう。今日ここで会ったのはあくまで偶然だが、危機的状況の打開に彼女を頼る点は変わりない。2度もそんな真似をするのは、いくらなんでも情けないだろう。
そう考えてなおも黙っていると、彩乃がはーっと大きくため息をついた。そのわざとらしさには覚えがあるなとぼんやり思い、「あの時」に呼び出されて話をした際に似たことがあったのを思い出した。
「……なんていうか、肝心なところで意思の疎通が足りないよね、あんたたちって」
呆れたような彩乃の言葉に、そうかも知れないと今さらながら思う。なまじ、言わなくてもわかることが多いだけに、お互い言葉少なになる時もある。それを居心地悪く感じたりしたことはなかったが、たまたま今までは不都合が出なかったというだけなのかも知れなかった。
「言っとくけど、あたしは奈央子からなにも聞いてないし、聞くつもりもないからね。気にならないわけじゃないけど」
諭すような口調で彩乃は続けた。
「もういい大人なんだから、ちゃんと話して二人で対処しないと。……いくら付き合いが長くてもね、話さなきゃわからないこともやっぱりあると思う」
「――そうだよな。わかってる」
柊は素直にうなずいた。言葉を惜しむつもりはないし、そもそも、今は惜しんでいる場合でもない。結果が悪い方へ転がるとしてもそれは自分の責任に違いないのだから、甘んじて受けるべきだろう。
「なら、すごくおせっかいだと思うけど……」
彩乃が、今度はややためらいながら、
「問題解決したら、いいかげんプロポーズしてあげなさいよ、奈央子に」
と言ったので、柊は言葉に詰まりながらも反射的に赤くなった。今まさに考えていたことだったからである。
「そう言うそっちはどうなんだよ」
「あたし? ……あたしは博士課程進んだところだし、向こうも就職したばっかりだし」
言いながら彩乃もほんのり顔を赤くする。
「あたしたちはあと2・3年かかるぐらいでちょうどいいの。そんなことより、羽村は奈央子とのことだけ気にしてればいいのよ。わかった?」
指を突きつけられて断言された。照れまじりの口調とその勢いに苦笑しつつも、柊はもう一度はっきりとうなずいた。