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吉祥あれかし 第一章

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『本来であれば木の刀ですら、陛下にとって相応しい品とは到底思われません。しかし、木の刀であれば我が国では刀剣類とは看做されず、法の規制は受けることはありません。このように私如きが陛下にお会いすること、本来であれば越権行為であるかと思われますが、もし、我が国の皇帝が同じような扱いを他国で受けられたとしたら…と思い当たり、居ても立ってもいられなくなり、こちらを献上に参った次第です』

 国王はその刀の出来の素晴らしさに驚嘆の意を隠す事無く、一つ一つの細工が元の刀と寸分違わぬものであることを確かめながら、女に問いかける。

『お前はどうしてこのことを知った?何者なのだ?』

 女は頭を下げたまま、答えた。

『陛下のご統治なさいます、ドゥク・ユル国と我が国との友誼(ゆうぎ)を憂える者…とだけ申し上げておきたいと思われます。事の次第を全て話すと面会が許されている時間を超過してしまいます故、ただ、陛下の御国と我が国が共に崇拝申し上げております、御仏のご意思によって此処に参った者と思し召され下さればそれだけで十分でございます』

 国王はこの、謎を謎のままにしておこうと提案する女性に興味を覚え、ずっと下げられたままの顔を見たいと思った。

『朕は其方(そなた)の頭と話をしている訳では無い。顔を見せよ』

『は…』

 女は小さく声を出してからゆっくりと顔を上げた。現れた顔は、日本で云う『美人顔』の範疇からは外れていたが、ドゥク国でよく見る女性の顔と同じく、切れ長の細い目に薄い唇をしており、鼻筋はすっきりと通っており、真っ直ぐに見つめるその視線は美しいものだったが、同時に一種の威圧感も感じた。

『名を申せ』

 国王のその下知に女は『私の名はクリバ…』と言い掛けた所で国王は手を挙げ、制止した。

『いや、朕が間違っていた。この国の女は結婚すると姓が変わるということらしいな。それでは朕がそなたのことを覚えていても意味が無い。朕が聞きたいのはそなたのファーストネームだ』

 国王の言葉に女はそれまで無表情だった顔を少し緩め、僅かだが微笑みを浮かべた。その表情が先ほどの威圧感とは全く逆の柔和な表情だったために、周りの侍従までその落差に一瞬見蕩れたほどである。

『ミキ…と申します』

 低く無く、かといって高すぎることも無い「ミキ」の良く通る声が部屋の中を心地よく通り抜けて行った。国王はミキの顔をやさしく見つめながら口を開いた。

『ミキ…。覚えておこう』

『勿体無いことでございます』

 そう言ってミキはまた最敬礼のために首を垂れたが、国王は苦笑交じりに問いかけた。

『だから、其方の頭と話をしたいわけではないのだが?』

 最初は警戒のために気を張り詰めて睨(ね)めつけていた侍従たちも国王のその言葉に頬を緩ませ、軽い忍び笑いが部屋に零れた。

『申し訳ありません』

 そう言って顔を上げたミキは穏やかに微笑んでいた。

『我がドゥク国のために奔走してくれたその勇気を褒め称えたい。本来であれば国賓としてそなたを招きたい ところだが、そう云う訳にも行くまい。ましてや朕は非公式とは言え、結婚している。この葬礼が終わればすぐに国に戻って妻たちと婚礼の儀を執り行わねばならない。そんな時にそなたのような妙齢の女性を国賓として招くということは口性無(くちさがな)い者たちの恰好の餌食になろう』

『存じ上げております。 私は陛下から、そしてドゥク・ユル国から何か御情けを頂こうという浅ましい心算りで此処に参上した訳ではありません。ただ…陛下の御玉体から、その分身とも言える御刀が無い御姿を陛下の御国の民が目にした時、どれだけの者が嘆き悲しむだろうか…それを案じてのみの勝手な行動です。お許しどころか陛下のお叱りも覚悟して参りました。しかし、陛下はそのように私を御赦し下さいました。それだけで百万の富を手にしたと同等と考えております』
 
 真っ直ぐに国王を見つめるミキのその視線には、確固たる意志と、そして人に対する思いやりの心が満ち溢れていた。

 国王ははしょりの長いゴの懐(ふところ)を探り、金色に輝くブローチを取り出した。そこには鮮やかなドゥク・ユル国国王の紋章である黄金の竜紋が刻まれ眩(まばゆ)いばかりの光彩を放っていた。

『受け取れ』

 国王はそう言ってミキにコマと呼ばれるそのブローチを差し出した。一瞬、それを見たミキの目には逡巡(しゅんじゅん)の色が過(よぎ)ったが、恐らく自分の思ったことを素直に言った方が良いと判断したのか、改めて国王を見つめ直し、落ち着いた声色で話し始めた。

『陛下のお気持ちだけで私には充分でございます。一平民である私が陛下御自らのそのような勿体無い物を受け取る訳には行きません』

 ミキのその言葉に国王は益々興味を覚えたようだった。 国王は座っていた椅子を立ち、ミキに近づくように片膝を折り、コマをミキの目の前に差し出した。

『お前は危険を承知で此処までこの刀を届けに来た筈だ。朕にはお前の此れほどの働きに何も報いてやることが出来ない。せめて、朕からのささやかな願いとして、このコマを受け取ってはくれないだろうか?』

『しかし―――』

 尚も戸惑いを見せるミキに国王はコマをミキの鼻先に突き出して言った。

『お前は己のことを“御仏の使い”と言った。では、このコマはお前にでは無く、我が国とお前の国が崇敬する御仏に捧げる供物(くもつ)ということになる。――それでも受け取らない心算か?』

 国王の言い分にも尤(もっと)もという点があり、ミキはそれ以上の拒否が出来ないと観念し、ひとつ、ゆっくりと息を吐いてから両手でそのコマを受け取ろうとした。その時、国王は差し出されたミキの手を取り、コマを握らせた。初めて感じた国王の手は暖かく、そして優しい感触がした。

『陛下―――』

 国王はミキに微笑みかけてからゆっくりと元いた椅子に座り直した。両の手でしっかりとコマを胸の前に握りしめたミキは真っ直ぐな瞳で国王に申上した。

『何時までも、陛下と陛下の統べられる御国がお健やかでありますことを、御仏に確(しか)とお伝え申し上げます』

 飽くまで「一個人」ではなく「御仏の遣い」としての自分の立場を崩す事の無いその台詞が、却ってミキという女性の魅力を引き立たせていた。国王は満足の笑みを浮かべ、ある言葉をドゥク語で喋った。

『…え?』

 ミキはどうやらドゥク語には余り詳しく無いらしい。そんなミキに脇から通訳係の侍従が優しく英語で話しかけた。

『ドゥク語で“吉祥あれかし”という意味ですよ』

 その言葉に満足し、ミキは黙って深くお辞儀をし、国王に背を向けること無く、立ち上がり、ゆっくりと扉の方に向かった。戸口にいた侍従にも軽く黙礼をし、ゆっくりと開けられた扉の向こうに姿を消した。


 扉が閉まる音がしてから、国王は傍らの木刀を手に取り、刀止めにそれを固定させた。国王自身も驚くほどその刀はその刀止めにもピッタリと嵌まり、そのまま鏡の方に歩いて行った。鏡に映ったその姿は、刀身が木であることを除けば全く国王が賓客に饗応する時の礼装そのものだった。

 その姿を見ながら、世話係の侍従が問い掛けた。
作品名:吉祥あれかし 第一章 作家名:山倉嵯峨