吉祥あれかし 第一章
一行に用意されたのは格こそ五つ星ではあるが、最上階のスイートではなく、中階の「特別室」であった。 寝室に国王が、そして居間として宛がわれた場所には警護のための侍従と国王の身辺の世話のための侍従のためのベッドが設(しつら)えてあり、通訳と外務担当の高級官僚は別室が用意された。
「全く…幾ら何でも一国の王に対してこの待遇はあんまりです!この国には我が国の王族に対する敬意が微塵も感じられない!」
世話係の侍従がそう呟いて忙(せわ)しなく王の身の回りの物やインテリアをドゥク風に改造して回っているのを見渡しながら、国王は言う。
「今は世界各国の国家元首がこの国に集まっている。各国ごとに一つずつ家を宛がっていては警備もしにくかろう」
「それにしても―――!」
「聞くところによると、今、この国のこの地…猫の額程のこの部屋でもだ…そこに1000万ヌルタムもの額が付けられているそうだ。我等の国は王族ですらそのような大金を葬礼出席だけに遣うことは無いだろう。それだけでも有難い取り計らいと思わねばいけないのではないか?」
「しかし、この明から様な国の序列に関して、陛下は何も思し召さらないと仰るのですか?」
そうして侍従はちらりと天井を見上げる。――彼らの『上』にはスペイン、スウェーデン、ベルギーといったヨーロッパの王族達がワンフロアを纏めて借り上げているのだ――。
憤懣遣る方無いといった風体の侍従に対し、国王はまるで幼子(おさなご)でも宥めているような口調でゆっくりと口を開く。
「聞け。この国の亡くなられた皇帝は第124代目にあたられた。初代皇帝は2000年以上前の即位と聞く。史書に記載がされている年代を遡っても少なくとも1500年以上は同じ血筋の者が統(す)べている国など他に見当たるまい。翻って、我等ドゥク・ユル国は朕でやっと4代目。この国の皇帝の連綿と続く悠久の歴史と比べ物にする方が可笑しい。それに、我等は日本の皇帝に弔意を示しに来たのであって他国のようにこの国から何かを毟(むし)り取ろうとする気は毛頭無い」
「であれば何故今陛下のお腰元に剣が下がっておらぬのですか!?我等の敬意を微塵もこの国の人間は判ろうとして――」
そこまで侍従が言いかけた処で国王の寝所のドアがノックされる。何事かと侍従が問いかけると警護のため別室待機していた侍従が要件を言う為に国王に目通りを願った。
「如何した?」
国王が跪礼している侍従に向かって問うと、侍従は畏怖しながらも事の次第を話し始めた。
「只今、其処の戸口に一人の日本の女が参ってございます」
「女?」
「何でも『陛下にどうしてもお渡ししたき物品がある』とのことなのですが…」
「ふむ…」
年若い国王はそこで暫し黙考した。自分の統治する国以外にもヨーロッパの各王族が逗留しているこのホテルの警護は万全の筈だ。拠って自分の命を脅かす者では無かろう。その点は国王も心配はしていなかった。しかし、非公式にとはいえ既に結婚している身の自分の所に女が遣ってくるというのは如何なものだろうか?まさかこの国が一国の国王に売笑婦を差し出す程徳が欠けている筈も無い。その女は一体どのような事由で此処に遣って来たのだろうか…?
「その女はどの様な身形(みなり)をしてそこに控えておるのだ?」
警護役の侍従は国王の下問に粛々と答えた。
「女と言いましても…恰好は西洋の男のものを身に着けておりますし、至って質素な形をしております。『陛下にお渡ししたいものとやらを見せろ』と言いましても『此れは陛下のみが御覧じられお手にされるもの』と内容の検分には一切応じようとしません。押し返そうにも頑として聞こうとせず、私としましては已(や)むを得ず陛下の御下知を仰ぎに来た次第にございます」
男の格好をしているということからどうやら明から様な売笑婦では無いらしいことは呑み込めた。しかし自分にしか見せられない品とは一体何だろうか。このホテルに入る際には金属探知機やX線探知機を潜(くぐ)らねばならないため、恐らく銃や刀の類ではないだろう。自分の命を脅かす暗殺者でも恐らくは、無い。
暫しの沈黙が国王と侍従に重く圧(の)し掛かったが、それを破ったのは他でも無い、国王自身だった。
「会おう」
その一言に周囲の侍従たちは一瞬色めき立ち、制止を乞うた者もいたが、国王はこう言って異論を捻子伏(ねじふ)せた。
「朕に危害を与えるような者であれば、このように堂々と正面から面会を乞うたりはしない。よしんば朕に危害を加えようという者であっても、その為にそなた等が此処に控えているのだろう?そなた等の働きが試される良い機会と考えるのも一興だろう」
どこかこの情況を愉しんでいるとも取れる国王のこの一言に、侍従たちは渋り切った顔をしながら、その人物を表の侍従に此処まで通すよう命じた。
面会を赦されて応接室に入って来たのは、まだ年若い――およそ国王より10歳ばかり若いだろうか――女だった。仕立ての良い上下の暗黒色のスーツを身に纏ったその女は日本の女としては中肉中背であったが、スーツをパリッと着込んでいるからだろうか、どこか精悍な印象を見る者に与えた。長い緑の黒髪を後ろで一つに束ねたその両腕には、およそ70センチはあろうか、ドゥクのメンチマタ風の布に包まれた細長い物体を大切に抱え込んでいた。女は国王の前で最敬礼をし、西洋の男性がするような方法で跪(ひざまづ)くと、国王の前にその布を差し出した。
『御目通りが叶いまして大変恐縮しております、陛下。こうして陛下に見えることが出来、自分の心は天にも昇らんばかりです』
頭を深く垂れたまま、口に出されたその言葉は殆ど癖の無い綺麗なアメリカンアクセントの英語だった。通訳係の侍従がそれをドゥク語に翻訳しようとしたが、国王はそれを軽く制止し、自らの英語でその女に言葉をかけた。
『お前が朕に渡したい物、とは…此れのことか?』
国王は世話係の侍従にその包みを自分に渡すように下知しつつ、女の返答を待った。
『はい。陛下が我が国に入られるにあたり、我が国の入国管理局が陛下に対し、大変に不敬な振る舞いをしたと耳に致しました』
国王が布を取ると、そこには実物と寸分違わぬ国王の刀が出現し、周りは一斉に驚きと感動の声をあげた。
『我が国の入国管理局が陛下の御玉体の一部である刀を”陛下の御玉体“と考えず”刀“と取り違えてしまったばかりに、陛下には今回のようなご不便とご心配をおかけすることになってしまったこと、深くお詫び申し上げます』
国王はその刀を手に取り、鞘(さや)や柄(つか)の部分の細工の精巧さに感心しながら暫(しば)し検分していた。
『これは、如何(いかが)したものだ?』
相変わらず深く首(こうべ)を垂れたまま、女は口上を続けた。
『陛下が携帯しておられたのは鉄の刀です。その為、我が国では“銃刀類”と看做され、不運な目に遭ってしまいました。しかし、此れは…木の刀です』
そう言われて国王はゆっくりと鞘から刀身を抜いた。現れたのは木目も新しい木の刀であった。
作品名:吉祥あれかし 第一章 作家名:山倉嵯峨