若返りの泉 TWENTY
10 戦争を知らない子供たち
1981年10月、韓国へ行った。
北朝鮮に近い仁寿峰(インスボン)でロッククライミングをするためにである。
大阪空港から金浦空港まで所要1時間半。
タクシー運転手に地図を見せて
「牛耳洞(ウイドン)」
と一声。5人は2台のタクシーに分かれて乗った。
ソウルオリンピック開催が決まった頃で、ソウル市内ではいたる所で工事が行われていた。
人も車も信号を無視。
時々衝突しそうになるトラックに何やら叫びながら、時速120キロで走る車の中、後ろドアははずれかかっていて、一人はドアを支え、一人はその彼を支え・・・私はシートにしがみつき。
1時間後に牛耳洞で車を降りた時、我々は無事であったことを喜び合った。
仁寿峰取り付きまで5分程度という位置にある白雲(ペグン)山荘に泊まった。
部屋の床は鉄板で、その下で火を焚いている。いわゆる「オンドル」というのだろう。持参したシュラフにもぐりこんで、雑魚寝をした。
小屋の主人は日本語が話せる李さん。私たちの貧しい夕食を見てはしきりと首を振り、キムチを差し入れてくれた。とても辛くて、私はコップの水につけてから、おいしく頂いた。
韓国人のクライマーとは、同程度の英語力と漢字による筆談で、十分に意思は通じた。一緒にザイルを組んだり、ルートや登り方を教えてもらったり、なにかと親切にしてもらった。
9日間の日程の中ごろ、ソウルへ食料の買い出しに行った。
メダカの学校よろしく、先頭が進む方向にぞろぞろとついて歩いた。
義手・義足を売る店が何軒も何軒も目に付いた。
「やっぱり交通事故が多いんやで」
などと、うなずきあった。
滞在が終わるころ、山荘に軍隊の一群がやってきて、行軍演習で、1泊キャンプをしていった。19歳から21歳まで、兵役があるのだそうだ。
義手・義足は彼らに必要なのかもしれないと思った。
一緒にクライミングした人も、間もなく兵役に就くのだと言っていた。
幼いころ、大阪駅周辺で、白い上下の服を着た腕のない人・足のない人が肩から白い箱を下げて、物乞いをしている姿を見た。傍らに、義手や義足が置いてあった。
「これ、いれてきたげて」
と母にお金を渡されてこわごわ近づいて、走り戻った情景が浮かんだ。
昭和34・35年ごろにしてなお。
ノウテンキな私たちは、韓国の岩場で思いっきりクライミングを楽しんで、雪がちらつき始めた山を下り、帰途についた。
作品名:若返りの泉 TWENTY 作家名:健忘真実