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VARIANTAS ACT13 背負い

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 髪を解いたグレンの姿が別人のように見えて、エステルは思わず言葉を飲み込んだ。
「さようなら…」
 グレンはただそう言い残し、その場を去って行った。
 強くなる雨足。
 エステルは何も出来ずにただ、彼女の背中を見つめた。




************




 無言と思考の停止。
 これしか無かった。
 降りしきる雨の中、中央広場のベンチにただ座るだけの彼には。
 考えてもしょうがない事だった。
 今まで何度も考えた事だったが、その度に答えは見つからなかったからだ。
「大佐…」
 声が聞こえる。
 彼を呼ぶエステルの声が。
 彼は振り向かない。
 ただ黙ったまま俯いている。
 二人の肩を打つ大きな雨粒が、服を伝いながら染み込んでいく。

 返す言葉など無い。
 言葉など…
 私はいつの間にか、言葉など信じなくなった。
 正確には、『人間らしい“気持ち”』と言う物を…
 “気持ち”が無ければ…
 感じなければ、傷付く事がないから。
 “ヴァリアンタス”と、それを破壊する事を目的に組織された“サンヘドリン”とそのシステム。
 その力、“ディカイオス”。
 私は“人”ではなく、ディカイオスの部品になる。
 “グラム=ミラーズ”と言う名の生体部品に…
 それなのに…
 なぜ…

 彼女はもう一度彼に言う。
「戻りましょう、大佐…」
 彼はやっと、その顔を上げた。
「風邪ひきますよ…?」
 そう言う彼女の頬には、彼女自身の髪が張り付き、その肩は小刻みに震えている。

 私のイクサミコ…
 いや…私の半身、エステル…
 私はどうしたらいい?
 私は一体何をすればいい?
 何を想い、何を目指せばいい?
 私の背負っている物は、重過ぎる…
 どうすれば強くなれる?
 心も身体も…

「大佐…?」
「助けてくれ…エステル…」
 彼はベンチから立ち上がり、エステルの肩を強く抱きしめた。
 痛いほど…
 彼の鼓動が直接伝わる程に…
「何回…こんな思いをすればいいのでしょうか…?私達は…」
 エステルはそう言って、グラムの背中に腕を回し、彼の身体を優しく抱いた。





Captur 4

 いつもより空気が冷たく感じる。
 白いクロスが貼られた壁に四方を囲まれた寝室。
 そこに一人。
 昨日の夕方から降っていた雨は、今もまだ降っている。
 肌を寄せ合い、傷を舐めあい、慰めあっても、心の隙間は埋まらなかった。
「大佐」
 枕元に置かれたインターホンのスピーカーから、時間を知らせるエステルの無色な声が響く。
 彼は無言のままベッドを出た。

 前だけを見て、足早に歩く。
「…それで?」
 グラムは後ろからついて歩くエステルに問う。
「ガルス司令からの御命令です。拘束拘留中のキクチ金属工業試作機パイロット・菊地一刃の取り調べに参加せよとの事で…」
 エステルが立ち止まり、彼の背中を視線でなぞる。
 彼の首筋から肩口、そして背中へ。
「どうした?」
 グラムが横目で振り返る。
「いえ…」
 エステルは再び言葉を続ける。
「対象者は黙秘を続けています」
「なぜ」
「不明です。ただ、大佐に会わせろと言い続けているそうで…」
「それで結局妥協したと…?」
 取り調べ室の前で止まる。
 グラムは大きく息を吐いた。
「しょうがない…給料分は付き合おう」
 彼は扉を開けた。




************




 ふと振り返ると、私と先生が一緒に居た時間なんて、とても短かったのかもしれない。
 本当は先生の事なんか何も知らなくて、私が勝手に付き纏っていただけかもしれない。
 きっとそれと同じなんだ。
 私と“大佐”って…
 私は、彼の事を何も知らないし、彼も、私の事を知っている訳が無い。
 それでも大佐は、私達の事を護ってくれている。
 いや、きっと…
 きっと、名も知らない大勢の命をも…
 でも…
 彼だけは…
 先生だけは失いたくなかった…

「おい!お嬢ちゃん!」
 突然、術長の声が耳元で響いた。
「わっ!術長さん?」
「さっきから呼んでるのによう。大丈夫かい?」
 椅子に座るグレンを、心配そうな表情で見下ろす術長に、彼女は少々驚いた様子で答える。
「え? ええ…大丈夫ですよ?」
 術長が彼女に問う。
「電算室、まだ使うかい?」
「あ…」
 彼女が操作するコンピューター画面には、入力し途中の数式が映っている。
 術長は大きなため息をついてから、彼女に言った。
「無理すんなよ…お嬢ちゃん。しばらく休みな」
「無理なんかしてませんよ? 全然、大丈夫!」
「お嬢ちゃん…」
「だから、大丈夫ですってば!元気元気!」
「ああ!分かった分かった!分かったから泣くな!」
「え…?」
 突然、慌てたように言葉を取り繕う術長。
 グレンは自分の目元を指でなぞった。
 指先に濡れる感触。
「あれ?なんでかな?どうしてだろ…ごめんなさい…ちょっと、失礼しますね…!」
 彼女は急いで電算室を飛び出すと、レストルームに駆け込んだ。
 洗面台の鏡の前、両手で自分の顔を覆うグレン。
 突然、レストルームの中に、綺麗な鼻唄が響いた。
 彼女はそっと振り向く。
 するとそこには、一人の女医が立っていた。
「エビング…博士…」
「あら?お久しぶりねぇ…グレンちゃん。お邪魔だったかしら…?」
「あ…いえ…」
 ハンカチで目元を拭ってから大きく息を吸って、呼吸を整える。
「ごめんなさい…博士…すぐ出て行きます…」
「ちょっと、待って。グレンちゃん!」
 グレンがドアノブに手を掛けようとしたその時、エレナは彼女の後を追うように踵を返し、グレンを呼び止めた。
 グレンは足を止めて、彼女の方に振り返る。
「は、はい…?」
「お急ぎ?」
「いいえ…特には…」
「ねぇ、久しぶりに会ったんだし…」
 指先で自分の唇をなぞるエレナ。
 よく見れば、彼女の白い指が、ルージュの上を艶かしく滑っている。
 グレンはあの時と同じ寒気を背中に感じた。
「エ、エビング博士…?」
「私…グレンちゃんとシたいな…」
 グレンの背中に、最大級の寒気が走った。
「え…? ちょっとそれは…私も博士も女性同士ですし…私にその趣味は…」
 狼狽するグレン。
 そんな彼女を尻目に、エレナは悪戯な笑みをこぼしてグレンに言う。
「嫌ね、勘違いしちゃって…お茶よ、お茶。少しお話ししない? ちょうど美味しいケーキもあるんだけど…?」
「え? お茶?」
 エレナはグレンに優しく微笑んだ。




************




「正直、本当に来てくれるとは思っていませんでした」
 グラムとの間に金属製の机を挟んで座る彼は、グラムの表情を伺いながらそう言った。
「本来、私が来る必要など無い。言いたい事が有るなら、手短に願おう」
「もう一度、会いたかったと言うのはダメですか?それに、聞きたいのはあなた達の方でしょう…?」
 不機嫌なグラムに、一刃の極めて冷静な答えが返って来る。
「元々、こんな取り調べ自体がナンセンスだ。聞く事など何も無い筈なのに」
「おしゃべりは嫌いじゃないです」
 この少年は何を言っているんだ?
 全く意図が掴めない。
 グラムは彼に問う。
「何故出撃た?」