VARIANTAS ACT11 花と鴉
彼女にそう言い残し、ミハエルは席を立った。
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意識の中に響く声。
『記憶の再生は完璧な筈だ』
誰だ?
『失敗では?』
何だ? 何を言っている?
『強制着床を行う』
あああああああああああああああああああああああ…
圧縮された膨大な情報が一気に開放される。
脳に直接熱湯を注がれているような痛み。
脊髄に電流を流されているような感覚。
彼は目を見開いた。
無言。
思考にブランク。
白いシーツ。
目の前に横たわる肌色の物体。
震えている?痙攣?
そうか…自分の腕か…
ぼやける視界の中、壁に掛けてある時計に目をやる。暗い部屋。
真夜中の3時。
彼は腕を動かした。
腕に電流が走る。
前腕に微かな圧迫跡…
グラムは、眠気で重みを増した身体を力ずくで起こした。
頭の中に、重りが入っている…
深呼吸してから部屋を見回した。
彼女の―
エステルの姿は無い。
彼はベッドから降り、洗面所へ向かった。
微かな明かりの中、洗面台の明かりのスイッチを見つけ、点ける。
鏡に自分の姿が映った。
彼は自分の顔を見つめた。脂汗をかき、酷く顔色が悪い。
「…ちっ…」
舌打ちするグラム。
彼はシンクに水を溜め、顔を洗った。
冷たい水が、汗を洗い流していく。
一息つき、彼は台に手をついた。
毛先とあごから水滴が落ち、シンクに溜まる水と一つになった。
「また…あの夢を見たのね…」
彼は顔を上げ、鏡を見た。
「暫く見ていなかったのに…ここに来てからずっとこんな調子だ…」
「…薬…持ってきてあげたわ…」
エステルは洗面台の上にピルケースを置いた。
「…この薬を処方したのは、エビング博士…?」
「…ああ」
「この傷痕も…?」
彼の背中には、幾つかの爪で引っ掻いた傷痕があった。
彼女はグラムの背中に寄り添い、少し背伸びをして、その爪痕に唇を沿わせる。
エステルの小さな舌先が、背中の傷痕を優しく撫でた。
「…エステル」
彼女は動きを止めた。
「…この戦争が終わったら、俺達はどう生きて行けばいい…?」
彼女は答えた。
「…わからない…私はただ、今を生きるだけ…今生きている事を感じる為に、貴方とこうしているの…」
肌に寄り添うエステル。
彼女がベッドの枕元に置いたミネラルウォーターのペットボトルは、時折差し込む月明かりの光を受けてきらりと光った。
Captur 3
「ふぁ~…」
ビンセントは大きなあくびをついた。
宿直室の硬いベッド上、寝ぼけ眼で腕時計を見る。
朝の6時。
目を擦り、ベッドから降りる。
通路を挟んだ向こう側にも、もう一つベッド。
レイズが眠っている。
「おい、レイズ…起きろや」
「うーん…」
目を覚まさぬレイズ。
「おい!」
「待てよぅ…サラ~」
のんきに寝言をかますレイズ。
ビンセントは一瞬顔を引き攣らせたが、すぐにニヤリッと笑った。
喉を押さえ、二、三回咳ばらい。
そしてレイズの耳元で囁いた。
「ねぇ…レイズぅ…起・き・て…」
サラに瓜二つの声。
速攻で飛び起きるレイズ。ビンセントは腹を抱えて爆笑した。
「うひゃひゃひゃひゃ!」
「うぇ?あ?え?ビンセントさん?」
「どうよ?一気に目ェ覚めただろ?」
「勘弁して下さいよ…」
「じゃあ、はよう起きろや…今頃グラムとエステルちゃんは楽しくデートだぜ?」
ビンセントは窓を開け、外の空気を吸った。
「俺、あっちの方がよかったなぁ…」
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[駐屯基地内 第4演習場 0700時]
いつからここに居るのだろう…
気付けばいつも、ここに居る。
きっと、時間的概念など通り越して、ちょっとした癖や呼吸と同じ感覚なのだろう。
目の前に広がる天周モニターとコンソールスクリーン、計器の群。
身体を包む、大袈裟なほど重装備のパイロットスーツ。
すっ、と短く息を吸う。
いつもと同じ。
いつもと?
実戦と…
「大佐…」
エステルの声。
「起きていますか…?」
「…なぜだ?」
訳を聞き返す。
「脳波が睡眠状態と同じでした」
睡眠?
そうか…
今までのは夢か…
じゃあ、今が現実?
全て夢?全て現実?
外の音は何も聞こえない。
HMAのコクピットにいて、分厚いパイロットスーツとヘルメットを着用していれば尚更。
「こちら官制室。試験機、聞こえるか?」
無線を通じ、第三者の声。意識が引き戻される。
やはり“現実”か…
「こちら試験機…感度良好…」
「これより無人機との実弾演習を行う。準備は良いか」
身体が生気を取り戻し、熱くなる。
“彼女”と、身体を重ねている時と似た感覚。
そう言う事か…
生きている事を感じるとは…
「準備よし…」
機体のシステムをアクティブに。
低い唸り声が、シートから骨を伝って鼓膜へ。
目の前にホログラフ。
スタンティクシムシステム。
「当機は地上部隊を制圧し、直ちに離陸。空対空戦闘を展開。空中部隊を殲滅した後、着地域の部隊を排除。着地完了後、戦闘終了とします。こちらの外部兵装、および内蔵火器の全ては実戦と同様です。敵機の使用する火器は全て模擬弾、ミサイルは徹甲体を外し、炸薬を減らしてあります。なお、敵勢力の詳しい情報は通知されていません」
エステルの落ち着いた声。
「了解した」
彼もいつも通り、冷静に、淡々と。
「戦闘開始三秒前、2…1…0!」
「リセッツクロウ…出撃る!」
脚部スラスターを噴射。
ホバー走行。
砂埃を上げながら、猛スピードで地上部隊へ迫る。
グリッドマップに反応。
敵勢力下へ侵入。
「敵機捕捉。前方、距離2000…」
遥か前方で火点。
「敵機発砲、着弾まで3…」
瞬時に回避行動。
機体のすぐ右を通る模擬弾。
「155mm…“パラディン”か…」
的を外した模擬弾は後方に着弾。
立て続けに迫る砲弾を、機体の機動力で回避する。
巻き上がる砂煙。
リセッツクロウの右手には、見たことの無い火器が装備されている。
目標を火器視界に捕らえ、一番近い機体をロック。
銃口を敵機へ向け、トリガー。
EPCから発射された眼に見えぬ鉄槌は、地形ごと敵機を貫き、上半身を丸ごと消し飛ばし、更に後方の地面をえぐり取り、大きな溝を形作った。
「EPC…プレッシャーカノンの簡易量産型…オリジナルの数%の出力だが…充分だな…」
グラムは攻撃を回避しつつ、トリガーを引き続けた。EPCから放たれる、地形を変える程の攻撃。
敵は155mmライフルを連射した。
立て続けに迫る模擬弾を、彼はいとも簡単に回避。
容赦無く、攻撃を叩き込んだ。
「IFF消失、6!地上部隊全滅!」
「戦闘所用時間、40秒!」
地上部隊を殲滅し、敵陣の中央を突破。
地面を蹴り、背部スラスターを噴射。
機体は地表を離れ、空へ。敵機は、上昇するリセッツクロウへミサイルを放った。
ミサイル捕捉。
モニターに映る無数のロックオンゲージ。
「上方からマイクロミサイル接近。数、30。赤外誘導です」
「スラスター全開…」
作品名:VARIANTAS ACT11 花と鴉 作家名:機動電介