VARIANTAS ACT10 砂の器
「はい?」
「私だ…ミラーズだ」
「大佐!?」
レイズの声が裏返った。
「御用件は…」
「飲みに行こう」
「え?」
「酒、飲みに行こう」
Captur 5
一人でいる事なんて慣れている。
今までもそうだったし、これからもそうだ…
なのに…
どうしてこんなに胸が苦しいんだろう…
『彼』の事を思うと、心の奥が熱くなって…
でも…駄目だって分かってる…
そんなんじゃ強くなれないって…
強くなるには、いろんな事我慢して、何でも頑張らなきゃ…
我慢して…
我慢して…
でも…その度に…胸が痛い…
************
シティーの北側に、『エリコの壁』と呼ばれる古い隔壁がある。
高さ1500mのその壁は、このドーム都市が建造された一番最初の時期、つまり『第一期造成』時に造られた、この都市で一番古いメガストラクチャーだ。
その壁の足元に、他の建物に隠れる様に建つ、古い三階建てのビルがある。
ビルの一階の外に、『BAR』とだけ書かれた小さなネオンサイン。
落ち着いた雰囲気の、渋い洒落た店だ。
「ストレガ一つ…クーラーで」
「…じゃあ、同じ物を…」
「かしこまりました…」
これまた落ち着いた雰囲気のバーテンが、手際よく酒をこしらえる。
「どうやら、邪魔をしてしまった様だな…」
「え?」
「部屋にサラを待たせているんだろう?」
「あ、いや…えーっと…あの、その…」
慌てた様子で口ごもるレイズ。
「お待たせしました…」
バーテンが、二人の前に置かれたコースターの上に、そっとグラスを置いた。
「えーっと…別に何かしていた訳では…」
「分かったから、飲め…」
「はい…」
レイズはグラスを持った。グラスの中を満たす、鮮やかな色の液体。
一口、グラスを傾ける。
口に中に広がる複数のハーブが醸し出し爽やかな香り。
そしてフルーツジュースの心地よい甘さが、彼の舌を喜ばせる。
一息つくレイズ。
彼は、心がすっと落ち着くのを感じた。
「男同士、お互い腹を割って話そう…」
グラムは、グラスを置いた。
「調子はどうだ?」
「ええ…まぁ…」
不確かな答えを返すレイズ。
「『ええ、まぁ』じゃ、わからん」
彼は意を決したかのように、答えて言った。
「…正直、どうしたら良いか分からなくなってしまいました…僕は、彼女を死なせたくない…でもそう思っていても、上手く伝わらない…挙句の果てには傷つけるような事を言ってしまった…僕は、男として失格です…」
肩を落とすレイズ。
グラムは、一つ溜息をついてから、彼に話し始めた。
「昔、一人のどうしようもなくくだらない男がいてな、…しかし、その男には一人の女がいて、いつも二人で暮らしていた。だが、ある日、女は姿を消した。ほんの些細なすれ違い…男のほんの小さな一言…たったそれだけで、二人の人生は変わってしまった…」
「………」
「男女関係に限った事じゃない…些細な事でも、大きな問題になる事がある…『我々』のような仕事をしていれば尚更の事だ…お互いに、大きな蟠り(わだかまり)を残して別れれば、人生に大きなしこりが残る…」
「どうすれば…」
「レイズ…人間は、行動して後悔するより、行動せずに味わった後悔の方が大きい…」
「大佐…」
「行動しろ…レイズ…そして成せ…」
グラムはそういうと、グラスの酒を飲み干した。
「それに…彼女は…」
「彼女…?」
「いや…なんでもない…」
言葉を濁すグラム。
「とにかく、今日は飲もう…レイズ!」
「あの、大佐」
静かな調子の声。
とても落ち着いている、迷いの無い声。
「僕は、あなたの部下でよかった…」
透き通った笑顔のレイズ。
グラムはそれを見て少し微笑んだ。
「今日は、私のおごりだ!」
「太っ腹!」
笑いながらグラスを傾ける二人。
彼らは、そのまま酒を夜中まで飲み交わした。
************
朝―。
いつもは、目覚ましのアラームが鳴るより早く目を覚ます彼女が、その日はアラームで目を覚ました。
正確には、起きようとした。
「…ん…」
ベッドの上で身をよじりながら、アラームのボタンを指先で捜し出して押し、目を擦りながら、体を起こす。
「…はんんっ」
背伸びをしてから、ベッドを降りる。
いつも通りの朝だが、いつもと違う朝…
彼女はカレンダーを見た。日付の升目が、×マークで潰してあって、今日の日付だけがぽっかりと空いている。
今日が研修期間の最終日…彼女は、深く溜息をついてから洗面所に向かった。
準備を調え、朝食を摂りに食堂へ。
何故だろう…
もの凄く、気が重い。
動作の一つ一つが、今日という日を削り取っているような気がして…
多分、今日が最後だからだと思う。
食堂。
偶然、レイズの姿を見つけた。
彼女は咄嗟に、自分の姿を隠しす。
思考に一瞬のブランク。
思い直す。
「何やってるんだろう…私…」
頭を抱えるアシェル。
一方レイズも頭を抱えていた。
『行動しろ、そして成せ』
列に列びながら、グラムの言葉を何度も反芻するレイズ。
心に留め、呪文の様に繰り返す。
「今日が最後だもんなぁ…」
自分で気付く。
最近、独り言増えたか?
疲れてるなぁ…多分。
************
彼女はトレーを持ち、列にならんだ。
なんか、食欲が無い。
ヨーグルトのパックだけをトレーに乗せ、席を探す。空席は無い。
また溜息。
最近溜息増えた?
心の中で呟く。
無視。
調度、二人組の男が席を立った。
良かった。ツイてる。
他の奴に席を取られないように、急いで座る。
座ると、目の前に一人の男が座った。
やっぱツイてない。
「あ…中尉…」
「レイズ軍曹…」
ツイてないと言うか、なんと言うか…
一瞬、目が合う。
直ぐに視線をずらす。
「私、やっぱ部屋で…」
「中尉!」
立ち上がろうとした彼女を、レイズは呼び止めた。
「あの…中尉…朝食くらい一緒にしません…?」
微妙な表情のアシェルは再び席に座った。
申し訳なさそうなレイズ。
二人は無言のまま、食を進める。
「(行動するって…どうすればいいんだろ…)」
「(…今日が最後なのに…)」
気まずい雰囲気の二人。
無言の二人。
「(行動…!行動…!)」
思考を巡らすレイズ。
「あの…」
「……」
「僕、中尉に謝らなきゃいけない事が…」
レイズは彼女の顔を見た。
ああ…またこの目だ…
悲しい目。
この世の一切合切を憂いでいるような、悲しい目。
「中尉?」
「私は軍曹に謝らなきゃいけない…偉そうな事言ったり…もしかすると、酷い事も言ったかも知れない…」
彼女は一瞬の空白を置いてから、彼に言った。
「ごめんなさい…」
「あっ、いやっ! 謝らなきゃいけないのは、僕の方で…! あの時、中尉にあんな事を言ってしまって…」
作品名:VARIANTAS ACT10 砂の器 作家名:機動電介