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【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-

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 殺し屋、五条五月の殺人は依頼人からの依頼による殺しであり、当然ながら重罪である。しかし彼女の生まれや境遇、殺してきた相手、元政治家や大物俳優等、が婦女暴行や少女売春をしていた疑いがあった為、また彼女が受けた殺人の依頼人を全て告白する事により、彼女の懲役はたったの九年で済む事となった。過去に例を見ない温情だったであろう裁判官は賞賛を浴びる事もあれば、批難を浴びる事もあったという(ちなみに花笠さんは殺人鬼による脅しを受けたという理由で、そして自ら出頭したという事実から、懲役四年で済む事となった)。
 九年と言っても、この国の刑法には「仮釈放」というものがある。簡単に言えば、刑務所内で大人しくしていれば、三分の一の期間が過ぎれば外に出てもいいよ、という制度だ。まぁ他にも、出た後の環境が更正に適しているかとか色々な監査がある。僕の部屋はその厳しい監査を通る事が出来たらしい。
 本日は五条五月が仮釈放される、その日である。

 刑務所の前で待っていると彼女がやって来た。三年ぶりの再会、以前見た白いワンピースを着ている彼女は、以前より背が伸びているような気がした。
「やあ、五条さん、お帰り。」
「名字で呼ぶなんて、随分よそよそしいわね。三年前はどさくさに紛れて、名前で呼んだくせに。」
 む、確かにどさくさに紛れたけど、言うの結構恥ずかしかったのさ。だからどういう呼び方にしようか、今日まで結構悩んでいたんだけど。
「…五月さん、お帰りなさいませ。」
「執事みたい。」
 ふ、と、彼女は笑った。三年前、僕が塗りつぶした彼女の魂は、すっかりもとの真紅に戻っている。色を変える事が出来ても、期間が経てば元の色に戻るのか。戻らないのは、死の色、黒だけ。
「配偶者として私を受け入れてくれるのは嬉しいけど、それが私をはめて刑務所に入れた本人というのは、なんだかやるせない気分になるわ。」
「中々痛いことを言うね、五月は。いいじゃないか、お似合いだよ。君も僕も、人殺しの『人外』だ。」
「雪人君も人殺しだと言うのに、私だけ刑務所に入っているなんて、不公平だと思わない?」
「否否、仕方が無いよ。罪を償うのはやぶさかではないが、残念ながら僕が人殺しをした事は誰にも証明出来ないからね。それに、その間僕は働いて部屋を借りて、貯金までしましたよ。」
 ヒロさんから紹介してもらった仕事だけどな…歩けるとはいえ、肉体労働が出来る程頑丈な足でもないし、その上隻眼じゃあまともな仕事には就けないだろうよと、ヒロさんの温情によって今の僕の生活があるのだ。実にありがたいが、まともな仕事かと言えば、そうとは言えないのが悲しいところではあるけど。
「五月の具合は大丈夫?」
「全然駄目ね。まぁ普通に生活する分にはちょうどいいのかもしれないけど。」
 三年前、血の流し過ぎで気を失う前後の事、僕によって色を変えられた彼女はパニックから自傷を行った。彼女が『牙』で握りつぶしたのは、自身の前腕筋、手首から肘にかけての筋肉を握りつぶしたのだ。前腕筋は手を握ったりする動作を行う為の筋肉で、彼女達の『牙』は前腕筋の異常発達によるものだったのだ。見た目普通の人間の腕と変わらないところから、筋肉の質がそもそも違うのかもしれないと言われていたが、ともかく彼女は自身の前腕筋を握りつぶす事で、自分の『牙』という脅威そのものを無くそうとしたのだ。青原雪人を傷つける気はないと、銃を向けた柏木弘人にそう伝える為に。
 しかしいきなり自傷行為に走られても、相手からしたら気が狂っているようにしか見えず、前腕筋云々も事前知識が無ければそんな理屈通るはずも無い。
 その考えに至った五条五月は、力を失った手で、再び自傷行為に走った。
 『牙』などなくとも容易に自傷が行える部位、彼女は両目を潰したのだ。
 見えない相手を殺す事は出来ない。パニック状態の頭でそう考えたのだろう彼女の行動は一瞬のうちに終了し、警察が彼女を取り押さえる時には既に彼女は視力を無くしていた。両の眼球を失った、病院で目が覚めた時、僕はそう聞かされた。

 ああ、やはり彼女と僕は似ている。自身がとんでもなく危険な存在であると認識し、眼を潰そうと思い至った事。
 でも、やはり彼女と僕は違う。結果として、僕は眼を潰せなかった事と、彼女は眼を失った事。僕は自分自身が怖くなって、眼を潰そうとしたが、彼女は僕の為に自身の眼を潰した事。
 それを聞いた時、ああなんて馬鹿な事をと思う反面、やはり僕とは違うのだなという尊敬の念も抱いたのだ。猫とライオンの例え、やはり僕は、ライオン等ではなく、猫なんだろうな。
 ともあれ、それらの自傷行為により彼女は『牙』の力の大部分を失った。人の筋肉どころか骨すらも微塵にするその握力は、それこそ肉食動物の咬筋力に比する程のものと考えられている。ライオンの咬筋力がたしか300kgを越えていた気がする。多分それ以上にあるのだろう。ちなみに動物で一番強い咬筋力の持ち主はナイルワニという鰐らしい。咬筋力は2000kgを越えていたはずだ。計測した事が無いので分からないが(学校の身体検査では思いっきり手加減していたというか、殆ど握らなかったらしい)、五条五月の握力は500kgはあったのではないかと見られている。ライオンより強かった。今では見る影も無い程に、握力は落ちているようだが。
「そうね、もう120kg程度に落ちちゃったわ。」
 それでも十分な気がする。というか僕の握力の四倍はある。
「十分でも、昔と比べると四分の一以下に減ってしまったら、かなり違和感を感じるものよ。」
「確かに、十分と言っても、前と比べちゃうと違和感を拭いきれないところはあるかもね。今までそれに慣れていたっていうのが、大きいところなんだろうなぁ。」
 高速道路で走った後に一般道路に戻る際、一般道路での通常スピードがもの凄く遅く感じるという。それでスピード出しすぎて事故が起きることもあるのだそうだが、まぁそれはおいといて、そういった相対的な感覚と絶対的な数字のギャップに、彼女は未だ戸惑っているのだろう。
「それにしても、こんな小さい手で500kgの握力が出せるなんて、にわかには信じがたいね。」
 右手で、彼女の左手を取り、それをまじまじと見る。
「…なんか、不自然な流れな気がするのだけど。私の手を握りたかったら、そう言えばいいのに。」
 うん、なんか感づかれたな。自然に手を取れた気がするけど、やっぱりだめか。
「否否、握ろうとなんて思っていませンヨ。」
 左の手で自分の尻ポケットを弄る。お、あったあった。左手で小さな箱を取り出して中身を出す。
「…なぁに、それ?」
「指輪。」
 銀色の、なにも飾り付けの無いリングを、彼女の左手の薬指に通した。
「貯金してたんで、あんまり高くないものだけどさ、やっぱり形式的には要るのかな、って思って。あぁ、そうそう、結婚してください。」
「…それ、前にも聞いたわ。」
 そう言って、彼女は自分の薬指に輝くリングをまじまじと見つめた。

 そう、見つめた。

 彼女は今、僕と同じく隻眼だ。
 三年前、彼女が自傷によって眼球を失ったと聞き、僕は頼んだのだ。
「僕の片目を、彼女に移植してくれ」と。