【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ-
BLACK
冷たい水を顔にぶつける。ぱしゃりという心地よい音とひんやりとした気持ちのいい水温が眠気を飛ばしてくれる。何度も顔にぶつければ、より眠気は冷めてゆく。昨夜は暑く、寝苦しいほどだった。寝不足と言うほどでもないが、いつも以上に今朝の眠気は酷かった。しかしこうやって洗面所で顔を洗えば無理にでも眠気は落ちると言うものだ。熱帯夜故に冷たい水が気持ちいい。
既に出しておいたタオルに手を伸ばす。重かった瞼もどうにか軽量化出来たようだ。白いタオルで顔面の水分を拭き取る。ごしごしと思い切り、顔の皮が伸びてしまうくらいにこする。十分に水分をとったので、タオルを洗濯機の中に放り込み、鏡を見る。一応髪型くらい整えておかないといけない。
鏡を見ると、自分の眼のことを忘れてしまう。
僕の認色の眼は人間の魂の色を見ることが出来る。魂は、頭の回りに浮いている湯気のようなもので、魂の色は、その人の人柄や性格を表す。相手のステータスが分かるのだ。これは人間に限った話で、動物には魂の色が無い。魂が見えないだけかもしれない。勿論、植物も昆虫も魂の色は無い。
しかし人間でも魂が見えない時がある。それがこれ、鏡だ。鏡に映った人間の魂は見えない。鏡に限った話ではない。定義としては「虚像の人間の魂は見えない」か「虚像に魂は写らない」のどちらかだろう。
例えば、テレビのアナウンサーや司会の魂は見えない。写真もそうだ。撮影機具では魂まで写すことは出来ないのだろう。もしくはレンズという虚像を通しているから、写らないのかもしれない。
レンズと言えば眼鏡だ。眼鏡は魂の色が見えない、と言うほどではない。虚像にも段階があるのか、ガラスのような透過性が生み出す虚像は魂の色は薄まって見える程度で済む。透明なプラスチック容器なども同じだ。サングラスは…試したことが無いから分からないな。
ともかく、鏡という虚像の人間を見たところで魂は見えないのだ。
そういうわけで、僕は自分自身の魂の色を見たことがない。鏡は勿論、水面に映る虚像も、写真も、夜の窓ガラスも、僕の魂の色を写すことはない。
十七年間生きてきた経験で、自分の色を割り出すことが出来るかもしれない、が、過去に性格から色を推理するようなことはしたことが余りない。色から性格を推理することはしても、その逆は殆どない。せいぜいニュースキャスターの色を推理する程度だ。しかしこれも絶対ではない。色から性格を割り出すことが出来ても、性格から色を割り出すのは至難だ。何故なら、大体の人は自分の本来の性格を隠し、当たり障りの無いように生きているからだ。偽りの可能性のある性格から、色を簡単に判断することは出来ないだろう。まぁ答え合わせをしたことがないから、本当のところどれくらい難しいのかはわからないけど。自分の性格は自分が良く知っているかもしれないが、その自分の考えた自分の性格が、自分の願望を無意識に投影しているかも知れない。実際の性格が自分の忌み嫌う物だから、都合良く解釈してしまうかもしれない。自分が一番、自分を知れないものなのだ。だから自分が何色か、なんて考えても無駄だろう。自分のことはわからないのだから。
故に、僕は自分自身の魂の色を知らない。どうやっても、どう足掻いても、自分の色を見ることは出来ない。もしかすると、自分の首を切り取って、自分を見れば色が分かるのではないか、と思ったが、魂は頭の回りに浮遊しているので首切り損である。
どうすれば、自分の魂が見れるのか、今は大学受験のことよりもそれに興味がある。
作品名:【完結】紅ノ姫君-アカノヒメギミ- 作家名:疲れた