僕らの日常風景
次の瞬間には、織が司のことを突き飛ばしていた。
細く見えてもフェンシング部の主将だけあって、思いっきり押したというのに後ろに数歩下がっただけ。
「どうして拒否するの?尚樹が嘉山の一番から脱落したんなら、その次に俺が来ると思ったんだけどな…」
「…ないじゃないですか…」
「え?」
「尚樹さんの事、嫌いになれるわけないじゃないですか!!今でも好きで好きで死にそうですよ!!」
口が元気になると足が力を失って、その場に座り込む。言葉が堰を切ったように出てきたのと同時に涙まで出てきてしまった。
「…やっぱり、それが正直な気持ちか」
ガラガラと生徒会室の扉を開けてはいって来るのは岡本先輩。
「ごめんな、嘉山。外で聞いてた。司、ちょっと演出過剰だ」
言いながら僕の腕を掴んで立たせてくれて、いつもの席に座らせられる。
「そう?でもこの位しないとダメだろ?」
ダメって…何が?
「悪い、嘉山の本当の気持ちが聞きたかった」
「こうでもしないと、絶対嘉山は本当の事言ってくれないと思ったんだよ、ごめん」
それだけ言って、その人は生徒会室を出ていってしまった。
真面目なほうの3年生の先輩とふたりきりで、残される。
「あ…えっと、嘉山」
普段あまり喋らない人だから、織になんて声を掛けていいのか迷ってる。
「とりあえず…泣くな…。」
背中をトントンとたたいてくれる。
「…すみっません…」
目を必死でこすって、涙を止めて、深く息をすって、鳴咽を止める。
「よかったら、なんでこんな事になってるのか、教えてくれないか?」
それを拒否するだけの精神力は、もう残っていなかった。
「…僕は・・自分が嫌なんです。いまだって、松下先輩がいなくなってよかったって思ってます。こんなこと、松下先輩の前じゃいえないから…。本当は…岡本先輩にだって言うべき事じゃない…」
「でも誰かにいわないと、自分がつぶれるだろう?」
その通りだった…。もう今にも潰れそうなのをぎりぎりで救ってもらった。
自分でもわけがわからない話を、目の前の人にぶつけてしまった。
最近、松下先輩のことを…妬んでいる。
松下先輩は完璧な人で…学校新聞にも一面全部使われちゃうような人で、しかもこんなに優しい人で…まさに皆が望む『生徒会長』…。
でも…自分はそんな人間じゃない…。
顔だって良くないし、古典は2がつかないか心配してる位だし、運動神経だっていいとは言えないし…しかも、こんなに心根も醜くて…。
生徒会長になんか、とてもなれない…。
松下先輩みたいになんか、とてもじゃないけど無理…。
言いながらまた涙を零れそうなのを必死で堪える。
「古典の先生にも次期生徒会長なんだからしっかりしろ、って言われます。生徒会長っていう言葉が、重荷なんです。でも、柿崎は部活が忙しくて、とてもじゃないけど会長職はできないし…僕がやるしかないって事も分かってるんです。
でも…生徒会長になれないって思う自分もいて…。何にもできない自分が腹立たしいんです、イライラするんです、自分に。どうしようもない。
でも、尚樹さんと一緒にいるときだけは忘れられるんです。尚樹さんは麻薬みたいです…。自分が辛いから、どんどん、どんどん尚樹さんが欲しくなるんです。
でも、それって僕が尚樹さんを利用してるだけじゃないですか…。自分の苛立ちを忘れるために尚樹さんを利用してるんです…そんな自分が許せないし、こんな事考えてるってバレて嫌われたくなかったんです…だから、距離を置いて欲しいって言いました。身勝手さも十分わかってます…
結局僕は、自分の事しか考えてないんです。」
言ってる事とは裏腹に、しゃべっていると心の中の暗いもやが、消えて行く感じだった。
「すみません、岡本先輩…尚樹さんや松下先輩には言わないで下さい」
「あぁ、もちろん。まぁ・・俺も司にいっつもコンプレックス感じてるからな…、わからなくもないかもしれないな」
…岡本先輩が…?
「昔から、ずっと成績も、走るのも一番だったよ、あいつは。でも俺はそうじゃなかった。司が一回でやってのけることさえ、何度も何度も練習しないとできなかった。必死でいつも司の後を追いかけてるんだよ」
…意外だった。いつも、松下先輩と岡本先輩は並んで歩いている気がしていたから。
「これ、司には内緒な?」
「…もちろんです」
全て話してしまって、信じられないくらい、気持ちが軽くなっているのがわかった。
でも一番の問題はまだ解決していない。
自分の身勝手で傷つけてしまった人に謝らないといけなかった。
「岡本先輩、一つ、お願いがあるんですけどいいですか?」
「何だ?」
「尚樹さんが、今どこにいるか調べてもらってもいいですか?」
織は携帯電話を持ってないからすぐに連絡がとれない。
孝志が携帯を出して、メモリから尚樹を呼び出す。
プルルルルと目の前の携帯電話から呼び出し音が鳴ると同時に、ピリリリリという音が、明らかに部屋の中から聞こえた。
孝志が『まさか』という顔をした。
音がした方、生徒会室においてある背の高いロッカーの向こう側を覗いてみると、こっちには『しまった…』って顔の人が一人。
「尚樹さん…」
「あぁ、ごめんな。ここにいるの誰にもばれんようにするつもりやったんだけど・・・。すまん、孝志。司にも謝っといてや」
「あぁ。まぁ、あとは上手くやれ」
そう言って、孝志が生徒会室を出て行く。
「さて、織」
「…はい」
「俺怒ってんねんで?」
「…すみません…」
「なんで怒ってるかわかるか?」
「…思い当たる事がありすぎて…」
わからないです…。
「俺が怒ってる事は一個しかあらへん…なんで最初っから俺に言うてくれんかったんや?」
それは…言って嫌われたくなかったから…。
「俺はなあ、織のこと全部好きやねん、どんなことあっても受け止める覚悟くらいあんねん。俺の前で隠さんといてや…。織が一人で悩どるの見るより、一緒に悩めた方が俺は100倍嬉しいねんで?」
肩をぎゅっと抱きしめられる。
もう…本当にこの人は、優しすぎる…。
「ええな?」
「…はい。ありがとうございます」
作品名:僕らの日常風景 作家名:律姫 -ritsuki-