プラネットホーム
太陽系惑星というその称号にはいくつかの副次的特典が与えられていた。
一、太陽系統治機構の最高意思決定会議に代表を一名参加させることが出来ること。
一、惑星間高速移動船(プラネットライナー)の乗り入れ口である「惑星中心基地=プラネットホーム」の建設が許されること。
そして、
一、惑星の守護者として『惑星の意志』に人の身を与えることを許されること。
惑星の名を冠し、人の身にその惑星の意志をのせた人ならざる存在、『惑星の意志』。人々の訪れと共に目覚め、人々と共に暮らし、共に笑い、共に汗をかき、共に泣き、常に人を見守る母なる存在。太陽系に九つしかない惑星、それぞれに一人しか存在しない『惑星の守護者』。男は少女をその名で呼んだ。
「いつまでも俺をガキ扱いするなよ……。もう知っているんだ惑星でなくなったこの星の意思である君がどうなるのか。プルート、君はあの船が出た後にその身を失う。もう二度と話すことも笑うこともできなくなる。君は世界のために身を引いたのに、世界は君から惑星の称号だけでなく、その身体さえも奪うんだぞ!」
男は抑えがたい怒りから我知らず立ち上がって叫んでいた。距離を置いたホームでは、人々が大きな荷物を抱えて次々と船に乗り込んでいく。
プルートは、依然として微笑みを浮かべたまま男を見上げた。
「大きくなりましたね、トンボ。ここに来たときはただ泣きじゃくるだけの赤ん坊だったのに、いつの間にか見上げるほど大きくなりました。」
「そ、そんなことは今はどうでもいいだろ! もう何時間もしないうちに、君は死ぬんだぞ!?」
トンボと呼ばれた男は、自分に迫っている”終”末を楽しい”週”末とでも勘違いしているのではないかと疑いたくなるような様子のプルートに怒りを覚える。なぜ、そんなにもへらへらしていられるんだ。君が一番、多くのものを失うというのに。
「う~ん、それなんですけど。あんまり実感ないんですよね。死ぬって、トンボは言うけれど、私にとってはあなたたちが来る前に戻るだけのことですし。」
プルートは微笑みを絶やすことなく語る。踊るようにくるくると回って、両腕を広げてみせる。彼女の背後、プラネットホームの半透明なドームの向こうに広がるのは、広大な緑。その果ての地平線にも青々とした森が見える。
「ね、素敵ですよね。この星も変わりました。今日で人はいなくなりますが、新しい生き物たちが暮らし、森が生まれ、生命がこの星に溢れています。以前はもっと静かで、それはそれで心地よかったけれど、私は賑やかなほうが好きです。」
トンボは言葉を失ってプルートを見つめることしかできない。
「もちろん、心配事はたくさんあります。西地区の京子ちゃんはよその惑星に行ってもしっかり勉強してくれるでしょうか。この星で一番の大工、巌窟王と呼ばれた巖さんの腰は大丈夫でしょうか。結婚したばかりなのに宇宙を渡ることになった大樹夫婦の二人は無事に新生活を送れるでしょうか。まだまだ幼い子どもたち、ケンくんにリュータくん、チヒロちゃんにユメノちゃん。仲良しな子たちが離れ離れになって、泣いてしまわないでしょうか。」
どの名前も、トンボは知っている。この星の事はプルートの次に何でも知っている。この星の住民のために、より良い星にするために、連日連夜この星を縦横無尽に駆け回ってきたのはトンボなのだ。その想いでは、誰にも負けない。
「……せっかく幼馴染として育ったのに離れ離れになってしまうセイくんとユズちゃんの将来はどうなるのでしょうか。他にもたっくさん。心配事には、きりがありません。『惑星の意思』(お姉さん)たちには事細かにみんなのことをお願いしたのですが、やはり心配です。」
心配事は全て、この星で生きてきた人々の行き先。この時になって初めて見せる、不安げな表情。プルートは本当に、自分のことをまるで心配していない。ただ元通りになるだけですよ、と。
「そして、一番の心配事は……、」
少女は寂しげだった目をきっと見開いてトンボの額にその人差し指を向ける。
「そう、誰よりもこの星のために生きてきた男の子が、その星を失って生きる希望を失ってしまうのではないかかと、心配です。」
厳しい視線で眉を立てて、プルートはトンボに迫る。
「トンボ、あなただけよ、次に暮らす惑星を決めていないのは。」
少女の瞳は突き刺すように男の瞳を捉えて放さない。
「お、俺にはもう……何もないよ。」
図星だった。人生を賭けると誓った夢は、もうこの宇宙のどこにもなかった。無目的に放浪して、危険な太陽系外探索船に乗ろうかとも考えていた。守らなければいけないものも何もない。いつでも守ってくれた人も、もうじき永遠にいなくなる。どうしようもなく、孤独だった。
「ちょっと、もう一回座って。」
プルートが無表情に告げたので、トンボは無意識にベンチに腰掛けた。目の前にプルートの幼い顔がある。
「この、ヘ・タ・レ!!」
平手だった。しかも言葉に合わせて右・左・右の三連打だった。乾いたいい音がして、トンボの頬は赤く腫れた。
「甘ったれないで、いい歳にもなって! 私は一緒に終末を迎えましょうなんて言った覚えはありません。あっさりと故郷がなくなって悲しいのでしょう? 自分の人生が否定されえたようで悔しいのでしょう? 共に生きてきたみんなと離れ離れになるのが寂しいのでしょう? それならば戦いなさい、男らしく正々堂々と。武力ではなしに実力で太陽系に訴えて見せなさい。この私プルートはあなたにそんなヘタレた生き方を教えた覚えはありません。」
少女の身を持つ、この星の意思の代弁者は言い切るとトンボの頭をやさしく胸に抱いた。齢にしていくつなのだろうか。いつ聞いてもはぐらかされてこの日まで来てしまった。しかしそれももう気にはならない。彼女は遊び相手であり、しっかりした相談役であり、大切な友人であり、いつでも見守ってくれた第二の母なのだ。胸からはひどくゆっくりとした鼓動が聞こえる。心臓の鼓動ではなく、この星の鼓動が。