天上の夢
それを聞くとアレクセイは、長櫃を開けて指輪や護符、珍しい形をした石などを取り出した。
「この羊皮紙の護符ですが、ここに書かれてありますものは地上から忘れ去られた神々を招来するための呪文でございます。呪文の言語そのものははるか太古のものであり誰にも読み解くことはできませんが、この護符を持っているだけで呪文の効果は発揮されます。またこの石は、あなたのおっしゃる神の祭壇のかけらでございます。とあるほかの神に仕える僧侶が祭壇を破壊した折に何か心惹かれるものがあったのか、この破片をこっそり持ち帰って磨いて形を整え、肌身離さず持っていました。しかしある日些細ないさかいからとある貴族に殺され、貴族は死んだ僧侶の持ち物の中からこの石を気に入って持ち去ってしまいました。この貴族もしばらくして嵐の晩に、神の怒りに触れたかのごとく落雷によって焼け爛れて死んでしまいました。その後この石は長い間路傍で他の石とともに野さらしになっていましたが、ある日とある魔術師がこの珍しい形を自然に出来たものとばかり思い込んで、これにて護符を作ろうといたしました。しかしその儀式の途中で魔術が暴発し、この魔術師は世にも恐ろしい死にざまを遂げたということです。石は息子によって多くの魔術道具とともに売り払われました。これは長い間骨董屋の片隅で眠っていましたが、私は偶然骨董屋でこの石と出会い、このような伝説に思い至ったということでございます」
「そんな話、今まで一度も聞いたことがないわ」
「左様でございましょうとも。私の役目は一度忘却の憂き目にあった存在を再び蘇らせ、昔日の栄光を取り戻させることなのですから」
アレクセイのうろんな言葉を、しかし彼女は信じたようだった。
「気に入ったわ。おいくらかしら」
そうエルトリードが言うと、アレクセイは喜んだ様子もなく奇妙な光を眼に浮かべた。
「いや、エルトリード様。私がここに示しましたものは数ある物品の中でもとりわけささやかなもの。こんど伺いますときには、これらよりずっと価値ある品物を紹介できようかと存じます。それまで熟慮なされてはいかがか」
「そうなの?」エルトリードはじれったげな声をあげた。「では、今晩というのはどうかしら。今晩私たちはイレーネの――侍女の勧めで儀式を行うのよ。それに参加するというのはどうかしら」
「実に興味深い。嬉しいお申し出でございますな。ですが儀式に新参者が参加してかまわないものなのですか?」
「私からなんとか言うわ」
アレクセイは礼を言うと、なにかを思い出したような顔になってこうつけくわえた。
「おお、それに加えて、少しお頼みしたいことがありました。よろしいですか?」
「何かしら」
「実は私、この都市に来て間もないのですが、この都市で活動している組合に入ろうとしたところことごとく断られてしまいました。彼ら曰く、誰かまっとうな家柄のかたに推薦をしていただかないといかなる組合にも入れないとか。しかし困ったことに私は旅の身の上。そのような方々とお付き合いがございません」
「それで、私に推薦状を書けと?」
「何と頭の回転の速いお方でしょう。そのとおりにございます」
アレクセイがあからさまなお世辞を言うと、エルトリードはうれしそうに頷いた。
「いいわ。私ごときの推薦でよろしいなら、すぐにでも書いて渡しましょう」私は彼女が軽々しく承諾しすぎではないかと思ったが、何も言わなかった。
「ありがとうございます」
アレクセイは立ち上がって、もうお暇しなくてはと告げた。するとエルトリードは急に恥じ入った様子になった。ごめんなさいね。こんなにひきとめてしまって。私はあまり人と関わらないものだから、つい礼儀というものを忘れてしまうのよ。アレクセイはその言葉にあまり心を動かされた様子もなく、そうでしたかと言っただけだったが、私はなにとはなしにその言葉を忘れ難かった。
エルトリードの屋敷を下がって、我々は再び商店の並ぶ地区に赴いた。アレクセイが今度立ち寄るのは骨董を扱う店や鉱物を売る店で、私は古びた品物の奇怪さや鉱物の冷たい美しさに目を見張っていた。
ある店では太古の王侯たちの墓からかすめ取ってきたかのような宝飾品が山のように積まれていた。紅玉の目をした黄金の蛇、緑柱石の指輪、七宝で飾られた有名な「蛇の舌」、銀の髑髏、琥珀金の鏡などの燦然とした輝きは、暗い店内を十分なくらいに照らしだしていた。あるいはほかの店では太古の昔から存在するがごとき様々な偶像が並べられていた。その多くは意味を推し量りがたい笑みを浮かべ、微笑んでないものはみな死を知らぬ瞑想の中に耽っているような無表情だった。
鉱物を商う店には洞窟の奥底から鉱床ごと持ち去られたありとあらゆる鉱石が眠っていた。眼も覚めるような青の藍銅鉱、刃のような輝安鉱、菱形の方解石、なんともいえぬ色合いの煙水晶などを私は眺めた。アレクセイはその中から小ぶりな稚拙な石像をひとつと、切り出されたままで削られてもいない色のない水晶、それに孔雀石をすりつぶした緑と群青の粉末を混ぜた淡青の色砂をひと袋ずつ買い求めた。私は石像についてはあまり良く思わなかった。というのも店にはもっと美しい、石膏や大理石あるいは象牙に彫られたものがたくさん置いてあったので、なぜわざわざこのような無価値なものを買うのか理解できなかったからである。
買い物が終わってしばらく街を歩いていると、日も暮れてきたので我々は屋敷に戻った。今度は制止されることもなく中に迎えられ、客間ではなく正面奥の広間に通されることになった。
「今晩は。あと少ししたら他のお客たちがいらっしゃるから、それまでお待ちになって」
エルトリードは広間で私たちを出迎えた。アレクセイが言った。
「ではそれまで商談をいたしましょうか。さまざまな品をお持ちいたしましたので、儀式の前にお見せできるとよろしいのですが」
それもそうね、と言ってエルトリードは広間の隅にある低いモザイク細工の卓と長椅子を示した。広間にはそれ以外の一般的に用いる家具は置いていなかった。かわりに中央には四本の太い支柱のようなものが立っていて、そこの四方には白い幕が吊り下げられていた。こちらにどうぞお座りなさってと言われたので、我々は長椅子に座り、エルトリードは卓を挟んで向かい側の長椅子に座った。
「まず、魔術の儀式に用いる色砂というものをご存じでしょうか。魔法円の上に撒くと儀式の力が強化されます。どうぞお手にとってお確かめください」
そう言うと二つの革袋に手を突っ込んで、さらさらと美しい青と緑の砂を見せた。実のところ、これは群青や孔雀石と言っても質の悪い屑石でその上どこにでもある砂を沢山混ぜたものにすぎないのであったが、青や緑といった色はやはり人目を引きつけるのだろう。エルトリードの興味をひかれるような顔つきを認めるとアレクセイは長櫃の中から重たげに石像を取り出した。
「しかし、このようなものはたいして価値のないものです。私があなたさまに心からお見せしたいと思ったものがこの石像で、まさしくあなたのおっしゃる古の神の祭壇に祭られていた神像こそ、これに他なりません。