天上の夢
噂によると何でも彼女は一般には知られていない古い神々を呼び出そうとしていて、古い神々にまつわる品物なら何でも喜んで買い取るらしいのよ。彼女、唸るほどお金を持っているからそういうのに浪費するわけ」
「古い神々?」アレクセイは目をしばたたいた。
「そうよ。私も何の事だか見当もつかないわ。でもとにかく、あなたが古い神々について何か言えば、上手くすればすぐに取り入ることができるかもしれないわね。私の名前を出すよりもその方がずっといいでしょう」
「ありがとうございます。ですが念のためにお名前を教えてください」
「私の名はマリアンよ。じゃあ、この袋は私のものね」
そういうとマリアンは銀貨5枚と銅貨6枚を取り出してアレクセイに渡し、麦角の入った袋を手に取るとすぐに酒場から抜け出していった。アレクセイは手の中の銀貨と銅貨をちゃらちゃらとゆすっては光に透かして見て、私に言った。
「ようやく面白くなってきただろう? 明日はさっそくその屋敷に行ってみよう」
私はそろそろ宿に戻りましょうと言った。だんだんと酒場の汚物の臭気が耐えがたいほどになってきたからだった。
翌日、市場が休みだったので我々は日が高くなってからそのエルトリードの屋敷に行くことにした。
通行人たちに地下室を持つ屋敷のことを聞くと、みなどの屋敷であるか見当がついたらしく我々は容易に屋敷までたどり着いた。屋敷は富裕な住宅の立ち並ぶ地区のはずれ、貧民の区域の隣に位置していた。その近隣は奇妙な空き地になっていて、身なりの良くない者たちが屋敷が貧困区側に接している路地にうろついていた。
我々はさっそく富裕な邸宅の通りにあるその屋敷の門を叩いた。
「何者だ」
無愛想な声で使用人らしき男が扉の内側から答えた。
「私は不可思議なる品物を扱う旅の行商でございます。エルトリード様はそのような品物をお集めになっていらっしゃるとお聞きし、なにかお気に召すものがあればとこちらに伺いました」
「またゆすりたかりか。帰れ。奥さまはそのようなことにかかずらうほど暇ではないわ」
「言い忘れておりましたが、私の商う品物の中には<古き神>にまつわるものもございます。いずれも奇妙な言い伝えを持つ品々。お買い上げにならなくても結構でございますから、話だけでも聞いてみるというのは?」
アレクセイがこのように言うと、扉の内側で奇妙な沈黙が続いた。かすかに誰かが歩いてくる音がして、なにか話しあっているようだった。
「奥様がそなたらの話を聞きたいと仰せだ。入れ」
使用人はますます不機嫌になった様子でそう言い、我々を邸宅の中に導きいれた。玄関には使用人頭らしい立派な風体をした初老の男と、地味な灰色と茶色の、しかし豪奢な絹の衣装を着た頬骨の高い、青白い顔の女が立っていた。
「私がエルトリードです。客間においでになって、ぜひあなたがたの商品を私にお見せください」
そういうと女は奥の階段を上っていった。使用人のほうは我々を、自分の後について客間に入れと言い、階段を上るのではなく回廊を右に曲がって進んでいったので、我々もその後をついて行った。
我々は冷え冷えとした客間に通された。長椅子にはクッションと絹が投げかけられていて、わずかなりとも冷たい印象を和らげようという努力が見られたが、この冷たさは絹やクッションやあるいは毛皮ですらも防げるものではなかっただろう。部屋全体が人の心に冷気を感じさせるような暗さを漂わせていたのだ。
しばらく待っていると、エルトリードが現れた。さいぜん見た時よりも少し身なりを整えったようだった。
「<古き神>にまつわる品物を売っているとは、本当ですの?」
「ええ。申し遅れましたが私の名前はアレクセイといいまして、行商をしつつ諸国を旅している者でございます。しかし、その前に少し話をお聞かせください。あなたの求める<古き神>とは一体どのような存在なのでしょうか。<古き神>、忘れ去られた神々と一口に言っても多くの神々がおわしますので、奥様は一体どの神を探し求めていらっしゃるのやら」
アレクセイがとぼけた顔でそう言うと、エルトリードは顔を輝かせた。
「あなたのおっしゃることはごもっともですわ。ただ私が<古き神>を求めているとだけ聞いて、役にも立たぬ品物を売りつけようとした詐欺師とはさすがに違いますわね。
この都市ではあらゆる神々が崇拝されているのはご存じでしょう? ですが、たった一柱の神の御名を唱えることだけは何人たりとも畏れます。この神こそ都市の地下におわしまする、まことの都市の主に他なりません。遥か昔にはこの神もまた他の神々と同じように崇拝されていたのですが、とある事件を境に信仰は廃れ、その神託所は破壊されてしまいました。そしてその神に仕える者の衣服は黒と決まっていたために、今でもこの都市の人間は黒を着ることが禁じられています」
「このお屋敷は街の中でただ一つ地下室があるようですね。それ何か関係はあるのでしょうか」突然思い出した、といった風情でアレクセイは聞いた。
「それを今から話そうと思っていました。私の先祖はこの神にいたく心酔していたらしいのです。ですから、この神の聖なる場所である地下を掘りさげて神の通路としたかったと聞いていますわ。結局その試みは無駄でしたけれど、無学な人々はいまだにこの屋敷を怖れますの」
「ほう。<古き神>についての品物を集め始められたのは最近とお聞きしましたが、なにか兆候はあったのですか?」
「ええ。そのことについてもお話しいたしますが、この件については他言無用とさせていただきたいのです。わかってくださいますか?」
「もちろんです。私は口が堅いことで有名ですから」
アレクセイが重々しく言うと、エルトリードは少し逡巡した後小声で喋り出した。
「私の侍女が、どうやらこの神に憑かれたと言いますか、とにかく接触を受けたようなのです。最初に気がついたのは、あの子が夜に呻いていたからです……私の耳元でしきりに苦しげな声をあげるので、私は驚いて彼女を起こしました。すると彼女は、<古き神>の御言葉を語りだしたのです。私の寝室は地下室の真上でしたから、彼女をそこで寝かせてしまった私が悪いのかもしれません……」
「失礼ですが、あなたはご自分の侍女を、寝室に寝かせているのですか? 使用人に対する扱いとしましては、常ならぬことと存じますが」
「私は侍女を、自分の姉妹のように思っていましたから。そして彼女は預言を始めました。神にまつわる品々を集め、それをもって儀式をすることによって<古き神>は再び人々の信仰を集め昔日の栄光を取り戻すだろうと。ですから私は藁にもすがる思いで<古き神>にまつわる品物を集めることにしました。この預言は私の先祖たちの悲願であったのですから」
アレクセイは、ごもっともというように頷いた。
「事情をすっかりお聞かせくださり、ありがとうございました。私はこの場にいくつか品物を持っておりますが、<古き神>にまつわる品物のうち最も重要なもののいくつかは私の泊まっている宿屋にあるのです。また時を改めまして、こちらに伺いたいと思うのですが」
「ええ。また来てくださってもよろしいですわ。でも、今持っている品々もお見せくださいませ」