天上の夢
この指輪はそもそも地上ではなく我々が地獄と呼ぶところで鍛えられ、魔術に長けた野心家の王が地上を征服するための助力を地下から呼び出すときに、召喚に応じた悪霊によってその王に授けられた破滅をもたらす指輪なのだ。王はこれをひそかに密通をしている己の寵妃に贈ったが、その効果を確かめる間もなく人を呪わば穴二つ、自分自身がおのれの使役する悪魔に食い殺されその名はおぞましい悪行のゆえに永遠にあらゆる文献から削除される運命となった。寵妃は懇意にしている魔術師に指輪の呪いとその扱い方を教えられていたために、王の死後も指輪を用いて敵に破滅をもたらし栄華を保っていたが、ついにある時うっかりと禁を破ったために破滅が降りかかり、彼女はほどなくして死んでしまった。しかしその際にその女は自らと敵対していた己の長男にこの指輪を送って復讐を遂げた。長男はそのために困窮と病苦に苦しみ短命な生を終え、その後親族の手によってこの指輪は売り払われてしまった。
この指輪は世に知られざるところで老若男女あらゆる人間に破滅をもたらしつつこの地上を放浪していた。というのもこの指輪にはその呪いの扱い方が付随して知られていたので、他人の破滅を望む人間はそれを強く欲しがっていたのだ。指輪はとある美しい村の娘に拾われ、彼女はその美しさと持っている指輪によって公爵の妃ともなったが、持っている指輪を手放さなかったために公爵の手によって非常に無残な最期を遂げた。しかし公爵はこの指輪を手にすることはできなかった。というのもすでにこの指輪は小間使いによって盗まれていたからだ。この小間使いは山賊行為によって金を貯めこんだ男と一緒になったが、指輪にまつわる呪いを聞くと恐ろしくなって近くを通りかかった行商に二束三文で売り払った。それがこの指輪であり、この指輪の呪いは、指輪をはめたり金銭によってやり取りされる以外のあらゆる贈与、強奪などによって降りかかるのだ」
身の毛のよだつような話であったが、それを聞くと男は参りましたとばかりに頭を掻いた。
「素晴らしい。私もそんな気がしてきましたよ。この指輪はあなたのものです。ああ、贈与はいけないでしたっけ。では銅貨1枚というところでどうでしょうか」
「いえいえ。では代わりに私の持っている護符と交換しましょう。それをあなたは別の場所で売ればいいのです」
そう言うとアレクセイは羊皮紙の断片を差し出した。男はそれを受け取ると椅子を降り、さっさと酒場から出ていってしまった。
「どういうことなんです? いったい何が起きたのか……」
「ただのイカサマ師だよ。私たち二人ともそうだったんだ。でも久しぶりに面白い話を聞いたな」
「なんだ。ただの嘘だったんですか。だったらあんな陰気な話なんてしなければよかったと思うんですが」
「まあまあ。人間は幸福な話と同じくらい、不幸な話が好きなものだよ。まったく面白いね、人間は」
私たちの周りで、目立たない灰色がかった外套を着た女がこそこそとあたりをうかがっていた。誰かを探しているのだろうか。
「何かお困りですか、奥方様」
アレクセイが彼女に声をかけると、彼女はアレクセイの傍に近寄って小さな声で言った。
「私、人を探しているんですの。背が低くて痩せている行商人で、いつもこの近くに座っているんです」
「ああ、その方でしたらさっき出ていかれましたよ。何か用事があるようでした。何かお困りなことがあったら私がお力になりますよ。偶然ですが私もまた行商ですので」
「ええ。ですがあの方くらいしか商っていないものがありますの」
「ほほう。安心してください。私は彼の知り合いで、口が固いのでどんな秘密もお守りいたしますよ」
「あら、知り合いでしたの。では話が早いわね。私たち都市の貧民は、女が子供をはらんでも必ずしも産んで育てられるというわけにはいかないわ。農民と違って子供がいればいるだけ働かせられるというわけでもないし。だから私は善意で女の子たちに……その、子供を孕まなくさせるような薬を処方しているの。もちろん、孕んだ後でよ。そのお薬をあの人から買っていたのですけど、あなたは用意できる?」
「ええ、もちろん」
そう言うと、アレクセイは懐から袋を取り出した。その中身は黒い爪のようなものだった。
「麦角です。もちろん使い方は知っていると思いますが、量を間違えると譫妄状態になって死にますよ。注意して使ってください」
女は頷いた。袋の中身を少し手に取って確認すると、財布に手を伸ばした。
「銀貨1枚くらいでよろしいかしら。もっと富裕なお客を診ればいいんですけど、私が相手にしているのはかわいそうな貧しい女の子なのよ。だから薬を処方しても患者が払えないことも多くて」
「そう言われましても、私もこのようにこっそり麦角を持ち歩き取引するというのはなかなか危険なんですよ。いつ警吏の手によって捕縛されるかわからないのです。ですから、少なくとも銀貨10枚は頂きたいものです」
「仕方ないわね。銀貨3枚では?」
「銀貨9枚ですよ」
「そんなに払えませんわ。銀貨5枚が限度」
「やれやれ。それでは銀貨7枚というところでいかがでしょうか」
「決まったわね。銀貨6枚よ。そうでしょう?」
「いいえ。銀貨6枚と銅貨6枚ですよ」
「なんて人なの! いいわ、わかったわよ」
そう言うと、女は財布から銀貨6枚と銅貨6枚を数えて取り出し、アレクセイの目の前に置こうとした。しかしアレクセイはそれを手で制止した。
「ああ。その前に、あなたは誰か有力者にお知り合いはありませんか? 私の同業組合への推薦状にサインをしてくれるような方がよろしいのですが」
「私の顧客を見てからそう言いなさい。知り合いはみな貧乏人よ」
「確かな筋を教えていただけましたら、銀貨6枚ぴったりで麦角を差し上げましょう」
アレクセイがそう言うと、女はすぐに考え込んでいる表情になった。
「そうねえ。頻繁にお付き合いしているわけじゃないけど、一人いらっしゃるわ。数年前にお屋敷を継いだ貴婦人よ。お屋敷は有名なのよ、この都市で唯一地下に部屋があるから」
「地下室は皆さんお造りにならないと?」
「そうなのよ。謂われはよく知らないけど、この都市の地下はなぜか恐れられているのよ。まるで都市のすぐ下が地獄であるみたいにね。貴婦人の話が聞きたかったら、銀貨5枚にしてくださる?」
「銀貨5枚と銅貨6枚でどうでしょうか」
「あなたと話していると疲れるわ。じゃあそういうことにしましょう。そのお方の名前はエルトリード。屋敷の場所は有名だからすぐわかるわ。地下室のあるお屋敷ということで、近くの住人には嫌われているのよ」いかにもうわさ好きといった感じに声をひそめて女は言った。それをアレクセイは商人らしい熱心さでもって聞いている、といった表情で質問した。
「ほほう。彼女はどんなものをお好みですか?」
「そうねえ。ああ、そうそう。この貴婦人は最近宗教儀式に凝りだしたの。しかも全く公認されていない宗教の儀式よ。これが庶民のやることだったら、すぐに牢につながれているところね。