天上の夢
我々は門のそばに陣取って長櫃を横たえて客を待っていたのだが、案の定市場を見に来る客は我々など見向きもせずに門をくぐって中に入り、そこに広がる豪華絢爛な世界に押し寄せた。私はすることもないので手持ち無沙汰にぼんやりとしていた。
「お客が来ませんねえ」
「見ればわかることを、いちいち口に出してどうするんだ。お前が暇なのはわかるが」
「そりゃあ深刻な問題ですから。客の来ない商人なんて、魔術を使わない魔術師よりも存在する意味がないじゃないですか」
「魔術を使わない魔術師に意味がないだって? お前は私が夜鬼か何かを呼び出せばいいとでも思っているのか?」
「そ、そんな無茶なことを。もっと穏やかで実用性に富む魔術というのはできないんですか? 鉛を黄金にするとか、天から雨を降らせるとか、何も無いところからパンを出すとか」
「他の人間はいざ知らず、私の魔術はそのようなことに従事するにはあまりにも高尚なのだ。お前の知識はあまりにも偏っているぞ」
「だったら、ここで魔術の道具を商っている多くの人々はどうなるんですか? 実利的な利益を宣伝し、魔術の技を競い合っているではないですか!」
「ああ、己の魔術の技を誇る者こそ災いあれ! だな。私に言わせれば彼らは愚かで、あまりにも愚かであるがゆえに彼らが愚かであると指摘するのも避けたいくらいだ。手から炎を出すだと? 傷をたちどころに癒すだと?」
私はこれらの言葉を、所詮は魔術師を名乗るアレクセイが思い通りにはゆかぬ世を拗ねて言っているものだと思って聞き流した。実際には彼は同業組合にも入っていない潜りの行商で、彼の軽蔑する者たちは社会で華やかな名誉と金銭に預かっているのだ。ついでに言うならば私はその潜りの行商の助手で、あわれな貧民の中でもさらに惨めな小僧、というのが私の現在の地位だった。
さて太陽が中天に達する頃が市の終わる時刻だった。用事も特にはなかったので、我々はいくつかある同業組合の会館を見て回りながら市内をぶらぶらと散策してみようということになった。
次第に大店ばかりになっていく大通りの店々を通り過ぎると、広場とその背後の古々しい市庁舎に行きあたった。この広場に面して、魔道具販売組合の最大手である<樫の森>の同業組合会館があった。
重厚な石の敷居をくぐると、つやつやと磨かれた黒檀の机と壁に掛けられた豪奢なつづれ織りが目に入った。机も織物も訪問者に威圧感を与えるかのように豪奢で、商人ではあってもどこか品位というものを感じさせた。すると机で何か書きものをしていた男が目をあげて我々を見た。
「何かご用でございますか。あなたがたは見かけない御顔ですが……」
「ええ。お尋ねしますが、あなたがたの組合に加えさせていただくためには、いかような条件がおありでしょうか」
「我らが組合に、ですって?」男は急に傲慢な口調になった。「ここはあなたがたのような新顔が入ろうとするところではありませんよ。加入金や上納金はもちろんのこと、すでに組合に入っているかたがた複数からの推薦がなければならないのをご存じありませんでしたか? それがわかりましたら、とっとと出ていってください」
私はこうなることだろうと思っていたが、実際このような言説を聴くとどうにも気分が収まらないのだった。アレクセイはあまり感情を感じさせない顔で言った。
「ええ、私はなにぶん遠方から来たもので、もちろんご存じではありませんでしたよ。加えて言うならば、そのようなあなたがただけに知られていることが、何も知らぬ外部の者たちにも知られているとご期待なさるのは非常識極まりないことだと私は存じております。商人というものは融通無碍をもってよしとする職業。仲間内の関係だけに閉じこもりなさりたいのであれば、他の職業に鞍替えなさったらいかがでしょうか」
アレクセイの言葉を聞いた男は、非常に短気な性分であったのか顔を真っ赤に上気させて我々に向けて持っていた筆を投げつけてきた。それをアレクセイはひょいとかわして敷居をまたぎ、そのまま広場に出て男の罵声の届かないところまで早足で歩いていった。
「危ないところでしたね。あんなことを言うから逆上するんですよ」
「予想したことだったが、それにしても妙な人間だったなあ。私はただ彼にたいして思ったことを意見しただけなのに、あれだけ我を忘れるとは。まるで卑猥な罵りでも聞いたようだったな。べつに大したことは言ってないのだが」
「あなたは多少他人と感性が違っていますからね」
それから我々は住宅街と商業区の境にある<鼬の銀貨>の会館に立ち寄った。小さな商店のあいだに建っているその会館は、<樫の森>の会館よりもみすぼらしかったが人の出入りが多く先ほどの会館よりも活気があるようだった。
<鼬の銀貨>の会館に入ると、奥から中年の女が出てきて出迎えた。女は我々に暖かな笑顔をつくって、いかがなさいましたかと言った。
「あなたがたの組合に加わろうかと思っていますが、どのような用意をすればよいでしょうか」
「それはあんたがたには難しいねえ。うちは他のところとは違って金持ち相手の商人しか受け入れるとかはしないんだが、やっぱり組合にいる商人の息子から先に入れることになっていてねえ。おいそれとどこから来たのかもわからないような男を加えるわけにはいかないんだよ。まああんたがたが既にたくさん儲けているとかなら話は別だけどねえ……」女はそのままにしていれば奔流のように話を続けそうだったが、アレクセイは手を振ってそれをやめさせた。
「私が儲からないのは明らかに、あなたがたが市内で商売する権利を独占しているからなんですがねえ。まあ、それはいいでしょう。でしたら、私が加入できると思しい組合を教えてください。まさかそれもお出来にならないというわけではありませんよね?」
女はちょっと考え込んだ。商売敵についての情報を提供するのに躊躇したのかもしれないが、単に我々のようなみすぼらしい人間を迎え入れるような組合が、すぐには思いつかなかったというだけなのかもしれないと私は思い直した。
「<鼠と猫>が、もしかしたらあんたたちを受け入れてくれるかもしれないね。あそこの商人たちはあんたたちと同じくらい貧乏で汚らしいからね。でも、どうなるかはわからないよ。向こうの判断だからねえ」
一応は我々に価値のある情報を教えてくれた女に礼を言って<鼬の銀貨>の会館を立ち去り、我々はさっそくその<鼠と猫>とやらに向かった。そこは都市の壁近くの裏路地にあって、小さくて崩れかかっているために見つけにくいという話だった。
住宅街を歩いていると、私はあることに気がついた。
「こころなしか建物が皆妙に高いんですが、どうしてですかね」
「ああ。市庁舎や他の建造物も天を衝くようだったな。それに、どの家にも地下室がない。地下室があったら足元にその小窓があるはずだろう? 私が見逃したのかもしれないが」
「地下室がない分高く築いたんでしょうか。しかし、いったいどうして?」
「さあ。ここの住民は地下室が嫌いなんじゃないのか?」