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天上の夢

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「物を切るためではないナイフの使い方があるんですか? まさか」
「だったら自分の目でよく見てみるがいい」
 そう言うと(それにしてもやはり大人げない)、アレクセイは懐からあの革の鞘つきナイフを取り出してきたが、私は知らないあいだにその木製の柄に何かが刻みこまれたことに気がついた。アレクセイがその鞘を取り払うと、ナイフの金属部分が青白く光り輝きはじめた。
「これだけではない。これは常に北の方角がわかるんだ」
そう誇らしげに言うと、アレクセイはナイフをあらぬ方向にむけた。どうやらそちらが北であるということらしい。
「ナイフがどうやったらそんな魔術の道具になるかは知りませんが、あのう……それだけなんですか?」
 私はアレクセイがナイフをしまい終わるのを待ってそう言った。
「それからやっぱり、それでもナイフは切れた方がいいと思うんですけどね」
「贅沢なことを言うなあ」
 アレクセイは憮然とした表情になった。
「ああ、でもそんなに光るんだったら、夜は灯火ではなくこれで明るくしてもいいかもしれませんね」私はそう言いながらも、あんな青白い光に照らされた部屋で書きものをして夜が更ける、などというのは御免蒙りたいとも思った。
「それはできないな。これは確かに便利だが、力を蓄えるのに長い時間がかかるんだ。一度使うと何時間も使えない。だから夜の蝋燭のかわりにはならないだろう。魔術というものには、常に代償が要るんだよ」
 そのとき、部屋のドアがどんどんと叩かれた。中年らしい太い女の声でこの宿の女将だと名乗り、宿の一階で盛り場のようなものをやっているが、我々はそこで食事する気はないかと尋ねた。アレクセイがドアの閂を開けると、そこから血色の悪い肥った女の顔がのぞいた。あんたらは下で商売をやりたいんじゃないかいと彼女は言った。ああ、わかってるよ。市が立ってないときに店以外で商売するのは法律じゃあ禁止されているけど、酒飲みたちのことだもの、大目に見てもらえるよ。うちじゃあやばい商品の取引はしないことにしているから、衛兵だってわかってくれてる。どうだい?
 アレクセイは頷いた。ええ、でしたら下に行きましょう。今日はそれほど商売には乗り気ではないんですがね。
 おかみはそれを聞くと喜んだようだった。ああ、うちの食事は旨くて安いよ。すぐにでも席を用意させるからね。そう言うないなや彼女は素早い動作で立ち去り、階段を下りて行った。
 我々が商売道具をいくらか持って階段を降りると、一階は確かに盛り場というにふさわしい無秩序な場所だった。酒を飲んでたらふく食べ、がなり声を立てる酔っ払い、給仕の女に手を出す男、喧嘩、そしてどこかから漂ってくる汚物と吐瀉物の匂い、それらすべてがあいまって私の頭が痛みはじめた。こんな下劣な、言ってみれば獣じみた人間あるいは人間じみた獣の巣窟を垣間見たのはこれが初めてであったので、私の魂は入ってくる感覚すべてに圧倒されてしまったのだろう。
 アレクセイはそんな私に気付いているのかいないのか、手近な卓を見つけて座り、二人分の食事を注文した。食事を持ってやってきたのはさっきのおかみだった。
「あんた、どこの組合に入っているんだい?」
「それが、私は遠いところから来て、まだ商売を始めたばかりでまだどこにも入っていないんですよ。いったいどこがいいんですか?」ここぞとばかりといったようにアレクセイが聞いた。
「どこでもいいけど、お金が要るね。大きなところだったらたくさん必要だ。あと、正式な結婚をした者しか組合には入れないのはいくら外国から来た人間でも知っているだろ? だから出生証明も必要だ。だが外国人ともなると……あんたらの出生を証明してくれる人間はいるのかい? できればお偉方と顔の利くような」
「ずいぶんと複雑なんですね」アレクセイは嘆息した。「もちろん、そんな人間はいませんよ」
「じゃあお手上げだね! だがどんな手を使っても、組合に入ることはおすすめしますよ。最近じゃあ新たに加入する人間をどんどんと制限しているようだから、厳しい世の中になってきてますけどね。でも組合に入らなければそれこそ商売上がったりですよ。あるいは、暗い片隅で禁制の毒やらなにやらを商う人間に転落するか……」
 アレクセイは何かを考えこみながら、おかみに礼を言い手にはさっき作った護符を握らせて彼女を立ち去らせた。
「どうするんですか、これから」
「もちろん、商売をしなくてはならない。組合に入るかどうかはわからないが」
「私の希望としては、不法で危険なことは出来るだけしたくないんですがね」
 肩をすくめるのが、アレクセイの唯一の返答だった。
 我々は特に他に話すこともなく食事を終えて部屋に戻った。アレクセイはまた作業を続けていたが、私はというと何本か針金を輪状に巻くとかそれくらいの仕事しかなく、遠目からアレクセイの仕事している姿を見ているうちに眠気を催してきた。またあのような悪夢を見たらどうしようとも思ったが若い私が睡魔に勝てるわけもなく、いつの間にか私は寝入ってしまった。

 翌朝、まだ日の出ていないうちに私は起こされた。目を開けたとたんに夢で見たような薄暗い部屋が目に入ったのはぞっとしたが、すぐにこれが夢ではなく、私を起こしたのがアレクセイであるのを知って安心した。
 急いで身支度をして長櫃を担いだアレクセイの後をついて都市門まで行くと、もうそこでは市場に店を出すことを望む行商たちが集まって役人の調査を受けていた。我々もそれに従って役人の調査をしばらくの間待っていた。私はそのあいだあたりを見回して商売敵となる商人たちの顔や様子を見ていたが、いずれ劣らぬ世慣れした雰囲気を持ち、扱う商品ときたら眼もくらむようなものばかりだったので、いったい我々は上手くやっていけるのだろうかと不安になった。
 二人の警備兵を連れた役人が我々の前に止まり、銀貨一枚を市場税として要求した後で荷物を見せるように言った。アレクセイが長櫃を地面に下ろして開けて中を見せると、役人は一瞥しただけで頷いた。
「組合の証書は持っているか?」
「いいえ。私はどこにも属していないもので」
「ならば都市の内部で商売をしてはいけない」
「なぜです?」
 役人は少し戸惑ったような顔をした。このような質問を受けたことは一度もなかったのだろう。
「都市の内部で商売するのは組合のみの特権だからだ。さっさと門の外に出ろ」
「そうでしたか。親切な忠告、いたみいります。ああ、それにしてもソムールの法はなんと冷淡なことでしょうねえ。私を、きわめてまっとうでお人よしの商人であるこの私を、野犬や狼と同じように壁の外に追いやって、哀れな人々のところに押し込めるのだから」
 この聞えよがしな暴言にいらいらしはじめた役人にアレクセイは丁寧なお辞儀をして、門の外に向かって歩きはじめた。
 門の外では確かにアレクセイの言ったように、商人というよりは貧民と言ったほうが的確である人々が群れをなしていた。彼らが黒ずんだ汚い手で商う品物は、都市の中で私が見かけた品々よりずっと粗雑なつくりで、お世辞にも購買意欲を発揮させるような代物ではなかった。
作品名:天上の夢 作家名:fia