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天上の夢

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 アレクセイの言葉に、ゴリアスはにやりと笑った。
「回廊の突き当たりに地下へと続く階段がある。行ってみるか?」
 そう言って広間を出ていったゴリアスの後を我々はついていった。突き当たりで彼は止まり、その床にはまった鉄格子を持ち上げた。
「さあ、ここが地下だ。とっくりと見るがいい」
 鉄格子のはまっていた穴を見たが、完全な闇に閉ざされた内部を見ることはかなわなかった。どうやら階段になっているらしく、アレクセイはそれを一段降りた。
「奥のほうに灯火があるから、そこまで行けば内部が見られるだろう」
 そう言われて我々はもっと奥に進んだが、アレクセイはふと止まった。
「どうしたんですか?」
「この先の段がないんだ。あとはずっと深い縦穴になっているぞ」
 そのとき、私の背中に衝撃が走った。私はバランスを崩してアレクセイにぶつかり、もんどりを打ちながら階段を滑り落ちて、それからどこか深いところに落ちていくのを感じた。
 ゴリアスのしわがれた声が、我々の頭上から降ってくるのが聞こえた。

 私は何か悪臭のする、柔らかいものの上に倒れこんだ。どうやらこのために、私は落下しても死ななかったらしい。濃密な闇の中で手さぐりすると、腐った藁のようなものが私の周りにあるようだった。
「おーい。生きているか?」
 アレクセイがどこかで喋っているのを感じて、私は言った。
「暗くて何が何だかわかりませんよ。どんな状態ですか?」
「私のほうはまあまあだな。暗いというのはたしかにそうだ。ちょっと待てよ……」
 アレクセイがそう言うと、闇の中に青白い光が生まれた。しかしそれは遠くまでは届かず、ある一定の距離になると闇に飲み込まれてしまった。
「あのナイフですか。思わぬところで役に立ちましたね」
 アレクセイの顔は青ざめた光のために不気味な印象だった。明るい緑の眼が闇に光るのを見ると、何とも言えない不快感を覚えた。
「私としては、方位磁針の働きのほうではなくこちらの方が役に立ったというのは遺憾なことなのだが。まあいいだろう。これで地下を調べてみようか」
「調べるよりも先に脱出したいのですが」
「まあまあ。ここが一体どんな場所なのか、知りたいとは思わないか?」
 私はしぶしぶアレクセイのほうに近づいていった。悪臭はどんどん強くなり、刺激で涙が出るほどであった。
「足元が暗いな。もう少し明るくするか」
 そうアレクセイが言うと、光は輝きを増した。それに照らされて、足元の腐った藁とその他の汚物の堆積が私の眼に映った。そして、私とアレクセイの間で折り重なった腐乱死体が青白い光のもとに浮かびあがった。
 それはまだかろうじて人間の原型をとどめてはいたものの、蛆にたかられて青黒く変色した肉塊だった。眼球は既に食われてしまったのだろう。にじみ出てきた腐汁によってそれの周りも腐食されているらしく、ところどころから白い小さな蛆が顔を出した。
「犠牲者の二人だ。我々のいない間に殺されたにしては、腐敗の段階が早い。いったいどうしたことだろうか……たしかにここは地下室としては暖かすぎるし、不潔ではあるが」
 アレクセイは死体にかがみこんでしげしげと眺めていた。私は猛烈な吐き気に苛まれたが、すんでのところで実際に吐くことだけは避けられた。
アレクセイは小さく声を上げた。
「後頭部に穴があいている。頭蓋骨の中身は空っぽだぞ」
「彼らは脳を持ち去ったというんですか?」
「彼ら? いいや、ゴリアス達はそのようなことをしないだろう。これは脳味噌を好んで食べる生き物が喰らったあとだ……」
「どういうことです?」
「うむ。やはり私の思ったとおり、地下には何かがいるのだろう。もちろん、<古き神>のことではないぞ。あのでっちあげの儀式について擁護する気持ちはない」
 私の本能はとっくの昔に危険を告げていたのだが、アレクセイの言葉を聞いてその感覚はより強まった。
「ここから脱出しましょうよ」
「ちょっと待ってくれ。私はもう少し隅々まで調べてから脱出する」
 アレクセイはそう言って奥の方へと行ってしまったので、私はひとり闇の中に取り残されることになった。
「もし、彼らの言う通りに<古き神>がこの地上にやってきたら、最後の日がやってきて地上のあらゆるものが滅んでしまうんですか?」
 私は得体の知れない不安を感じて、そう言った。
「さあなあ。私は知らないが」
「もし世界の真の姿がいまあるようではなく、理性も知性も本当はないのだとしたら? 神が気まぐれのままに力を振るうような……」
 ややあって、答えが返ってきた。
「なぜそんなことをいちいち私に言う? 人間の理性が私にとってあるのかないのかだと? ならばお前は私が理性などないと言えば、そのように振舞うのか?」
 私はそんなことはできないと言った。するとアレクセイは、それはお前の問題であって、私の問題ではないと言った。私がその答えを測りかねているうちに、アレクセイが戻ってきた。
「私には道具があるんだよ」
 アレクセイはそう言うと、手首に巻いた錆びた鎖を手に取った。それはあの天井の格子には届かないだろうと私は思ったが、彼はそれを上へと投げた。
 その一端が手に巻きつけられたままの鎖は、高く高く延びていってどうやら格子に巻きついたようだった。アレクセイは鎖を引っ張ってみて、それからそれを伝って登りはじめた。
「一体どうなっているんですか? その鎖は」
 私がそう言うと、アレクセイは答えた。
「種も仕掛けもないぞ。これはこういうものなのだ」
 鎖で空中にぶら下がったままそう言うと、アレクセイはまたよじのぼりはじめた。そして会談のところまでたどり着くと、鉄格子を動かそうと試みたようだった。
「中から外に開けるのが難しいな、この格子は」
「大丈夫ですか?」
 私は暗闇の中で死体を踏まないようにおそるおそる後ずさりをしながら言った。
「うむ。しかしもう少し力が必要だな。鎖を降ろすから上がってこい」
 その声とともに鎖が下がってきたので、私は両手でそれをしっかり握りしめて登り始めた。しかし足場がないために、どうにもうまく登ることができず私は鎖につかまったままふらふらと宙を揺れた。
 アレクセイが上から鎖を引っ張り、私のほうがじりじりと登り進めることによってようやく私は鉄格子の下の階段に立つことができた。
 鉄格子は外からは開けやすいが、中からは開けにくい構造になっていた。しかし蝶番のところは赤く錆び果てていたので、アレクセイはそれを壊して開けようとしていたのだ。
 何度か挑戦して、ようやく鉄格子を取り除くことができた。私は何とか地上の空気を吸うことが出来たことに安堵した。
「月は、もう出ているかもしれないな」
 地下から這い出してきたアレクセイは周囲を見回しながら言った。
「彼らの儀式は始まっているぞ。急げ」
 我々は回廊を戻って広間へと歩いていった。不思議なことに、回廊にもどこにも使用人の影すら見当たらなかった。
 扉を開けると、異様な光景が目に映った。何人もの横たわった人々とゴリアスらしきまだ自分の足で立っている人影、それらと重なり合って存在するかのような不定形の黒い半透明の存在が、ふと体の一部を長々と伸ばした。
作品名:天上の夢 作家名:fia