天上の夢
「つまり、私が死体をここのどこかに隠した、そう言いたいのですか?」
私はここで、エルトリードはアレクセイがまだこの屋敷のどこかに死体があるだろうと言う前に、そのことを前提として物事を考えていると気付いた。腐敗臭は腐った肉や死んだ動物から出ているのかもしれないし、(実際にはこの屋敷でしか腐敗臭はしないのだが)どこか他のところの悪臭がここまで漂ってきたという可能性もあるのに。
「ああ、奥方様。あなたはなぜご自分が殺人を行い、その死体を屋敷のどこかに隠したというかのように振舞っておられるのでしょうか。確かにあなたは殺人のことを御存じです。ですが、私はあなたに疑いをかけているわけではありませんよ」
「いったい何を言っているのです?」
「まずお聞きしたいのは、いったい誰が殺されたかということです。あなたのお屋敷にいた使用人たちの顔触れが変わっていますが……」
「それはゴリアス師が変えたのよ。彼らはまったく私たちのしていることに理解を示さず、古い世界にしがみついているだけだから」
「ですが、彼らはあなたの使用人だったのでしょう? やれやれ、あなたの言い分がもし正しければ、あなたに人を使う能力はありませんねえ。ですが、おいそれと解雇することのできない人間もいたはずですよ。たとえば使用人頭のメナスどのとか」
「あなたには関係ない話でしょう!」
アレクセイはため息をついた。
「わかりました。私は別に真実を知ったところでどうというわけでもありませんし、あなたが拒否なさるなら何もできません。しかし、あなたはどこか、現実というものを誤認なさっているようですね
「どういうことです?」
「いいでしょう。あなたはいったいなぜ、<古き神>をこの地上に招こうとなさっているのですか? 家柄ではなく、あなたご自身の事情が関係おありだと私は思いますが」
「そうやって、あなたも私を狂人扱いするのね。イレーネに<古き神>が訪れたのは半年前の話です。私は最初疑心暗鬼だったけれど、でもイレーネに憑いた神は本当に奇跡を起こして見せました。たとえば未来を予知したり、知るはずのないことを知っていたり。ところが、神に憑かれるということは人間、特に若い少女にとってはひどい苦しみなのです。彼女は自分の力が制御できなくて、ひどく苦しんで暴れ出したりすることもありました」
「イレーネがそのようになる前は、あなたとどのような関係にあったのですか?」
「あんな娘に会ったのは初めてです。一目見たときから、その気品に魅かれました。もともとちゃんとした家の娘だったのですが、不幸なことがあって侍女として自分自身が稼がなければならないような状況に陥ったと聞いています。そういうことでしたから、私は彼女をまるで自分の妹のように扱っていました」
「彼女が美しくて、魅力的だったから?」
エルトリードは顔を赤らめた。
「それもあります。でも、本当に彼女の役に立ちたかったのです。こんなこと、他人に言っても誤解されるだけなのでしょうね。嫁ぎ遅れた私が侍女を可愛がっているなんて……世間ではさぞかし物笑いの種でしょうね。私にとっては彼らなんて、わずらわしい以外の何物でもないのですけれど」
「それが理由ですか。世間に愛想が尽きたから、<古き神>を呼びたいのですか?」
「それもあるのかもしれません。しかしそれより、あの子がそれを信じているから、私も信じたのだと思います。この世界ではない、どこか他の世界を考えるというのはとても素晴らしいことなのだと思います。たとえば、天上の世界のような」
私の心に、とっさに目の前の哀れな女性への同情心、そうでなければ憐れみに似たものがこみあげてきてたまらなくなってしまった。そう説明するしかないことに、私は
「しかし、イレーネはあなたを裏切っています」
と言ってしまった。そう言うとエルトリードは一瞬びくりとしたが、すぐに笑いだした。
「何を言っているの? どうしたら、彼女が私を裏切れるというのかしら。儀式が終わるたびに、彼女は震えて何日も寝込むのよ」
そのとき、アレクセイが我々の会話に割り込んだ。
「ところで、ゴリアス師とお話がしたいのですがどちらにいらっしゃいますか?」
「部屋にいるわ。私が案内するから」
エルトリードの後について、我々は二階のゴリアスの部屋の前に行った。エルトリードが扉を叩いて開けると、なんとそこにはゴリアス師の足元でしどけない格好をして膝まづいているイレーネがいた。
「イレーネ! いったいなんてはしたない格好をしているの?」
エルトリードがそう叫ぶと、イレーネは何も言わずに我々の背後の扉からするりと抜け出ていった。あっけにとられていたエルトリードは、我にかえって彼女の後を追った。
女性たちが出ていくと、後には我々とゴリアスが残った。
「まだ茶番を続けていらっしゃるのですか?」
アレクセイはゴリアスの面前に立ってそう言った。
「茶番ではない。神聖な儀式だ」
その口調には、先日会ったときにはなかった不気味な真剣さがにじみ出ていた。
「先日会ったときとはご意見がまったく違うようですが、いったい何があったのでしょうか」
アレクセイがそう言うと、ゴリアスはより尊大になった眼差しで我々を見据えた。
「<古き神>から私に天啓がくだったのだ。我々のやっていることこそ、神をこの地によみがえらせる唯一の神聖なる儀式だと。そして、神は私に儀式の方法を授けられた。私こそが、神の代理人である」
何ということだろうか。私はぞっとした。我々は一介の詐欺師と話をしていると思っていたが、実際には一人の狂信者と話をしていたのだ。
「ほう。しかしイレーネが神の言葉を伝える役目ではありませんでしたか? 彼女があなたの何であるかについて、私は知りませんが」
「あやつはただの下僕だ」
「神ではなく、あなたのお言葉を伝えるという意味でですか?」
「そして私の言葉は神の言葉だ。どうでもよいではないか。重要なのは、時間がないということだ。我々には多くの悪意が向けられている。多くの人々は我々の試みを妨げようとしている。この邪悪な世界で、我々だけが聖なるもののために働いているのだ」
「どうやら、金銭にお困りのようですね。そのために焦っておられるようだ
アレクセイがそう言うと、ゴリアスは顔を紅潮させて怒った。
「私の言葉を信じないのだな。愚か者め――悪魔の手先め! この屋敷から追い出してくれるわ」
「私たちもこの屋敷から出たいのですが、事情がありまして。女主人どのの推薦状が私たちには必要なのですよ。今日受け取ろうとしたのですが紛失してしまったご様子なので、無駄足を運んでしまったということです」
「あの書類が必要なのか?」
ゴリアスはにやりと笑って言った。アレクセイがええ、と言うと、ゴリアスはしばらく考え込んでからこう告げた。
「ちょうど人数が二人減っていたところだ。お前たちがこれから神がやってくるまで儀式に積極的に参加すると約束するなら、あれを渡してやる」