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天上の夢

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「それはなあ」アレクセイは遠くを見つめる目で、懐かしげに語りはじめた。「人間よりかなり大きくて、黒っぽい粘液のかたまりのような生物なんだ。強いて形容するなら、タールでできたアメーバといったところか。眼も鼻もないが、なにか用を足すために形が変わってさまざまな器官を作り出すこともできるのだぞ。すごいだろう。知能は低いが、何より生命力が強い」
「聞くだけでもおぞましい生物ですね」私はありったけの嫌悪感をこめて言った。
「なに、人間の目には見えなくすればいいだけの話だ」
「そういうことを言っているのではないんです。ここは人間社会なんですよ? そんな危険なものがいたら我々の命が危ないんです」
 アレクセイは、そんな一度反乱をおこしたぐらいでアレルギーにならなくても、などとわけのわからないことを言っていたが、また短剣などに装飾を施す仕事に戻った。そうこうしているうちに日が傾いてきて、そろそろエルトリードの屋敷に行こうという話になった。
 屋敷の前まで来て扉を叩くと、先日のような初老の男ではなくもっと若い、あまり感じのよくない声で誰だ、という応えが帰ってきた。
「行商のアレクセイと申しますが、こちらに今晩招待されたので参りました」
 そう言うと、いかつい男が扉を開けて我々を中に導きいれた。屋敷の中の空気を嗅いだ瞬間、私はそのよどんだ悪臭に眉をしかめた。それほど強烈というわけではないのだが、この前来たときには全くなかったはずの肉の腐敗臭のようなものが、どこからか漂っていたのだ。
 周囲を見回すと、窓という窓が内側から厚い布で塞がれていた。これは妙なことだった。というのも、窓の外側には当然夜には閉める鎧戸があるのだ。もちろん室内の装飾のために布をかけたのかもしれないが、それにしては美しくもない粗末な布だった。
「いったいなぜ、彼らはこのようなことに耐えていられるのだ?」
 アレクセイがこっそり言った。私がにおいに気付きましたかと言うと頷いて、お前はただ肉の腐った臭いだと思っているだろうが、これは死臭だぞと言った。
 私は青ざめた。いったい誰の死臭で、どこにそれがあるのか。しかしそれはアレクセイにもわからないらしかった。
 使用人は我々の会話には気がつかなかったのかあえて無視していたのか、我々を広間に案内した。広間にはまだ誰も来ていないようで、使用人は女主人を呼んでくると言って出ていくと、我々だけが残された。
「一日こない間に、色々なところが変わってしまったな」
「使用人の顔触れが変わりましたね

「うむ。それに関しては誰の差し金かはわかっている。しかし、この臭いはおかしいな。先日はこんな臭い、まったくなかったぞ」
「我々のいない間に、何かが起こったんでしょうかね」
「おそらくそう考えるべきなんだが……時間的に合わない。こんな短時間で腐敗臭が充満するなど、普通は考えられない」
「では先日こちらに来たとき、もう死体があったとか……」
「さあ、どうだろうな。これほど臭いが充満しているのに、換気をしないというのもおかしな話だが」
 そのとき、広間にエルトリードがやってきたので我々は話すのをやめ、彼女に会釈をした。
「今晩は。また来てくださったのですね、預言のとおりに」
 エルトリードはどこか幸福そうだった。今のこの屋敷の不穏な雰囲気と、彼女の血色のよい笑顔はなんとも相容れない印象だった。
「預言のためと言うよりも、私は商売のためにこちらに参りましたのですがね。ところで、推薦状を頂けるでしょうか。せかすつもりではありませんが、私とてもいつまでこの都市にいるかがわからないので」
「ああ、そうだったわ。部屋に戻って持ってきますので、少々待っていてくださる?」
 そう言うと、エルトリードは広間から出て行き、しばらくすると困った顔で戻ってきた。
「ごめんなさい。書いて机の上に置いたはずなのだけれど、無くなっていたわ。まだ時間はある?」
「ええ、ございますとも」
「だったら、もう一通書くのでもう少し待っていてください。遅くても明日までには書けると思うので」
 わかりました、とアレクセイは物わかりよく言ったが、内心はあまり良く思ってはいなかったのだろう。
「しかし、書きあがった推薦状がなくなるというのも物騒な話ですね。誰かに盗まれて利用されるということも考えられますので、お気を付けください」
「それは大丈夫ですわ。部屋には誰も入れません

「ですが、イレーネはもちろん、あなたの部屋に出入り自由ですよね?」
 そう言うと、エルトリードは笑った。
「あら、彼女を疑っているの? その必要はありませんよ。あの娘はそのようなことをする人間じゃありませんから」
 アレクセイはそうですか、と言うと荷物の口を開けて中から様々な道具を取り出した。
「ところで、今日は儀式に使用される道具を仕入れました。魔術剣に空気の短剣、水の杯、渾天儀など色々取り揃えましたので、ごらんください」
 そう言って彼はエルトリードに剣を差し出した。
「魔術剣と言いますものは、魔術師が術の途中で襲いかかってきた悪霊を脅し払うためのものでございます。古代の高名な魔術師であったズガウバは偃月刀の刀身を清めてこれを作成いたしました。さ、お手に取ってください」
 エルトリードは両手で剣を受け取った。彼女は持ち慣れていない様子で剣を見回していたが、なにかに気付いた様子でそれを卓の上に置いた。
「ごめんなさい。私がうっかりしていたのだけれど、もう少ししないと地所からの収入が入ってこないの。ないわけではもちろんありませんけど、少し待っていてくださる?」
「かまいませんよ」アレクセイはこう答えたものの、エルトリードはどこか居心地悪そうな雰囲気だった。
「ああでも、その剣だけはゴリアス師のために買っておきます。それくらいのお金はあるわ。いくらかしら」
「銀貨30枚ほどになりますが、よろしいでしょうか」
「ええ。では後で私がお金を持ってきますから、それまで待っていてください」
「わかりました。一つお聞きしたいのですが、いったいなぜこの屋敷は窓という窓が内側から塞がれているのですか?」
 エルトリードはにっこり笑った。「外界にいる悪魔たちが、中に入ってこられないようにするためですわ」
 明らかに常軌を逸した言葉に、私は鳥肌が立った。
「悪魔たちとは?」
「私たちの儀式、<古き神>の復活の儀式を妨げようとする無数の悪魔たちが、我々に害をなすのです。ですからそれに気付かれたゴリアス師が、窓を内側から塞いで光とともに悪魔がやってくることを妨げることをお考えになったんです」
「なるほど。もう一つお聞きしたいのですが、この臭いはいったい何ですか?」
「臭い?」エルトリードはまったくそれに気付いていないような顔をした。「私は感じませんが」
「ですが、私たちは感じるんですよ。肉の腐敗臭と言いますか、あるいは死臭……」
「どうしてそんなことを言うんですか! 私の屋敷に死体があるとでも?」
 エルトリードは突然蒼白になり、感情の高ぶった声でそう言った。
「そのようなことはまだ申しておりませんよ。そもそも、あなたが知らないうちにこの屋敷に死体が遺棄された、など、そうありえそうな話ではございませんし」
作品名:天上の夢 作家名:fia