天上の夢
「いくらがよろしいですか? このような品物というのは、値段を付けるのが難しいのですよ。一方ではひどく欲しがる人間がいて、もう一方では全く興味を持たない人間がいるものでして」
「いくらでもお出しいたします。あなたのお望みのように」
「このような品物は千金を積んだところで、望みの物が手に入るというものではございません」アレクセイはかた眉をちょっと吊り上げて言った。「出会い、というものが大変重要なのでございます。そうですね。ではこの石像と水晶は銀貨50枚ずつでお譲りいたしましょう。護符と石は、大したことのない品物ですので銀貨10枚ずつ。いかがですか?」
「そんなに安くていいんですの? 貴重な品物ですのに」
「これらが貴重な品物とわかるのはあなた様を含んだごく少数の方々にすぎません。他の人々にとっては、これらはただのガラクタと同じ価値しか持たぬのです。ですから、私がこれを仕入れ、輸送した費用にいくばくかの儲けを加算したこれくらいの値段が適正なのですよ」
エルトリードは手をあげて広間の入り口に控えるあの使用人の頭らしき男を呼んだ。
「メナス、銀貨を120枚こちらの方にお渡しして」
彼はかしこまりました、と言いつつもこちらをじろりと睨んできた。怒りと不満と不信の混ざった眼は、明らかに我々を詐欺師と見抜いた眼だった。メナスが広間から出ていくと、エルトリードが言った。
「ごめんなさいね。彼は私の父親の代から仕えていて、ちょっと頭が固いのよ」そう言うと客人の男女がげらげらと軽蔑したように笑った。
「私は小さいころから、父親に<古き神>のことを聞かされていました。だから<古き神>が地下から再びこちらにやってきても、あまり恐ろしいとは思いません。多くの智者が警告するようにこの儀式が成功して、神が招来されることがいかに恐ろしくもおぞましい結果を招くのだとしても、恐ろしくもおぞましいのならば今のこの世もおなじではございません? 晩年の父がそう絶望したように……ですから私は、天上の夢だけを追って生きていきたいのです」
そのとき、革袋を持ったメナスが広間の入り口に現れて言った。
「イレーネがやってきました」
それを聞くとエルトリードの青ざめた頬にかすかに薔薇色の血の気が浮かびあがってきた。
「まあ! それでは儀式を始めなくてはね」
広間の扉から、年の頃は私と同じくらいのほっそりした少女が入ってきた。私はその少女の姿に心を奪われてしまった。肌は白く美しく、エルトリードが青白い肌としたら、少女の肌は輝くような白だった。着ているものもゆったりした、<古き神>の祭司以外には許されていないはずの黒い衣装で、結んでいない金髪が滝のように背中に流れていた。どこか遠くを見やるような、あるいは自分の思考にのみ視線を合わせているような焦点の定まらない半眼で、彼女は言った。
「皆さんお集まりのようですね。用意はよろしいでしょうか」
人々は儀式の準備をしはじめ、卓や椅子を移動させたり色々なものを四本の柱の周囲に配置した。それを縫うようにしてメナスはアレクセイに近づいた。
「これを持ってどこかに失せろ」
そう小さな声で鋭く警告を発すると、アレクセイに銀貨の入った袋を押しつけた。そのようなことがあるあいだ、少女は椅子を四本の柱の中央に置かせてそこに座った。ゴリアス師は広間の蝋燭を柱の近くの一つのみを残してすべて消してしまったので、闇の中で身をよじるように揺らめく光と影が現れ、これから奇怪な儀式が始まることを我々に告げた。
ゴリアス師はどこからか大きな盃を持ってきて、そこに指を浸して柱の周りに円を描いた。
「朝の訪れを告げる雄鶏の血で、われらは招来の円を描かん」
彼が重々しくそう告げると、エルトリードが言った。
「ではその上にこの砂を撒いて、円の力を増しましょう。アレクセイどのが言ったように」
これを聞くとゴリアス師は、薄暗い中でもそれとわかるくらい憎々しげな視線をアレクセイに浴びせた。
「どうやら、魔術のことをよく知っておいでのようですな。浅学な私はそのようなこと、聞いたこともありませんでしたが」
「ええ。これはとある魔術の徒のとある一派が始めた、ごくわずかの人々にしか知られていない手妻ですから」厚顔無恥とはこのことだろうかというようにアレクセイは答えた。ゴリアス師は仕方なく色砂を血の上に少しずつ載せ、円を完成させた。
「<古き神>がこれから私に憑依します。ですがその前に、あなたがたが心を一つにして神の招来をお助けしなければなりません。香炉の煙が広間に漂うまで、私の唱える文言を一緒に唱えてください」
後から考えてみると陳腐な文句なのであるが、少女の神がかった美しさと暗闇がそれを覆い隠していた。彼女が誰かに炎の中に飛び込めと命令したら、本当に飛び込んでしまっていただろう。
ゴリアス師はどうやら広間の隅においてある香炉に火を点けたようだった。薄い煙が甘い匂いとともにこちら側に漂ってきた。
「私たちは、<古き神>の御力を信じます」
皆がそれを反復して、「信じます」と言った。アレクセイは私にこっそり耳打ちした。
「暗闇、反復作業、薬物。洗脳の基本的な手順だ。彼らはなかなかに本格派だな」
「いかに多くの神々が崇められていようが、真の神は汝のみ」
いつの間にか少女の姿は、柱の幕の陰に隠れて見えなくなっていた。
「<古き神>は崇拝せぬ者には滅びをなすが、まことの僕には栄光を約束なさる」
私のところに何やら得体の知れぬものが入った盃が回ってきた。それに口をつけようとすると、アレクセイが小声で言った。
「明日の朝になって後悔したくなければ、中身を飲まない方がいいぞ。飲むふりだけをしろ」
私はその通りにしてアレクセイに盃を渡し、アレクセイもおそらく飲むふりだけをして隣に回した。
甘い匂いはどんどんと濃くなってきた。かすかに楽の音が聞こえるような気がしてきて、私はあたりを見回したが楽器を鳴らしている者など誰もいなかった。笛の音。太鼓の音。だがすぐにそれが自分の呼吸の音と心臓の鼓動の音だと気付いた。なぜだか私は全身から力が抜けたような感じがして、尻もちをついてしまった。するとアレクセイが私の襟首を掴んで立たせた。
「私、は……深い、地の底から……やってきた」
少女はさっきとは変わって低い、かすれて発音しにくそうな声で話し始めた。
「崇拝者たち、よ……私が、復活する日は、近い……」
ありがとうございます、とゴリアス師は額が床に当たるばかりに深い礼をした。
「だが、私の以前持っていた品物を……そなたらは集める必要がある」
「私たちはあなたの石像と、あなたの御目と、祭壇の石のかけらを集めました。それ以外にはどのようなものがあるのですか?」エルトリードが言った。
「それを教えることはできない。だがそれらは、この商人がもたらすことであろう」
そう言うと少女、あるいは神は幕から片手だけを出してアレクセイを指差した。それはあまりにも明瞭な神託だったので、その場にいる誰もが凍りついたことだろう。もちろん、そうではない人々もいたのだが。