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象牙の小函

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「なぜ、そんなふうに人の死を表現できるのか私には理解しかねます。あなたも人間でしょう」
 そう私に言われると、彼はおし黙って歩きはじめた。ふだん不機嫌になることの少ないアレクセイの奇妙な振る舞いに、私は不安を感じた。
 館の前で、アンナという名の下女が私たちを迎え入れた。まだ若い女だが、表情はこの場の雰囲気を察したのか堅く怯えているようにも見えた。
 アレクセイはさっそくグロスタールにイリーナの死を伝えた。そうすると彼は思いもよらぬ事態に表情がこわばったが、すぐに持ち直して殺人者を警戒することを命じた。
 するとそこにアピアスがやって来て、夕食の用意が出来たのでご一緒しませんかと言った。
「今日いちばんの生産的な意見ですな」アレクセイはため息をついてそう言った。たしかにまったく、今日はひどい一日であった。グロスタールもそれに賛同して、われわれは食事の席についた。
 夕食はパンと燻製の魚と豆のスープ、それに葡萄酒だった。質素ではあったが腹は満たされる内容だった。しかし一同はみな浮かぬ顔をして食べていた。私も、イリーナのことを考えると食事が喉を通らなかった。
「ところで、話があるんだが」アレクセイが小さな声で言ったが、私はまた彼がつまらない冗談でも言うのだと思って適当な返事をした。
「なんです」
「実は、私は人間じゃないんだ」
「はい?」時と場所をこころえて冗談を言えと私は言おうとしたが、彼の顔は冗談を言っている顔ではなかった。
「人間じゃなかったら何なんですか」
「それがよくわからないんだ」
 はっきり言って支離滅裂であった。私には事態がよく掴めなかった。
「一応、地球生まれでないから宇宙人……みたいな?」
「そのみたいな、は余計です。と言うか私にはあなたの言うことは全体的に理解不能なんですけど」
「別に理解してくれ、とは言わないが。ついでに私の敵対者とは実はある神とその信者なんだ。もしかしたら、それがこの事件に関わっているかもしれない」
「か、神?」そんな重要なことをどうして今まで言わなかったのだ、あるいはよくもそんな厄介事に巻き込んでくれたな、といおうとしたが、上手い言葉が見つからずに私はどもってしまった。
「うん、ニャルラトテップというんだ。それについてはいつか説明するがね。いや神というのは、それ自身はそれほど執拗に追ってこないものさ。それよりもその崇拝者の方が、ずっと厄介な存在なんだ」
 私は返答に窮して口を閉ざすと、目の前の食事を平らげることに専念しようとしたが、またたく間にその集中はとぎれることとなった。
「……だから私が行ったほうがよかったんだ。あの怪物は、たぶん父が地下室を守らせていた使い魔だったものだ」アピアスとグロスタールが、地下室の件で対立していた。
「だったら、どうして小匣をそれが盗んだのだ? おかしいではないか」
「そこまではわからないが、ほかにそんなことが出来る人間がいるとは思えない。アレクセイ、あなたならどう思いますか?」
 アレクセイはいきなり話題を振られて迷惑そうであったが、少なくとも考えるふりをしていた。
「そうですね、あれを扱えるのはきわめて少数の魔術師に限られます。あれもやはり、お父上と関係している可能性はありますが」
「つまり、あれが父の使い魔と?」
「この僅かな手がかりと結論とを結びつけるとは、あなたの推理は超論理的なことこの上もないようですね。いいえ、私はそう思ってはいません。関係がある可能性が高い、とだけしか今の段階では言えません」
「だ、そうだ」グロスタールがしてやったり、という顔で言った。
「叔父上は私になにか不満でもおありか?」アピアスは不機嫌な顔で言った。
「何を言う。お前がこれほど小匣に関して強情だったから、このような悲劇が起こったのだぞ」
 かくして二人は非生産的な言い争いをはじめた。アレクセイは私にうんざりした視線を送ってきたが、どうしようもないことなのでとりあえず無視してやった。


 私たちは二階の寝室のひとつをあてがわれた。このような事件の渦中で私は眠れないのだろうと思っていたが、いつのまにかうとうととしてきた。ふと、隣の寝台で寝ているはずのアレクセイが言った。
「グロスタールはなにかを隠しているな。それに本当に小匣が欲しいわけでもなさそうだ。小匣が大切なら、火などつけなかった」
「ええっ? ならどうして、私たちにそれを盗ませる計画を立てたのです?」
「それを調べるために、私はこれを持ってきたんだ」
 そう言うと、アレクセイは私にあの薄い本を見せた。それは黒い革で装丁された古い本だった。
「なんですか?」
「地下室にあった、たぶん亡き魔術師の日記だ。他にも「ナコト写本」やら「グラーキの黙示録」やら、面白そうな書物がたくさんあったのだが、みな焼けてしまうかグロスタールにとられてしまった。だがこれだけはこっそり持ち帰ってきたんだ」
「何でよりにもよって日記なんですか。もっと他に重要そうなのがあったんじゃないですか」私は朦朧とした頭でそうこたえた。
「まあ、いいじゃないか。君が寝ている間私はこれを読んでいる。何かわかったら起こすからね」
 たいした理由もないのに叩き起こさないでくださいね、と言おうとしたが、私の魂は既に夢のなかに彷徨い出てしまっていた。

「おい、起きろ! この事件の元凶が分かったぞ」
 アレクセイが騒いでいるので私は起きたが、辛うじて意識を保っているという状態だった。しかし彼がなにか重要なことを発見したらしいということだけはわかった。
「これを読んでみろ」
 アレクセイが私に本の見開きをつきだしたので、私は眠い目をこすりながら読んだ。
『5月3日
 エレンが死んだ。私のせいだ。彼女が私の実験室にやってきたから……。それでなくても彼女には愛人として辛い目にあわせていたというのに。ああ、ハスターよ、ヨグ=ソトースよ、白痴の魔王よ、私に慈悲を。どうしたらエレンを死の世界から呼び戻せるのだろうか。魔術師としての私、一人の人間としての私がともに彼女の蘇生を希求する。
 なんとしてでも彼女を生き返らせるのだ。

 7月12日
 どれもこれも、完璧な蘇生術ではない。私が欲しいのは生きた人間であって、忠実なゾンビでも不死者、つまり吸血鬼のたぐいでもない。エレンの身体には一応防腐処置をしてあるが、それもいつまでもつだろうか。

 7月25日
 セベクよ! 汝の存在に幸いあれ。あの神の力を何とかして引きだせば、エレンは生き返る。
 しかし、それをするには大量の魔力が必要だ。私の力だけではまったく足りない。

 9月15日
 そうか、あの小匣の力を使うのか。あれには強力な、聖なる力が宿っている。しかしそのままでは、死者の蘇生という魔術に用立てることは出来ない。そう悩んでいたところ、不思議な黒い肌の男がやってきて、エレンの血肉を使って小匣を霊的に汚せば、黒魔術にも使えることを教えてくれた。
 だが彼はいったい誰なのだろう?

 10月9日
 私はあることに気づいて愕然とした。あの黒い男は、ニャルラトテップその人だったのだ。かの神は怖ろしいことで有名である。私も気づかないうちに破滅の運命を歩んでいるのかもしれない。
作品名:象牙の小函 作家名:fia