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象牙の小函

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 もちろん、あるはずがなかった。グロスタールは召使いらに命じて油壺を幾つかと火打石を取ってこさせ、館の外で待つ傭兵たちに渡すと甥のところに向かう仕度をはじめた。


 グロスタールの甥は、街から少し北に離れた郊外の館に住んでいた。しかしそれは先祖伝来の館ではなく、偏屈な人間だった彼の父が発てたものであった。また彼の父、つまりグロスタールの兄にはいささかあやしげな噂が付きまとっていた。それはたとえば、彼は黒魔術師であり、冒涜的な研究に耽っていたとか、獣の頭をした神々を礼拝しているといったものであった。しかしその噂は根も葉もないものらしい。なぜならば、彼は妻や子を愛していることで知られていたし、人並みに世俗的な欲望の追求もしていたからだ。
 街の城門を出てからすぐ、そっと女魔術師が私に近づいてきた。
「あなた、あのまじない師の助手なんですって?」
「ええ」私は彼女の豊かな黒い髪に縁取られた顔を食い入るように見つめていたので、いいかげんに返事をしてしまった。
「畑から掘り出したばかりの芋みたいに汚いわよ。こんな田舎だから許されるけれど、もしケル=セクナみたいな都会に行ったら乞食扱いよ。まあ、今でもそんなに変わらないでしょうけどね」
「ケル=セクナ?」私があまりにきょとんとした顔で訊き返したので、彼女はさぞや私のことを農夫かなにかのように、粗野で無学な人間だと思ったであろう。
「ケル=セクナも知らないの? これだから物を知らない人間っていやだわ。私が学んだ魔法学院もある、この国一の大都市のことよ。ああ、またあそこに戻りたい。田舎なんてもううんざりよ」
「魔法学院とは、魔法を教えるところなのでしょうか。たとえば学問でいう大学のような」私は彼女の機嫌を損ねることはわかっていたが、そう質問せずにはいられなかった。
「まあそんなところよ。でもねえ、大学なんかと比べられるのは屈辱そのものだわ。大学なんて金持ちなら誰でも入れるけれど、魔法学院は厳しい選考試験をくぐり抜けないと入れないのよ。もちろん、そのぶん卒業生はいろいろなところで重用されるけれどね。軍や王侯貴族の顧問に採用されたり」
「では、そんなあなたがなぜグロスタールに雇われているのでしょうか」
「どうでもいいじゃない、そんなこと」彼女は急に不機嫌になって黙りこんだ。しかしすぐにまた口を開いた。
「そうだ。あのまじない師を呼んできてくれない?」
「お呼びですか?」
 私たちよりもずっと前を歩いていたはずのアレクセイがいつの間にかそばにいたので、私は思わずうわっ、と叫んでしまった。
「いつからいたんですか」
「あなたにお話があるのよ、ア……」イリーナは彼に私の質問に答えさせることなく話しはじめた。
「アレクセイです」
「アレクセイ。私と手を組まない?」彼女は周りをちらりと一瞥して、鋭くささやいた。
「どういう意味でしょうか」彼は小首をかしげながら、悠然と訊いた。
「あの小匣はただの骨董品ではないと聞くわ。それを、みすみすこんな田舎に埋もれさせていいのかしら? グロスタールは強欲な奴で、おまけに魔術なんてこれっぽっちも解っていない。あの宝物だって、誰かに売り飛ばすか自分の蔵の中で朽ち果てさせる他にどうすることもできないのよ。それより、あれにはもっと生産的な使い道があるわ」
「というと?」
「あの魔力を使えばどんな魔術師の力だって凌げるわ。そう、宮廷魔術師よりも優れた魔術師になれるかもしれない。あるいは、失われた古代の魔法だって現代に復活させられるかもしれないわね」
「そしてあなたは世界に名を轟かせる魔術師になるのですか。それは結構なことですが、私がそれに助力させていただくことはできませんね。私はできうる限りあなたに好意的に振舞っているつもりです。しかし、その提案はあまりにも私とグロスタール殿の契約に違反しています。いまさら……」
「つまり、無償では働けないということ? もちろん報酬はあげるわ。小匣は私のものだけど、これを持ってケル=セクナで一山当てれば、お金なんていくらでも稼げる。金貨千枚でどう?」
「なんと気前のよい申し出でしょうか。しかし、私は明日の富の約束よりも今日のはした金のほうを選ぶ性分でして。正直に言いますと、貴方のお申し出がグロスタール殿のそれよりも優るとは思えません」
「あんたは強欲な詐欺師ね! いいわ。計画が成功したら金貨二千枚あなたに払うと約束するわ。それにあのグロスタールが正当な報酬を払うとは限らないのよ。もしかしたら、私たちを口封じのために殺そうとするかもしれない。以前、あの男が使った人間を殺したという噂が裏社会で流れたことがあるもの。ねえ、これでもグロスタールに忠誠を尽くすの?」
「私は彼の部下でもなければ召使でもありませんので、彼に忠誠を誓っているというのは誤解です。しかし、私の仕事上のモットーは誠実と低価格です。先に契約を交わした方を裏切るような行為はそれに反します。いいですか、信用とは自ら築き上げるものです。そして得がたくまた失われやすいものなのです。それを目先の利益を優先して裏切るような行為は、賢い商人のやり方とは言えませんな。
 とはいえ契約に反さないのであれば、私とあなたの間で何らかの利益共有は可能です。これはほんの一例ですが、グロスタール殿の仕事が終わった後に彼の手からあなたの執心しておられる小匣を奪う、などといったことならお役に立てると思いますが」
「それは……考えたこともなかったわ。でもあいつは一度あれを手に入れたら、厳重に保管するはずよ」
「では彼の甥からそれを奪うのと、どちらがどれだけ難しいですか? どちらにせよ私はグロスタール殿との契約は守ります。もしそのあとで当人から小匣を奪いたいのならば奪えばよろしい。その時に私に助力を依頼するのならば結構です、応じましょう。あなたひとりで出来ると思っていないからこそ、私にこの提案を持ちかけたのでしょうから」
 イリーナは淡々と語られた彼の言葉に非常に屈辱を感じたように目を伏せていたが、やがて決心がついたように表情を変えた。
「ええ、いいでしょう。そうするわ」
「では報酬の金貨二千枚を成功してから三十日後に頂きたいと思います。よろしいですね?」
「なんですって。そんな大金、どこから出せるというの?」彼女は真っ青になって言った。
「ですが、さいぜん約束なされたではありませんか。あなたの提案も私の提案もその困難さでは変わらない、いや私の提案の方が多少危険ですらあるというのに、私はそれを請け負うのですよ。これを適正な価格と言わずして何と言うのでしょうか」
「この人非人が。いいわよ、もし無事私がそれを手に入れられるのなら払ってあげるわ。あなたが大口を叩いたわりに無能でなければ、の話だけれど」
「それについてはご心配には及びません」
 イリーナの捨て台詞のような言葉に、アレクセイのほうは至極穏やかな様子で答えた。だがそれが彼女の心を逆上させたらしく、ふんと鼻を鳴らしてわれわれから離れていった。
「なかなかこの仕事も複雑だね」アレクセイはこっそり私に言った。
「あなたが煽り立てているんではありませんか?」
「私が? 馬鹿なことは言うなよ。私こそが被害者なんだぜ」
作品名:象牙の小函 作家名:fia