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象牙の小函

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 仕事? 一体何の仕事だろう。私は一抹の不安を覚えてアレクセイを見上げたが、彼の若草色の眼には何の表情も浮かんでいなかった。商人が客の応対をしにわれわれのもとを離れると、アレクセイはにんまりと笑った。
「どうやら、幸先が良さそうだな。こんなに早く仕事が見つかるとは」
「しかし、いいんですかね。護符の話も嘘、鑑定の専門家でもないのに」
「あのはったりはともかくとして、私だってあれくらいの魔力感知は出来ないわけがない。こういった感知魔法は数ある魔術の中でも術者の正体がわかりにくいものだから、今の私にはぴったりだな」
「では、その逆に誰が使ったかすぐにわかってしまう魔術はあるんですか?」
「そうだなあ、強力な魔術はすぐに術者を嗅ぎつけられるだろうな。あるいは、他の存在に対して積極的な、つまり傷つけるなどといった魔術も然りだ。こういった魔術はたとえ術者について隠しおおせたとしても、魔術を使ったこと自体を隠すことは不可能だ。そのくらいさまざまな秩序を乱し、神々や魔物の注意を引きやすい」
「では、魔術師というよりも鑑定士として生計を立てたほうが良さそうですね」
「まあね。感知魔法なら、それなりに力を使ってもごまかせそうだ……個人的にはこういったものは好きではないんだが」
「好き嫌いを言える立場ですか」私は辛辣な口調でそう返した。
「そうとも言う。だが、ほかになんと言えばいいのかね? 私がそんな仕事を受けるということに対して」
 アレクセイは奇妙な表情でそう言うと、私を連れてわれわれの宿泊している木賃宿に帰っていった。


 翌朝、われわれはグロスタールの店の隣にある彼の館の応接間に通された。
 グロスタールにこの仕事のために雇われたものはわれわれだけではなく、数人の傭兵がわれわれよりも先に応接間に来ていた。そして、一人のゆったりした黒いローブを纏った女性が椅子に座っていた。彼女は深々とローブに付いた頭巾を被っていたが、われわれが来るとそれをはねのけた。そこから現れたのは――
 夢に出てくるような美しい女性の顔だった。色は白く、暗い群青色の瞳は大きく細面の顔のちょうどよいところに付いていた。豊かな唇は赤く、こころもち引きむすばれていた。
「あなたがアイテム鑑定士だというの?」麗しの乙女は、私の隣にいる相変わらず芽の出ない若い学者のような風貌のアレクセイだけを見てそう言った。私はその美しさにあまりにも眼を奪われて、彼女の口調がむしろ険悪なものであることにしばらく気づかなかった。
「ええ、お初にお目にかかります、マダム。アレクセイと申す者です」
「これは元はといえば私の仕事よ。それをあなたは舌先三寸であの男を騙して、よこあいから邪魔しに来たの? あまり余計なことをしないで頂戴」
「肝に銘じておきます。しかし、私とグロスタール殿との雇用契約は正当なものです。彼は私のアイテム鑑定士の技能を必要だと思ったから私をお雇いになられたのですから」
「とにかく、素人まじない師のあなたに勝手にうろちょろされると、私は集中できないのよ」
「私は誰の集中をも妨げません。そう約束いたします」
 女魔術師はきっとなってアレクセイを睨みつけたが、彼は蚊がとまったほども気にしているようには見せなかった。たいした鉄面皮である、と私は思った。
 ようやくグロスタールが姿をあらわした。
「では、諸君の仕事の説明をする。
 わしの属するワシュテク家には、ある魔法の品物が伝えられている。ゼーナ神の神官団以外はそのことをほとんど知らず、父から子へ、細々と伝えられてきた秘密だ。長男ではないわしはよく知らないが、きわめて強い魔力を持つ宝物らしい。
 ところで最近、ゼーナ神の神官たちがこれに興味を示してきた。調査のために半年ほど借りたいのだそうだ。偏屈な甥、つまりわしの兄の息子の機嫌を損ねるのを恐れてか、わしに彼を説得して欲しいと打診してきた。わしは今日、その説得をするためにわが甥の屋敷に行く。
 そこで、だ。諸君はなんとしてでもこの機会に、その宝物を盗んできて欲しいのだ。ゼーナ神の神官たちの目をも欺くために、「事故で破壊された」あるいは「正体不明の盗賊に強奪された」というかたちをとって。甥は家宝を常に厳重に保管しているが、このときばかりはわしの目の前に持ってくるだろう。あるいは、保管場所を漏らすかもしれん。そこが狙い目なのだ」
「ある品物とは?」アレクセイは呟くように言った。
「象牙で出来た小匣だ。わしの祖先がゼーナ神の神殿から譲り受けた、神聖なる宝物だ。普通の魔法道具とは桁違いに強力な品物だから、お前にはわかるだろう」商人は、敬虔な、といっていいような口調でそうこたえた。
「わが甥は、わしの提案には乗らないだろう。わしが甥から聞き出すか何かをして小匣の保管場所をつきとめたら、お前たちの一部は夜陰に乗じて盗み出せ。そのとき、わざと甥に知られるようにするのだ。
 わしとともにいる側は盗賊を襲う振りをして、誤って小匣を破壊してしまったことにしろ。幻影を使うのだ。眼には見えるが、実際熱くはない炎を出せると言っていたな、イリーナ」
「ええ」女魔術師は頷いた。
「では、ガンツとオーミスとテルスは館の近くに潜伏しろ。お前たちからわれわれに接触するな。館に侵入したら、アレクセイが手引きしろ。お前は最初わしの近くで小匣を見てその魔力を感じとったら、館のどこに隠されているかをあとで確認しろ。離れていても、魔力のあるものを発見することは可能なのだろう?」
「可能ですが、もしそこがワシュテク家の当主じきじきの寝室などといった忍びこむのに不適切な場所だった場合、どうしたらよいのでしょうか」
「それはお前の責任だ。騙して部屋から追い出すなり、なんだったら一人二人殺してもかまわん。どんな手段を使っても小匣を手に入れろ。そうしなければ報酬は払わない」
 商人は、自分の計画にけちをつけられたことで明らかに機嫌を損ねていた。
「火事になった、ということにしてはどうでしょうか。実際に建物の一部に火をつけてしまうのです。家のものが皆逃げ出したところに、火事場泥棒のようにわれわれが押し入るのです。そうすれば、炎で宝物が焼けてしまったとしても誰も不審には思いません。強盗騒ぎを演じるより、この方がよい計画ではありませんか」
「お前は、確かに少々の悪知恵は働くかもしれん。しかしこれ以上口はばったい真似をすればどうなるか……」グロスタールは岩がこすれあうような低い声で脅し文句を言いかけるのを意に介せず、アレクセイはさも快活そうに説明を続けた。
「燃やすといっても、実際は油いく壷かとイリーナ嬢の炎くらいで結構でしょう。館すべてを燃やしてしまう必要はありません。ようするに火事だと恐怖させればいいのです」
「私はまじない師の意見に賛成よ。少なくともあなたの計画よりは効率的だもの。もっとも、どちらもいい計画とは言えないけれどね!」イリーナが、いかにもうんざりしたという表情で口をはさんだ。今までずっと黙っていた傭兵たちも似かよった意見のようであった。
 グロスタールはふんと鼻をならした。
「では、火事ということにする。異存はないか」
作品名:象牙の小函 作家名:fia