里美ハチ犬伝
◆第一話 里美と白い犬
里美は学校に行く途中、限りなく真っ白な犬を見た。
市立の小学校に通っている藤井里美は、小学三年生になって早一ヶ月。ショートカットの髪型とショートパンツが相まって、里美の活発さを表しているほどの元気っ子である。
既に桜の花は散ってしまったが、まだ里美の心は、桜が満開しているように爛漫だった。
背中に背負う赤いランドセルの端っこ辺りがくたびれ始めていた。
最近では、ランドセルに教科書は入れず、カラフルでスタイリッシュな補助カバンに入れていた。
つまり空っぽのランドセルを背負っているのだ。
何故そうしているのかというと、小学三年生にもなれば、少しファッションに目覚めてしまうお年頃。
皆と同じランドセルに嫌悪感を抱き、人とは違う個性と独自性を出したい……というより、魅せたいのだ。
そこで決められた枠内(ルール)の中で、それが可能なのが、唯一自由に持ってきてもよい補助カバンなのである。
しかし、学校の規則でランドセルは必ず持って来なければならず、里美は渋々と軽いランドセルを背負っているのである。
ランドセルの本来の役割を果たせておらず、小学生を示すシンボルでしか意味を成していなかった。
そもそも育ち盛りの時に、片方に集中して重いものを持つのは、体の軸バランスが崩してしまうので、非常によろしくないのだが、そんなことを小学生の里美が気にする訳は無かった。
そんな天使の羽のように軽いランドセルを背負い、筋トレができるほどに重い補助カバンを手に持って、七時三十分から一時間は車の通行が制限された通学路を歩き、いつも通り学校へ向かっていた。
その道中で、限りなく真っ白な犬を見たのである。
その白さは朝食で毎日食卓に出されている、お腹に優しくカルシウムの吸収に良いビタミンDが配合されたスーパー牛乳と同じぐらいの白さだった。
あまりにも白い犬だったために、里美は思わず足を止め、その犬の様子を凝視し始める。
「野良犬なのかな?」
里美はそう呟いた。
犬の首に首輪は付いていない。しかし、野良にしては白く綺麗だった。
白い犬の大きさは中型犬ほどのサイズで、三角形の小さな耳をピンっと立たせ、目じりが吊り上がった目、そして背中の上に巻いた尾が愛嬌を振り撒きまくっていた。
登校時間は、まだ余裕があるから大丈夫と、里美は暫く白い犬を眺めることにした。
すると白い犬は電柱の前に止まり、左後ろ足を上げては用を足そうとした。
しかし、左足を上げたものの、その左足を一旦下ろし、身体の向きを反対に入れ替え、今度は右後ろ足を上げた。
何かが気に食わないのだろうか。
それとも、ポジショニング(位置)がしっくり来なかったのか、また右足を下ろし、左足を上げる。そしてまた左足を下ろし、右足を上げた。
里美は、最近まで母が毎日やっていた、家庭用ゲームでエアロビ体操のような運動をしている母の姿を思い浮かんでしまい、それが犬と重なり思わず「ぷっ」と、吹き出してしまった。
流石は犬。小さな音だったが、その音で里美に気がついた。
お互い様子を伺うように見つめ合う。
「おいでよ!」
里美が手招きしつつ誘うものの、犬はウンともスンとも。
『オマエは、何をしているんだ?』と言っているような表情で、白い犬は首を傾げた。
痺れを切らした里美は、白い犬に近づこうと一歩前へと踏み出すと、白い犬は後ろ足を一歩後ずさりした。
また里美が一歩前へと踏み出す。
すると白い犬は、また一歩後ずさり。
里美が前へ、犬は後ろへ、里美が前へ、犬は後ろへ。
「………」
近づけば遠ざかる。そんな足しても引かれる、差し引きゼロのヤキモキする状況に少しムッとする里美。
そこで里美は、今度は反対に一歩後ずさりしてみると……。
白い犬は前へと歩み出る。
里美が後ろへ、犬は前へ、里美が後ろへ、犬は前へ。
まるで、犬にバカにされているような。いや、ハタから見れば里美と犬との光景は非常にバカゲタ様子。
その証拠に通学路を通り行く里美と同じようにランドセル背負った児童達が、里美と犬とのやり取りを横目で何やっているんだろうと、?(ハテナ)マークを浮かべている。
当人は、そんなことを気にしてない。今、里美はあの犬を触りたかったのだ。
しかし、このままでは犬に触ることも近づく事もできずに、埒が明かない。だが、知恵が働くのが人間。
そこで里美は考えた。
「そうだ!」
里美は右足を一歩下げた瞬間、素早くその足を前へと踏み出した。
まるでブランコのような振り子の動きだった。
すると白い犬は後ろへ下がるものだと思ったのか一歩前へと歩み出ており、里美と白い犬の距離は二歩分縮まった。
同様の動きを今度は左足でやってみる。今度も犬は一歩前へと。
里美との距離が縮まっているのを白い犬は、気付いているのかいないのか。
そんなブランコ移動を繰り返していき、段々と近づく。
(よし、もう少しで……)
しかし、犬も犬ではあるが、馬鹿ではない。
野生の危機センサーが働いたのか、里美が白い犬に触れるあと一歩のところで、
『!』
遠ざかっているはずなのに近づいている事に気付いたのか、犬は慌てて尾っぽを里美の方に向けて、今まで近づいた距離がゼロどころではなくマイナスになるほど、遠く離れてしまった。
「あ〜、もう!」
残念がる里美。また近づこうとするも警戒感が増してか、里美が一歩近づけば白い犬は二歩三歩と後ずさりして距離を取る。
後を追いかけようとするも、通学路にちらほらいた児童達の姿が見えなくなったことに気付く。
里美の体感時間的に、そろそろ学校へと急いで向かわないと遅刻してしまうのではと、焦りを感じてしまう。
里美は名残惜しそうに遠くにいる白い犬に向かって、
「それじゃーね。バイバーイ」
後ろ髪を引かれつつも、里美は元気良く学校へと駆けて行った。
遠ざかり小さくなっていく里美を、白い犬はただジッと眺めていたが、ゆっくりとその後を追いかけていくのであった。