里美ハチ犬伝
◆第八話 里美とハチ
「くっしゅん」
くしゃみで、目を覚ます里美。
そばにハチがいないことに気付き、ダンボールの中から辺りを見渡す。しかし、公園の外灯が消えたのか、真っ暗過ぎて周りはよく見えなかった。そして、変な違和感があった。
妙に静かなのだ。
さっきまで自動車が通る音や人が歩く音、喋る声などが聞こえてきたのに、今はまったくと言っていいほど何も音が聞こえなかった。
やがて暗闇に目が慣れ、少し遠くに白い物体が鎮座しているのが見えた。
ハチだ。
里美はハチの名前を呼びながら、そこへ走り寄った。
そしてハチは里美の方を振り返り、
『おや、起きたかい。お嬢さん』
渋い声で話しかけてきた。
硬直する里美。 辺りを見回してみても、人影など一つも無い。
聞き間違いと見間違いでなければ、先ほどの声の主は――
「え、ハチが喋っているの? えっ! えっ! 犬って、喋れるの?」
生物学上ありえない出来事に対して、里美は混乱と驚愕で慌てふためくしかなかった。
そんな里美に、ハチは落ち着いて話しを続ける。
『私はただの犬ではない。宇宙人だからな。人間の言葉ぐらい話せるのだよ』
「宇宙人!」
突拍子の無い言葉を耳にして、じっくりハチの姿を観察するが、どこからどう見ても、
「犬なのに?」
『う、うむ、まぁな……。まぁ、姿などは、さほど意味無いものだ。重要なのは、外身では無く中身だ! 質だ! 心だ!』
仰々しく訓示を述べるが、犬の姿では言葉の質は軽く感じた。
それよりも里美にとっては、
「でも、喋れるのは凄いよ! 高い場所から飛んだり、木に登ったりできるのに、喋れるなんて……もしかして、世界でハチだけかも!」
『まぁ、そうだろうな』
里美に褒められて、照れるハチ。
「そうだ、ハチ。喋れるのなら、ハチからママに飼ってと言ってよ。そうすれば、ママも……」
母親も感動して、飼っても良いと言うかも知れないと思った。
だが、ハチは照れ顔から、すぐさま真顔となる。しかし里美には、そのハチの表情が変化したことは解らなかった。
『里美……もう、私のことはほっといて、早く家に帰りなさい』
「え! でも、ハチを置いて帰れないよ……ハチを飼わないと、ハチが保険所に……」
『私のことは心配するな。実は私には家庭があり、家族がいるんだ。それに保健所なんか連れていかれるほど間抜けではない』
「「えっ!」」
ハチの発言内容に、思わず大きな声をあげて驚いてしまった。
「家庭? 家族?」
『ああ、私は結婚している。それに子供が二人もいるぞ』
「「「えぇっ!」」」
さっきよりも、大きな声だった。
ハチが結婚していて、さらに子持ちだったことが、より里美を驚かせた。
「ハチって……意外と大人?」
『歳は今年で、四歳になるぞ』
犬の四歳は、人間の歳でいえば三十二歳。人間の場合、その歳で結婚して子供がいてもおかしくは無い。おかしく無いが……ハチは犬である。
そんなハチの人間らしい素性に、里美は「ぷっ」と噴出してしまう。
『何がおかしい!』
「ははっ……ご、ごめん。つい……」
『……まぁ、仕方無いことだな。さて、そろそろ私は行こうかな』
「えっ……どこに行くの?」
『そうだな、たまには自分の家に戻ってみるかな』
ハチは里美に背を向け、歩き出した。
「あ、ハチ!」
後を追いかけようとするも、不意に体が金縛りにあったのかように硬直してしまい、指一つも動かせなくなった。
『里美。あの追いかけっこは、楽しかった。年甲斐にも無く、久々に熱くなってしまったよ。それに、あの黒っぽいパンも上手かった。ゴチになった』
前に進みいくハチの下に、一筋の光の柱が天から降り注ぐ。
次第にその光は強くなり、やがて目を開けられぬ眩しさとなった。
里美は、瞼を閉じるしかなかった。
そして、
「ハチーーーーーーーーーーーーー!」
光の中に消えゆく犬の名を大声で叫んだ。
『気が向いたら、また遊びに行くよ。それじゃ達者でな、里美』
***
「さと…里美……里美!」
聞き慣れた声で、自分の名前が呼ばれる。
ゆっくりと瞼を開けると、そこには――
「あれ……ママ……と、パパ」
莉奈と朗が里美の顔を覗かせていた。
「なに、こんな所で眠っているの? 風邪を引くわよ」
莉奈はダンボールの中で横になっていた里美の頬を人差し指でつつき、朗は「ははっ。まるで里美が捨て犬のようだな」と感想を述べた。
里美は目をこすりながら、犬という言葉に反応する。
そして、あるものがいないことに気付く。
「あれ……ハチは? ねぇママ、ハチを知らない?」
「ハチ? ああ、あの白い犬? 私たちがあなたを見つけた時には、ココにはあなたしか居なかったわよ」
「えっ!」
里美は立ち上がり、辺りを見回しハチを探したが、どうやら公園には里美と里美の両親しかいないようだった。
「どっかに行ったのかな……」
朗も里美と一緒に犬らしき物体を探す。
里美は、ふと先ほどの……ハチとの会話を思い出した。
あれは夢だったのかと思うも、妙な現実感があった。
もしかしたら、あれは夢では無く、本当の出来事だったのではと里美は思った。
「ハチ……帰ったんだね……」
里美はハチが居なくなったことに寂しくもあったが、家族の元に帰るんなら仕方無いと納得した。
「もう。折角、首輪を買ってきたのに……。無駄になっちゃったかな」
莉奈はビニール袋の中から首輪を取り出し、首輪をクルクルと人差し指で回した。里美を探す途中で、ハチを飼うことに備えて首輪を買っていたのであった。
「百円ショップで買ったものじゃないか。まぁ、野良犬だろうし、どっかでうろついていると思うから、また見つけた時に拾ってくればいいだろう。なぁ里美」
里美は朗の方を向いて、明るく答えた。
「パパ、ハチは野良犬じゃないよ。宇宙人で家族持ちのお父さんだったんだよ」
突拍子の無い発言に、朗と莉奈は思わず目が点になってしまったが、里美の冗談と思い、笑って返した。
「なに馬鹿なことを言っているんだ、里美は」
「本当だよ。ハチは、そう言ってたんだよ!」
「はいはい……」
朗と莉奈は、里美の発言を真に受けず軽く受け流す。
そうこうしていると、里美のお腹から豪快にグゥ〜と腹の虫を響かせる。
「ほら、早く家に帰ってご飯にしよう。ママもお腹が空きすぎて、お腹と背中がくっ付きそうよ」
「お前は、そうなった方がいいんじゃないのか?」
「うるさいっ!」
莉奈は、朗の頭を“スパッーん”と叩いた。
朗は物凄く痛そうなフリをしつつ、頭を擦る。
そんな父と母のやり取りに、里美は思わず笑みがこぼれた。
そして朗は、そっと里美の肩に手を置き、
「まぁ、里美。犬にはまた会えるさぁ。気を落とすなよ!」
「そうだ、里美。犬が見つかるまで、パパを犬の代わりにでもする?」
莉奈は、先ほど買った首輪を手に持ち、朗の目の前で振った。