里美ハチ犬伝
宏子のランドセルの隣に置かれていた里美の補助カバンの代わりに、教科書や筆箱が置かれていた。その教科書類は里美のものだった。
「どうして、ここに……はっ!」
里美たちは、こんなことを仕出かす人物の名を思い浮べ、一同声を揃えて、その名を口に出す。
『掛布かぁ……』
誰一人、掛布の犯行を目撃した訳では無いが、日頃の行いと性格で掛布の仕業であると断定したのであった。
「たくっ、こういうしょうもないことをやるのは、アイツしかいないよね。掛布は明日、ぶっ叩くとして……」
無くなった……というより、何処かに隠されたであろう補助カバンを探さなければならない。
「あ、私も探すよ」
「ヒロちゃん、ありがとう」
みんなで探せば、すぐに見つかるだろうと、渚たちも探すのを手伝ってくれた。
里美の補助カバンは、お気に入りの補助カバンなので、なんとしてでも見つけなければならない。
しかし、ゴミ箱の中や公園の端に建てられている公衆トイレの中とか色んな所を探したが、補助カバンを見つけられなかった。
「もう、何処に隠したのよ!」
補助カバンは、それなりに大きさで、カラフルでスタイリッシュなので目に付き易い。だから隠す場所は限られてくるのだが、これだけ探しても見つからないということは……。
「まさか掛布のヤツ、持って帰ったんじゃ……」
渚の不吉な言葉が里美に聞こえてしまい、公園の外灯に明かりが点るように、里美の心に怒りの炎が点る。
「ねぇ、渚くん。そういう時はドロボーで警察に突き出して良いんだよね?」
「まぁ、まぁね……。この場合は、窃盗罪になるから……」
辺りは暗くなり始め、探すのを諦める雰囲気が漂い始めた。
掛布への怒りは悔しさとなって、思わず泣きたくなりそうになる。その時だった―――
ハチがクンクンと地面をかぎ始め、一本の桜の木に向かって吠え出した。
突然の行為に何事だと、里美たちはハチに視線を向ける。
吠える姿が、民話の“花咲かじいさん”のあるワンシーンが思い浮かぶ。
「ここ掘れ、ワンワン?」
「そこを掘れば、大判小判がザックザックっ?」
「もしかして、そこにカバンを埋めたのかな?」
しかし地面には、掘ったような跡は無い。
みんなが地面を見ている中、宏子がふと見上げると、
「あっ! あれっ!」
辺り薄暗くなっているため良く見えなかったが、外灯の明かりで辛うじて里美の補助カバンが、木の枝にかけぶら下がっていた。
「あんな所に……」
灯台下暗しとは、まさにこういうことを言うのだろう。
だが里美にとっては、そんなことよりも人様のお気に入り補助カバンを放り投げて、木の枝に引っ掛けるという、粗雑に扱われたことに腹立つ気持ちが高まる。
明日、掛布への処罰は一発どころでは済ませないと、硬く心に決めた里美だった。
「やっぱり、犬の嗅覚って凄いんだね」
宏子がハチの方を見て感想を述べると、渚がそれに応対する。
「災害救助犬は、地震とかで瓦礫の下敷きになっている人とかの匂いで見つけるとか言うしね」
さて、補助カバン見つけることは出来たが、次なる問題にぶつかる。
「しかし……あれ。どうやって、取ろうか……」
目測で、五メートルほどだろうか。運動神経抜群の里美がジャンプをしたとしても、到底届かない高さだ。
「長い棒とかが、あればいいんだけど……」
市が管理する公園。
危険なものをそこらに放置している訳が無い。公園の隅々まで遊び回っていたが、そういったものは見かけなかった。
有ったのは、空き缶やダンボールぐらいだった。
どうやって取ろうかと、相談し合う。
「石で、ぶつけて落とすか?」
と、提案すれば、
「ダメ!」
里美が拒否をする。
お気に入りの補助カバンを、石にぶつけられるのは心境に良くないものだ。
しかし、だからと言って突風が吹いて、カバンを吹き落としてくれるのを待つ訳にはいかない。
「だったら、あそこまで登るしかないかな?」
登るといっても、補助カバンが引っかかっている枝は細く、あそこへ到達する前に枝が折れて、カバン共々に落下してしまう恐れがあり、とても危険だ。
あーだ、こーだと相談している最中に、ハチが木をかけ登っていった。
「えっ!」
驚く間にスルスルと補助カバンが引っかかっている枝の元へと登っていく。
そして、ハチの重さで枝がしなり、
――バキッ――
乾いた音が響き、補助カバンとハチが重力の法則に従って落ちてくる。
その光景はスローモーションのように、ゆっくりと落下してくるように感じた。
里美は咄嗟に両腕を出すと、お気に入りの補助カバンではなく、ハチを受け止めた。
しかし落下衝撃と重さに耐えかね、里美は地面に倒れ込んで尻餅を打ったが、ハチを無事に救助した。
周りにいた渚たちは言葉にならない声をあげ、
「ウワー! スッゲー!」
「さ、里美ちゃん、大丈夫?」
里美の下へ駆け寄ってくる。
「う、うん。なんとかね……。ハチも大丈夫?」
「ワンっ!」
里美の両腕に抱えられたハチは、元気良く吠えて返事した。
「犬って、木に登れるんだ!」
ハチが披露した軽快な木登り。
そして、補助カバンを落としてきたことに、みんなは大興奮だった。
「だけど、ハチもスゴイけど。藤井も、よく受け止めたな」
あの瞬間、唯一動いたのは里美だった。
里美とハチの抜群のコンビネーションに賛辞を送り、里美は照れ笑いを浮かべ、人差し指で頬をかいた。
「やっぱり、ペットって飼い主に似るんだね」
「まだ、飼ってないけどね」
渚は補助カバンを拾い上げ、里美に手渡す。
里美は渚に礼を言い、そして本当に礼を言わなければならない相手にも、ちゃんと礼を述べた。
「ありがとうね。ハチ!」
「わんっ」
里美は、ハチをギュっと強く抱きしめる。
里美の中でハチを飼うことは、より確かな決定事項となっていた。