正編 亜麻色の髪の乙女
いきなり第三者、それも少女の声が聞こえて、けれど誰も驚かずにその闖入者を迎えた。正確には闖入者ではなくて最初からいたなと来夏は思った。彼女に聞いたほうが早かったのかもしれない。来夏のポケットから、するっと、彼女は登場した。
セーラー服が、二人目。
「ハジメ君はあたしを落としちゃったのよね階段で。だからあたしは遺失物なの、ほんとなら警察にあるはずなのにハジメ君があたしに憑依できたのはそのおかげなの」
水鳥始の携帯電話はオレンジ色に青の縁取りで、セーラー服バージョンになるとアイメイク関係がその色合わせで少々どぎつかった。短いスカートで足を組む。セクシーだろうとなんだろうとどうせ携帯電話だ。
せまいトイレの個室に、三人目、来夏は背中をトイレの壁につけないようにいよいよもってふんばって立った。ぎりぎりのところに立っているので、ふわふわ広がっている髪の毛は壁に接触しているような気がした。本当は嫌だが譲歩すべきだろう。三人入るはずの場所じゃないんだからここは。
「ハジメ君ポケットになんでもつめこむでしょ。だからあたしとかすぐ落とすよねー。やめたほうがいいとあたし思うの。イタイしさ。気分わるいし。だからあたし階段に落ちちゃって。五回くらい踏まれたー。なんで踏むかな? へんだよね」
「じゃあこいつが落ちるとこみてないの」
携帯電話は持ち主に似て文と文との間にほとんど空白を挟まずずらりと言葉を並べる話し方をした。だらっと続くことばの間に来夏は、納豆をごはんの上にすくいあげるような気分でことばをはさみこんだ。納豆キライなのに。
会話の多い朝だ。一日自分の部屋から出ないで無口なパソコンと二言三言しか話さないような日常を送っている来夏にとっては、もうとうに一日分の会話摂取量は超えていた。頭が痛くなりそうだなと思ったが今のところまだなっていない。帰ったらなるのかもしれない。もう今日は学校に行くのはよそうと来夏は思った。
「みてないけど知ってるよ」
「何を」
「都市伝説だもん」
来夏が口を挟んだことは頓着せず(持ち主に非常によく似ている)携帯電話が言葉を継いだ。
「この街のケータイはみんな知ってる」
「都市伝説?」
「えーそれってトイレの花子さんとかそういうの?」
「水鳥君トイレでその話どうなんだよ。学校の怪談だししかもかなり古い」
「あまいろのかみのおとめ」
「は?」
水鳥はきょとんと、来夏は眉をひそめて、口をそろえて聞き返した。携帯電話はいたってまじめな顔で、でも自分のひざの上に頬杖をついた姿勢のせいでまじめ度を自分で下げていた。
亜麻色の髪の乙女。
①歌とは関係ないらしい。
②外人ではないらしい。
③男らしい。
④白いワンピースらしい。
⑤ヒゲは濃いらしい。
⑥話しかけると踊るらしい。
⑦小箱に入っているらしい。
⑧願いを叶えてくれるらしい。
「どこが乙女なんだよ」
来夏は思わず口に出したがだれも返事をしてくれなかった。
「しかもまる6までぜんぜん必要ないデータだし」
「要るよ草壁くん! スゴイ大事だったよ!」
「あのねほら中央通りのスーパー。あるじゃん? あそこの前で配ってるらしいのね」
「そのおっさんを?」
「乙女だよ草壁くん」
「ううん、あたしの半分くらいのサイズのちっちゃい箱」
オレンジ色の水鳥携帯は、サイズの小ささがウリだった機種だ、ウリだったのは去年のことだけど。その、半分。
「あ」
来夏はコンビニの袋をさぐった。
チョコレートを買ったらくれた袋。コンビニは件のスーパーの三件前にある。電車に乗る前に通った、スーパーの前。
コンビニの袋につっこまれた手に、たしかになにか、四角いものが当たった。
手を出した。
その上に箱。
何かを暗示するように。
亜麻色だった。
「あ」
水鳥か携帯電話かどちらかが漏らした声を聞きながら、来夏は手の上で軽く箱をバウンドさせた。水鳥を見、強く指先に力をこめて(振りかぶれなかったが)ちからいっぱい水鳥に向かって投げつけた。
ぼんっ、と音がした。
「ほーほほほほほほほほほほほほほー」
微妙に間が抜けた笑い声が聞こえた。白いワンピースのすそがはためいてくるくると踊る(太めの)足が見えた。それと亜麻色の長いつややかな髪が目の前に広がった。それだけしか見えなかった。ほーほほほーと笑いながら踊る足はばたんとトイレの扉を開き、そのまま走り去った。ばたんばたんばたんばたん、と、急に開けられたトイレの扉が揺れていた。
来夏は水鳥の足を見て舌打ちをしたくなったがしなかった。
「たいして叶えてくんないじゃんあいつ」
舌打ちをする代わりに呟いた。
水鳥始の、セーラー服の下に、きみどり色のジャージが出現した。ジャージのすそはやっぱり幽霊らしく消失していた。きみどり色のジャージは学校指定だ。今のスカートと色合わせ的にはよろしくないがとにかくトランクスは見えなくなった。本当はセーラー服自体をやめてほしかったのだが。
「ええとあれどこ行っちゃうんだろくく草壁くんそれリアクションむつかしい、い」
水鳥始がいつもより数倍口早に声を漏らした。口早に声を漏らすことは不可能かもしれないが。普通に喋ったと思ったほうがいいのかもしれないが、とにかく、声は小さかった。さすがに驚いたらしい。
「あれ?」
水鳥始が、思いだしたように、自分の足元を見おろした。来夏の投げつけた小箱はトイレの床に寂しそうに転がっていた。中身と比べてあまりにもささやかな転がり様だった。
それから水鳥は、目線を下におろしたままで、スカートのすそをぺらりとめくってみせた。上目づかいに(来夏の頭上にいるのに器用なことだ)来夏を見てくる。
「草壁くんこれそんなに嫌? 困っちゃうよな」
「困ってんのは僕だよ」
「ねえ思ったこと言っていい?」
「言えば」
「ええっと」
「早く言え」
「その箱見たことある」
カモ? と、水鳥は、さいごのところで五尾と一緒に首をくきっと曲げ、と同時に、足元の箱を指さした。
早く言え。
田舎のちっぽけな駅だけどそれでも朝は多少混み合う。駅を出るとすぐにみじかい階段、のぼった先にキオスクと発券機と待合室と改札口、さっき来夏が通った時は誰もいなかった駅員室にもトイレにもプラットフォームにも人ばかりいる時間。水鳥始の登校時間。
箱はたくさん落ちていたと水鳥は言った。
階段にも、待合室の隅にも、キオスクの前にも、発券機の台の上にも。つまりそれはだれかの願いが叶ったってことだろうかと来夏は思った。この駅で、たくさんの人の願いが叶ったってことだろうか。
「アレは?」
「アレって何草壁くん」
「オトメ」
「わかんない」
「あれいたらわかるだろ」
「わかんなかったって!」
顔をしかめて水鳥が主張する。
もしかしたらあれも擬人化の類だったのかもしれない。それなら「普段の」水鳥には見えないはずだ。いくらアレがうようよいたとしても、来夏にしか見えない。ひとごみのなかにいくと携帯電話が次々に話しかけてくるから嫌な気分になるのと同じように。学校もそうだけど。だから嫌いなんだけど。
変な話。
作品名:正編 亜麻色の髪の乙女 作家名:哉村哉子