正編 亜麻色の髪の乙女
「ていうか憑依? 俺が? 俺の携帯に? うっそーん」
「うっそーん、じゃないしバカだな」
「だって。まじで?」
本当にうるさいクラスメイトだ。
来夏以外の人には見えないくせに。
電車の事故なんて珍しくない路線もあるのかもしれないけどさ、このあたりじゃ珍しいんだ。田舎だしね。ラジオからそんなニュースがいきなり流れてきたら気になるじゃないか。気にするじゃないか。その数少ない電車事故だっていうだけでも気になるじゃないか、しかもホントそこの駅だし。
その事故ったひとが同じクラスの人だったりなんかしたら。
これはもうびっくりだ。
気にして、考えて、気持ちの隅にひっかけていたせいで、たぶんそのせいで、仲良かったわけでもないそのクラスメイト(の、霊?)をひっかけることになってしまった。
今日は学校に行くつもりだった。しばらく行ってなかったのはたしかだけど今日は行くつもりだったんだ。それが水鳥君からメールなんか来るからさあ、事故ったくせにこんなとこいるし、と、来夏はでも言わない。
幽霊? らしき水鳥始は、足が消失していてセーラー服を着ている以外はまったくかわりなくいつもの水鳥始だった。いつもの、と言いきれるほど親しかったわけでもないんだけど。
水鳥君、水鳥君の携帯コレだよねと確認し、水鳥始がうんという前に来夏はポケットに突っ込んだ。自動的に水鳥始が来夏の隣に立った。瞬間移動するみたいに。
「あ、ポケットには入らないですむんだ俺」
水鳥始は、何かを納得したように、へえーとやたら呟いている。冗談じゃないと来夏は思うが言わない。
立ち入り禁止の扉を開けて、外へ出た。
プラットフォームはそこからすぐだ。そのあたりにあるはずだ、と、トイレを探して歩く。この駅ははじめてだから勝手がわからない。駅の向こう側で、木が伸びて、夏の終わりにしてはまだずいぶん深い影を落としている。
「俺これに憑依してんの、ほんとに? これっていうか、その携帯」
「じゃなきゃなんだってそんな格好なんだよ」
「いやそれも脈絡わかんないけど。なんで携帯? なんでこんなことに? 草壁くんわかる? 草壁くんには分かるって言われたから呼んでみたんだけど。ていうか選択の余地なかったけど。俺の携帯なのになんでほかの友達にはメールできないのかな? 幽霊って不便だなあ」
「……幽霊はわかってんだ」
水鳥始は来夏の肩に指を乗せ、なんとなくそれが嫌だったのだが振り払えないような気がしたのでそのままにさせておいた。
足がないいきものは妙に身軽に動くように見える。ひらひら動く。そういえばたぶん今は体重もないのだ。いや、ちょっとだけあるんだっけ?
心なしか、肩が重いのは、奴が幽霊だからなのか、それとも奴が特に親しくないクラスメイトだからなのか。
水鳥始は肩をすくめて足(のあるはずのところ)を見おろしてみせた。
「だって足ないし。幽霊だよねえたぶん」
やたらに軽い口調で言うことか。
「ねえ草壁くん、なんで?」
「どの「なんで」?」
「なんで他の友だちにはメールできないのかな?」
「理由の一個は水鳥君がそんなんなってるからで、二個目は受信機がだめだからだろ」
「受信機?」
「送信はできてもうけとれなかったら意味ないだろ」
「草壁くんのは受信できるんだ?」
「携帯の世界では顔が広いんだよ、僕」
「携帯の世界ってなんだよ」
草壁来夏、十四歳、中学二年生、半袖の白いシャツと黒いズボンは制服だ。残暑が厳しい折、まだ上着を着込むにも長袖を着るにも早すぎる。ついでに言えばうちの中学の女子の制服はセーラーで、来夏はセーラー服を見慣れすぎている。中学には行ったり行かなかったり。背はどちらかと言えば低い。目は細い。茶色の、すぐはねる猫っ毛が、ふわふわ絡まって頭の周りに浮かんでいる。
「そういえば草壁くんのお父さんカメラ好きかなんか?」
「ライカっていうカメラはあるけど、違う」
「じゃあ宇宙船だ」
「……その場合は犬の名前じゃないの? 違う」
たしかスプートニクとかいうロシアのロケットに乗った犬の名前じゃなかったか、と記憶を探る。そっちでもない。変な名前なのはたしかだけど。来夏と書いてライカ。
「五月生まれだから」
「ふうん」
「来る、夏」
「ふーん」
説明したのにふーんかよと思いながらトイレに入った。誰もいない、しめた。しめたもなにも平日のまっぴるまの田舎の駅のトイレに用事がある人なんてあんまりいないだろうけど。
個室。
「なに草壁くん、うんこ? 俺外いるよ」
「うるさい」
入って、つれこんで、鍵をかけた。
「……でかい声で独り言言ってて恥ずかしいの僕だろ」
ぽんと手を叩いて、水鳥が、ああそうか、と言った。和式便器の前の方に、背中が壁に当たらないように(きたないと思う)来夏が立ち、ひらっと動いてむかいあわせに水鳥始が浮かんだ。天井間近まで浮かんでいて、来夏は見上げる形になり、そのことにも少しいらいらしたが、いらいらしても仕方がないと思って何も言わなかった。水鳥始の、大きすぎる目が見おろしてくる。
「じゃあ別の質問。魔法使いって?」
「あいつらはそう言うんだよ」
「あいつらって」
「機械」
「携帯?」
魔法、使い。
来夏は携帯電話やテレビやパソコンを擬人化した姿が見える。もしくは精霊なのかも。どっちでもいい。
とにかく見えて、会話ができて、そして来夏の携帯電話の番号もアドレスも、このあたりの携帯電話たちは皆知っている。どうしてだか来夏は知らない、なぜか口コミで伝わってしまうらしい。別に友達いないからメールしないわけじゃなくてこれはそれ専用だからいらないの、と来夏が説明すると、
「でもそれ以外の携帯持ってないんなら友達いないのと一緒じゃん」
と水鳥始が言った。
「……とにかく分かった?」
「うん、まあ、うん」
「じゃあsどっちの話聞くよ」
個室の壁によりかからないように気をつけて立って、来夏は水鳥始を見る。水鳥は、ない足を跳ねさせて空中に座りこみ、うわ浮かぶ浮かぶ、と遊んでいた。せまいんだからそういうことするなよ馬鹿、と思うが、いつもと同じように、来夏は思ったことをあまり口に出さないことに決めているので、言わない。
「俺の話?」
きょとんとするな。
「そう。僕を呼んだんじゃないかそれで」
「だって知ってるんじゃないの?」
「じゃあなんで呼んだんだよ。相談したかったんじゃないの」
「そうだなあ」
水鳥始が首をかしげた。
「事故は今朝だったんだけど」
「知ってる」
「もちろんここ朝、田舎だっていってもちょっとは混むからさあ、絶対そうだっていいきれないんだけど」
「うん」
「つきおとされたような気がするんだよね」
自分のことだというのに、ひどく軽い口調で、目を大きくひらいて少し首をかしげて、目の前の足のないクラスメートは言った。
来夏はちょっと投げ出したくなった。
「じゃあ事件なんだ」
「え?」
「つき落とされたんなら事故じゃないんだ、事件だ」
「だから言ってるじゃん都市伝説ってぇ」
作品名:正編 亜麻色の髪の乙女 作家名:哉村哉子