ココロの距離
【3】-4
内心焦り始めた時、柊がこう聞いてきた。
「なあ、近々筑前煮を作る予定とかない?」
「え、――なんでよ」
これ食べてたら、と小鉢の野菜の煮物を指して、
「久々に食いたくなってきて。おまえが作るやつ、うちの母親に習った味だろ」
今だ、と奈央子は思った。すかさず言う。
「望月さんに作ってもらえば?」
それを聞いて柊はきょとんとした顔になる。理由はわかるが、ここは話を続けなければならない。
「おばさんから、望月さんに作り方教えてもらえば済む話でしょ。仲良くしてもらうちょうどいい機会じゃない」
この2年の間に、里佳を実家に1・2度呼んではいるが、柊の両親とはまだ打ち解けてるとは言えない程度なのを奈央子は知っていた。
わけがわからない、といった様子で柊はまばたきを速くした。しばしの沈黙の後、
「……それはそうかも知れないけど、でもさ、慣れてるおまえが作る方が手っ取り早いだろ。それに、望月はあんまり料理が得意って言えないし」
多少は戸惑っているようだが、基本的にはいつもと変わらない口調だ。その明快極まりない、もっと言うなら正直すぎる言い方に、急にムカっとしてきた。
「――そういう言い方やめなさいよ。彼女でしょ」
時々本当に、無神経なぐらいに素直すぎる……むしろ鈍感と言い替えるべきか。
「だいたい、あんた、望月さんのことちゃんと大事にしてるの? なんか……恋人として接してあげてないみたいに見えるわよ、たまに」
「――――?」
「望月さんを最優先に考えてあげてない時があるって言ってるの、今みたいにね。2年も付き合ってるのに、おばさんと仲良くしてもらいたいとか思わないわけ? そんな調子じゃ先々困るのはあんたの方なんだから。嫁と姑の確執で板挟み、ってよくあるんだし」
「嫁姑……って、おい何の話を」
「ともかく、もっと望月さんの身になって考えてあげてよ。彼女なんだから。料理とか掃除とか何かの相談とか、そういうことは全部望月さんにやってもらうのが一番いいの」
柊に説教しながら、同じことを自分自身にも言い聞かせていた。事実を再確認して、もう忘れることの――『調子に乗る』ことのないように。
無言で聞くうち、訝しげに眉を寄せていた柊が、話の区切りを見つけたように口を挟んだ。
「望月となんかあったのか?」
不意をつかれて一瞬言葉に詰まった。表情に出ていないことを願いながら、奈央子は否定する。
「――別に。わたしがそう思ったから言っただけ。第三者にそう見えるんだから、真面目に考えてみるべきだと思うわよ。それじゃ、そろそろ生協のバイトの時間だから」
言いながら立ち上がり、代金をテーブルの伝票の上に置く。間を置かずにカバンを取り上げ、席から離れた。
「……ちょ、待てよ奈央子」
呼び止める柊の声も無視し、早足で店の出入口を通り抜ける。
そのままバイト先へ向かうつもりだったが、途中で方向転換して、手近にあった化粧室に入った。幸い、先客は一人もいなかった。
一番奥まで足を進め、衝動的に、洗面台に手をつく。喉元までこみあげてくる熱いものがあったが、我慢した。
こんなことで泣きたくなんかない。
だって泣く理由なんかないんだから――2年前に決まっていたことを再認識した、それだけのことなのだから。なのに。
いくら歯を食いしばっても、湧き上がる感情はおさまってくれない。涙が勝手に出そうになるのを、まばたきの繰り返しで懸命に抑える。
早くバイトに行かなきゃいけない――あとしばらくだけ、誰も入ってきませんように。
その2つだけを、奈央子はひたすら考えた。