ココロの距離
【7】-2
「こないだ望月に言われたこと、よく考えてみたんだけど――確かに、望月が正しかったよ」
しばしの沈黙ののち、里佳が言った。やはり静かな口調で。
「ふうん。やっと気づいたってこと」
「ん……今さらだけど」
意外なことに、里佳はそれを聞いて吹き出した。
「そうね、ほんとに今さらよ。私は半年もしないうちに、なんとなく気づいてたのに」
「え、――そんな早く?」
「うん。……でも、別れたくなかったから言わなかった。全然自覚してないみたいだったから、そのうち気持ちが変わるかも知れないって、多少は期待してた……私はずっと好きだったから」
せつなげな口調に、柊はあらためて里佳に申し訳ないと思った。少し迷ったが、結局は口に出す。
「ごめんな」
「いいよ、謝らなくても」
「いや。おれ本当に、なんにも気づいてなかった。自分の気持ちも、望月にそんな思いさせてたことも……こんな鈍感だったなんて、自分でも知らなかった」
「だから、いいんだって。わかってたことだし、羽村くんが正直にそれを認められるようになったんなら――まあでも、ちょっとは悔しいかな」
思わず振り向いて見た里佳の横顔には、言葉とは裏腹に、おだやかな微笑みがあった。
「私も、羽村くんの幼なじみならよかったかな」
コンビニの買い物かごにコーラのペットボトルを入れながら、独り言のように里佳が言う。
「うーん、でもやっぱりダメだったかも。沢辺さんみたいな人が身近にいる限り、勝てる可能性は低そうだもんね」
「……ほんとに、ご――」
再び謝ろうとした柊を、里佳が手で制する。
「それ以上謝ったりしないで。ところで、沢辺さんにはまだ伝えてないの?」
にわかに口調をあらため、里佳はそう聞いた。柊は少し考えてから、
「一応言った。月曜に」
「言ったの? そのわりに元気ないのね。で、返事は?」
「聞いてない。……逃げられたから」
柊のその言葉に、里佳は目を丸くした。
「逃げられた、って……どうして」
里佳との口論以降のことを細かく説明する気には、さすがになれなかった。代わりにこう答える。
「なんていうか――ちょっと、誤解されてるみたいで。あいつの友達によれば」
「沢辺さんの気持ちは、知ってる?」
「――ああ」
奈央子に告白した日、つまり月曜の夜、彩乃から連絡があった。
柊の前から逃げ出した後の様子を大まかに説明したのち、『奈央子には悪いけど』と前置きして彩乃は打ち明けた。奈央子が、ずっと以前から柊を想い続けていることを。
『だから、奈央子も本当は信じたいはずなの。でもたぶん、急展開すぎて受け入れられないんだと思う……それに、望月さんのこともやっぱり気にしてるだろうし』
彩乃の話を聞いて、今までの腑に落ちなかった出来事に、ことごとく納得がいった。奈央子の態度の急な変化も、「勘違い」をして怒った本当の理由も――髪をいきなり短くしたのも、当然ながらその延長線上なのだろう。……よく似合っていて、好きだったのに。
そう、奈央子の長い髪が好きだった。たいていはきちんとまとめたり束ねたりしていたが、時折後ろは垂らしていることもあって――そういう時にさらさらと揺れる髪を、綺麗だなと心のどこかで思っていた。
そんなことさえ、つい最近まで気づかなかったのだ。ましてや奈央子の気持ちなど、彩乃に言われるまで、全くそうだとわからなかった。つくづく救いがたい鈍感だと、自嘲したほどだ。
柊の返答に、里佳は心得たように頷いた。
「なら、ちゃんと誤解を解かなくちゃね。どう誤解されてるのかわからないけど、何だったとしても、嫌いにはなってないだろうし」
「……そうかな?」
「そうよ。だってまず間違いなく、私よりも前からあなたのこと好きなはずだし。そう簡単に嫌いになったりしないわよ」
奈央子と会って半年強の里佳にそこまでわかるのに、どうして自分にはわからないのだろう。またしても深い自己嫌悪に陥りそうになる。
落ち込んだ表情になった柊の背中を、ハッパをかけるように里佳の手のひらが叩いた。
「そんな顔しないで元気出してよ。ここまで来たらうまくいってくれないと、私の決心も水の泡になっちゃうんだから」
明るく言っているが、彼女の隠しきれない微妙な思いは感じ取れた。また謝罪の言葉が喉元まで出かかったが、里佳の心情を慮り、胸におさめた。代わりにこう言う。
「……ありがとな、望月」
「あ、それと。サークルいきなり辞めたりしないでね。みんなに感づかれても私は気にしないから……って、もともと私が誘っただけだから、羽村くんがどうするかは自由だけどね」
特に断る理由もなかったので、里佳に誘われるままに入ったサークルなのは確かだ。友人ができたとはいえ、今もさほど執着はないのだが、もしこの状況で柊だけが辞めたら、仲間うちでさらに妙な憶測が飛ぶ可能性が大きい。それぐらいの予測はできたし、そうなったら、何より里佳が気の毒である。
自分も当面はいるつもりだと口にすると、今度は里佳が「ありがとう」と言った。会話の最初と同じ、とても静かな声で。