ココロの距離
【6】-3
――週明け、月曜。
4時限目の英文学講読が始まる10分前に、奈央子は教室に到着した。3分の1ほどの学生が来ている中、向かって左側の真ん中あたりに席を確保した彩乃が、こちらに向かって手を振った。
奈央子が隣の席に着いた途端、彩乃が尋ねた。
「ね、4限の後って空いてるかな」
「え……なんで?」
「いいから。バイトとか、どっか買い物行くとか、決定済み?」
「ううん、今日は特になんにもないけど」
勢いに押されつつ答えると、彩乃はちょっと電話してくると言って、携帯を持って教室を出た。5分もしないうちに戻ってきた友人に、奈央子は当然の疑問をぶつけた。
「ねえ、いったい何なの?」
「んーと、ちょっとね。後でつきあってほしい所があって」
彩乃らしくなく、妙に歯切れの悪い言い方である。「どこに?」と聞いても「後で言うから」と答えようとしない。そうこうしているうちにチャイムが鳴った。
すでに到着していた講師が、出席を取り、講義を始める。テキストの文字を追いながらも、奈央子の思考は当然ながら、先ほどのやり取りに戻っていってしまう。
彩乃がわざわざ隠すような場所とはどこなのか、見当もつかなかった――彼女は普段、そんな回りくどいことをする性格ではない。それだけに気になってしまう。おかげで、何度も今どこを読んでいるのかわからなくなりかけて焦った。
そんな調子のまま90分が過ぎ、チャイムとともに講師が終了を告げる。
「さ、行こう」
テキストや筆記具をてきぱきと片付け、彩乃が立ち上がった。急かされるままに奈央子も荷物をカバンに入れ、歩き出した彩乃の後を追う。
講義棟から出た直後、彩乃は奈央子の腕を引いて学生が行き交う道から少し外れた位置に移動した。きょろきょろと周囲を見回し、誰も近づいてきそうにないのを確認すると、彩乃はおもむろに「実はね」と口を開いた。
「羽村に頼まれたの。奈央子と会う段取りをつけてほしいって」
「――――――え?」
「どうしても話したいことがあるからって。怒ってもなんでもかまわないから、とにかく話を聞いてほしいんだって」
それまでの困惑が一気に、不安に取って変わる。
「……どういうこと」
「週末に羽村を呼び出して話をしたの。……うん、黙ってたのはごめん。でも、あっちの言い分があるなら、それも聞いておくべきだと思ったから。で、一応全部聞いて、考えてもらった結果、もう一度奈央子に直接話すってことになったの」
「……なにを?」
「それは自分で聞いて。ああ、でも奈央子が思ってるようなことじゃないよ。それだけは言っとく」
と言われても、全然安心できなかった。
(わたしが思ってるようなことじゃない?)
まるで訳がわからない。今さら、何を言おうとする気なのか。……何であろうと、聞きたいとは思えなかった。
「――行かなきゃだめ?」
弱々しく口に出すと、彩乃は思いのほか強い口調で「だめ」と言った。その後すぐ、今度はなだめるようにゆっくりと、
「ね、とにかく聞いてあげてよ。あいつ、わざわざ5限サボって待ってるんだし」
その言葉に、心が少し動いた。それでもまだ、逃げ出したい気持ちの方が大きかったのだが……
「わかった、行く」
今回は友人の気持ちを汲むことに決めた。彩乃はほっとした表情を浮かべ、奈央子を促して文学部棟の方角へ歩き始めた。