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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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ココロの距離

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【5】-2

 同じ日の夜7時過ぎ。柊は住宅地の中の女性専用マンション、つまり奈央子の住むマンションの前にいた。入り口前を行き来したり、花壇を囲うレンガに腰かけたりしながら。
 本当は部屋の前まで行きたかったが、オートロック式だし、無理に入り込めば目立つだろう。奈央子に余計な迷惑はかけたくなかった。
 ――昼間、学生食堂で思いがけず会った時。
 どうすべきかしばらく迷ったが……ともかく謝らなければならない。だから話しかけようと近づきかけた途端、奈央子は逃げ出した。当然の反応だとは思ったものの、やはりショックだった。
 とにかく、昨日のことを早く謝りたかった――自分の理由がどうであれ、奈央子を傷つけたのは確かなのだから。
 だから4時限目が終わってすぐ、5時限目のノートを同じ講義に出る知り合いに頼み、このマンションへと走ってきた。学内で見つけてもまた逃げられるだろうから、帰ってくるのを待つつもりだった。
 念のため、着いてすぐにエントランスのインターホンを鳴らしてみたが、応答はなかった。……居留守を使われる確率が今までで一番高い状況ではあるが、少なくとも今日はまだ帰ってないと(希望的観測もあるが)直感で思った。
 それから2時間強。とうに日は沈み、辺りは街灯の光と、マンションから洩れる明かりのみ。待ち続ける間に数人の女性が出入りし、それぞれに程度の差はあれど、怪訝な目つきで柊を見た。そのたび、気まずいという言葉では足りないぐらいの気分がしたが、目的を果たさずに帰るわけにはいかない。
 ……しかし、できれば通報されたりしないうちに帰ってきてほしい。などと考えていると。
 視線の先、街灯に照らされて、こちらに歩いて来る姿が見える。
 奈央子だった。
 幸い、まだ柊がいることには気づいていないようで、少し顔をうつむかせたまま、マンションに近づいてくる。
 互いの距離が5メートルほどになった時、柊は立ち上がり、数歩前へ踏み出した。その時ようやく、そこに人がいることに気づいたらしく、奈央子が顔を上げる。
 柊の姿を認めた途端、予想通り表情をこわばらせた。
 数秒の静止ののち、慌ててマンションに駆け込もうとするが、それも柊は予測していた。エントランスに続く階段の手前で、奈央子の前に回り込むことに成功する。進路をふさがれて、奈央子は再び足を止めた。
 こわばった表情のまま、視線をあらぬ方向へそらし、まばたきを速くする。どう対処したらいいのかわからず、困惑しているようだった。
 また逃げようとする前にと、柊は今のうちに話をすることにした。早口で話し始める。
 「悪い、驚かせて。そのままでいいから話を聞いてほしい――昨日はごめん、どうかしてた」
 その言葉を聞いて、奈央子は視線をこちらに戻した。柊の顔を見上げる。
 目を合わせても今度はそらさなかった。勢いづいて、柊は言葉を続ける。
 「おまえが怒ってもしかたないし、許してもらえなくて当たり前だと思ってる。けど、説明だけはちゃんとしておきたくて――」
 その時、奈央子が呟くように何かを言った。だが小さすぎてよく聞こえなかった。
 「え?」
 「……もういい、って言ったの。はずみでしたことだから、なかったことにしてほしいって言うんでしょう。心配しなくても、わたしは忘れるつもりだから」
 言われた意味がつかめず、柊は戸惑った。その隙に奈央子は、マンションに入るため柊をよけて歩き出した。
 反応がわずかに遅れ、うろたえる。引き止めるため、柊は後ろから奈央子の右腕をつかんだ。が、ものすごい速さで振り払われる。
 その勢いと、手の痛みに呆然としていると、奈央子が振り返ってこちらを睨んだ。思わず後ずさってしまいそうな、激しい感情に満ちた目だった。
 「あんたが望月さんと仲良くしようがケンカしようが、それは自由よ。けど、わたしを巻き添えにするのはやめて。まして――」
 と一度言葉を切り、
 「望月さんの代わりにされるのなんて、まっぴらなんだから」
 吐き捨てるように言うと、今度こそ背を向けて、奈央子はエントランスへ入っていった。
 柊は、それをただ見送るだけだった。今言われたことが衝撃的で、他には何もできなかった。
 『代わりにされるのなんて――』
 違う、と言おうとした時には、もう遅かった。


作品名:ココロの距離 作家名:まつやちかこ