恋の掟は夏の空
長い夜の始まり
顔になにか触れている。直美の長い髪だ。
甘い香りもほんのり鼻をくすぐる。
口元は直美の唇できれいにふさがれていた。
意識ははっきりしてきた。しばらくこのままにしようと思う。
彼女は眼を開けているんだろうか。
それはとても長い時間だった。
髪の毛が顔からはずれ、甘い香りと柔らかい口元の感触が遠ざかっていく。
「出来たよ、ごはん。」
言いながら彼女は俺の頬をつまんでいる。
「うーん。寝ちゃったぁ」
自然に言ったつもりが、なぜか、大きな声がでた。
甘い香りはまだ、体を包んでいる。
「さて、なにが、できたでしょうか?」
「ハンバーグです」
「匂いでわかった?やっぱり?」
「スーパーで買った材料でわかるでしょうが?」
「そうか。わかるよね」
覗き込んでいる顔は目の前20cmにあった。
頭の後ろに手をまわすと、彼女はくるりと立ち上がった。
「冷めちゃうから、たべよ!」
きれいにテーブルクロスの上には
料理が並んでいる。
「うまそうじゃん。」
ハンバーグには似合わないかぼちゃの味噌汁がある。
「これって、かぼちゃ?」
「そうよ、大好きなんだ。甘くておいしいよ、きらい?」
きらいもなにも、食べたことがなかった。
「いや、けっこう好き」
うそだった。
「いただきまーす」
直美の声が広い二人きりのリビングダイニングに広がる。
俺の鼻には甘い直美の香りとハンバーグのソースの匂いが広がっていた。
どれくらい、キスしてたんだろう。
付き合いだして1年もたつのに初めてのキスだった。
「ねぇ、おいしい?」
「ものすごく、おいしいです。1週間ぶりに幸せなごはんです」
「だから料理じょうずって言ったじゃん」
ほんとうにおいしかった。
「あれ、こんな時間なんだ・・時間かかりすぎなんじゃ・・」
「あーひどい、劉が寝ちゃてたから、焼くをのずーっと待ってたのに。」
家についてから1時間以上もたっていた。
「起こせばいいのに」
「もう、おなか鳴って、がまんできなくなって、やっと起こしたんだから。」
少しふくれっつらの直美がいる。
「俺の寝顔見て笑ってたくせに」
「なんか、ずーっと顔にクッションに付けて寝ててさ、息してるのかなぁ、ってのぞきこんじゃった。けっこうおもしろかった」
「なんか寝言言ってた?おれ?」
「劉は・・直美ぃいぃ 大好きだぞぉお・・って5回も言ってたよ」
「言わないでしょう、それは。」
「あー。言ってたもん」
直美は笑っている。
俺はその口元を見つめていた
ついさっき、口をふさいでいた直美の口元を。
なんで、俺のことを好きなんだろう・・
考えたら一度も彼女に聞いたことがなかった。
高校にあがった時から俺は「直美」が好きだった。
俺の中学の同級生の真野子と仲がよかったのでずっと話はしてたけど、それ以上は言わなかった。
1年前にいきなり夕方の体育館で
「劉はさ、私のこと好きでしょ?ずっーと好きだったでしょ?なので、
今から私が劉の彼女になることになりました。いいよね。だって、ずっーと彼女いないしさ劉」
次の日には知り合いが全員そのことを知っていた。
俺は直美の彼氏になっていた。
「なんか考え事してる?」
「あ、1年たつんだな、あれからって思ってさ」
「2年半ですよ 私たち」
「え、なんで」
いきなり玄関のインタフォーンが鳴った。
それが、長い夜のスタートだとは気づきもしなかった。