恋の掟は夏の空
長い夜−5
それから、坂を降りて、僕たちは歩いている。
「夏目坂 って言うんだよ。ここ」
「へー。じゃぁ、ここは幽霊でないんだねー」
そんなに、あっちこっちに出られてたまるかよって思っていた。
「夏目漱石の家がここに昔あったんだってさ、我輩は猫であるも、その家で書いたらしいよ」
前ににーちゃんから聞いたうけうりだ。
「へー。なんか、いいねー」
ただの住宅街にしかみえないけどなーと思っていた。
「ね、もう帰ろっっか。眠くなっちゃった。朝早かったし・・」
少し静かな道路に僕らは入っていた。
「ね、あそこに見えるのがマンションだよね?」
このまま、あがって左に回るとそうだった。たぶんちょうどマンションの周りを半周したような感じだった。
「あ、ちょっといい?」
言いながら、酒屋にいきなり入っていった。
「これ、ください」
手にビールを2本もって堂々と酒屋のオジサンに差し出している。
「えらいねー。お父さんに頼まれたんだね」
「そう」
うそつきだった。
「飲もうね?帰ったら。のど渇いちゃった。劉って飲めるの?」
飲んだことはあったけど、すごーく弱いのをしっていた。
「そりゃ、飲めるさ。直美は飲めるの?」
「ビールなら、へっちゃらよ」
飲めないなら2本買わないだろうなーって手に下げたビールを見た。
ビンがぶつかり合う音が、風鈴みたいに涼しい音をだす。
手をつないで、歩いていた。今日は坂を上ったり下ったりで、足が痛いや。
マンションにやっとたどりつくと、また、フロントマンが
「おかえりなさい」
と、変らずに微笑む。
「ただいま戻りました。」
ずーっと住んでるみたいに直美はちゃっかり答えている
「お客様がお持ちでいらっしゃいます。柏倉さま」
「え、俺にですか?」
「はぃ、そちらのロビーのソファーにお待ちかと思いますが・・」
左手のソファーの前に立った男の人がこっちを見ていた。知らない顔だった。
「あー、おにーちゃん。」
マンションのロビーに飛び切り大きな直美の声が響く。
びっくりした。初めて会った直美のおにーさんだ。
軽く頭を下げるだけで精一杯だ。
なにも頭の中に言葉が浮かばなかった。
どうすりゃいいんだろう。手にビールまで提げてるのに。
「元気か?」
「うん。で、なんで、ここにいるのよー」
「今日たまたま電話したら、お袋がお前はここに今日は泊まるって言うから」
「あー、おしゃべりだなー」
「この隆哉のマンション来たことあるし。さっきまで、新宿で飲んでたから俺。いるかなーと思ってさ。よって見たら、散歩いってるみたいですよって言われたからさ。あの人に。少し待ってこなかったら帰ろうかなーと思ってたところよ」
どうにも、会話に参加できなかった。
ここに泊まるって、母が妹のことを平気で言って、それをにーちゃんが聞いて、ここに立ち寄るって、どういうこと・・どんな家なんだろう・・真っ白になっていく俺の頭だった。
感じていたけど、想像以上の家かもしれない。
「始めまして、静劉です」
やっと言葉がでた。
「あ、知ってるから。弟でしょ。隆哉の。こちらこそ、こんな妹ですが」
「部屋あがりますか?」
「いや、俺、ちょっと、」
その後ろに奇麗なスカート姿の女の人がほんのり赤い顔をして立っていた。全然いままで気がつかなかった。
「こんばんわ」
彼女が頭をちょこんと下げた。
「じゃ、顔見たから俺は帰るわ。ちょっといいか?直美」
そう言いながら直美を俺らの前から少し離して呼んで、なにか話しかける
「私、君のこと知ってるわ。おにーさんとも知り合いだから。写真みたことあるわよ。」
「マジですか?」
「うん。いいわねー。今日二人っきりなんでしょ。これから。頑張ってね」
「もう、疲れたんで寝ちゃいます」
「やだー」
言いながら、クスクスとおにーちゃんの奇麗な彼女らしいひとは笑った。
「じゃ、帰るわ。悪いけど明日いっしょに田舎まで帰ってやってやってね」
そういうと、手を振りながら玄関を足早に出て行った。すぐに二人は腕を組んでいた。
「は、はぃ」って答えたんだけど聞こえただろうか。
「ねぇ劉。おにーちゃん何を言ったと思う?」
「なんか、怒られた?」
直美は笑い出してなかなかその答えを言えそうになかった。
「あのさ、お母さんがね、キスはしかたないけど、いちおうそれ以上はちょっとね・・って俺に言うから、一応伝えとおくわ!だって」
「えっ」
なんちゅう会話なんだ。
「でね、わかったけど、もう、さっきキスはしちゃった。って言っちゃった」
直美の顔がうれしそうだった。
俺は、もう、笑っていいのか、どうなのか、わからなかった。
この話を全部聞いてたはずのフロントマンと眼が合ったので頭を下げて、エレベーターに向かった。
「あ、置いてかないでよー」
後ろから直美の足音と、おやすみなさいませの、フロントマンの声がロビーに響く。
エレベーターに乗り込む。
「キスまではいいんだってさ、劉」
「おまえんち、なんか少し変ってない?」
「うーん。どうなんだろう。他の家わかんないしねー」
「絶対変ってるわ。」
「あー、ひどい、お母さんに言いつけるからねー」
マジで言いそうだ。
エレベーターは7階に着いた。
10時を少し過ぎている。夜景がきれいに通路から新宿方面につながっていた。
直美は、なぜか、まだ、思い出してなにか笑っている。
「さ、早く部屋にもどろう!」
「うん」
直美の笑顔が夜景に映えてほんとうに可愛かった。