恋の掟は夏の空
長い夜−2
遅い時間ではないのに誰もエレベーターには乗り込んでこなかった。
「ね、もう帰ってあげて・・。心配するから・・直美って子・」
耳元で小さな声が聞こえる。
俺は彼女の後ろにまわした手を両頬にまわして、顔を上げさせた。
「駅までは送っていくよ」
「劉ってバカじゃないの・・」
「バカでもいいよ」
マンションのフロントマンに軽く会釈をして、外に歩き出す。駅までは下り坂を入れても10分かからないだろう。
東京はまだ、静かではなかった。
でも、二人の間だけは、とても静かなような気がする。
「手、つなごうか?」
ちゃんと顔を向けて由紀子が微笑んだ。
俺はほんのちょっとだけ笑って言った。
「手なんかつないだことないぞ、お前とは、俺」
「あー、ちっちゃい頃はよく、手つないでお祭りとか見たじゃん。わすれっちゃったんだ、劉は」
覚えていた。たしかに小さい頃は、田舎のお祭りによく来ていた由紀子としっかり手をつないで、縁日をまわっていたような気がする。
「ね、手つなごぅ」
彼女のだした右手を俺は、しっかり握る。
夏風が涼しい夜のような気がしていたのに、由紀子の手のひらはしっとりと暖かかった。
「思い出した?私の手の感触は・・」
黙って俺は軽く彼女の手を握りしめる。
由紀子も、それに答えるように、握り返す。
「聞いていい?彼女のこと?」
「うん」
「彼女のこと好きなの?」
「高校にあがってからずっと好きなんだ」
うそは言わないようにした。
「かわいいもんね。彼女。劉ってさ、けっこう顔で選ぶでしょ。でも、性格もよさそうだった、あの子」
「今日はね、あんまりしゃべらなかったけどさ、由紀子と一緒でけっこうおしゃべりの明るい子なんだ」
「そっかぁあ。」
「あ、こんなとこに公園あるんだね。ねぇ、ブランコしようか」
言い終わらないうちに由紀子は公園の中にもう俺の手をひっぱっている。
「劉の家のそばの小学校でよく、夕方までブランコして劉のおかーさんに怒られたね」
ブランコが好きなヘンな子だってその時に俺はちっちゃいながら思っていた。
「あのさ、俺今だから言うけど、ブランコってダイッキライなんだよね。これ。気持ち悪くなって酔うのよ」
「うそー。喜んで乗ってたじゃん、劉も」
「それさ、母親がさ、女のこなんだから、怪我しないようにするのよって言うから、しかたなくずっと見張ってたいたってのが本当なんだよね」
由紀子は俺の顔を見て、やっと、いつもの由紀子の笑顔をみせる。
「バカだー劉って」
「ひでぇえ。俺何回、ゲロはきそうだったか、しらないぞ」
「じゃ、押すだけでいいや。後ろから押してよ」
由紀子の背中を押す。18歳の由紀子の背中だった。
「ちゃんと押しなさいよ」
さっき、抱きしめた由紀子の背中を押すのはなんだかとても恥ずかしかった
「重いよ、めっちゃ」
「あぁぁぁ かっこよかったのになぁ昔のの劉は。男らしくて・・もういいよ、自分でこぐから」
なぜか、二人で笑い出した。
「さ、帰ろうっと」
ポンとブランコから飛び降りた由紀子が微笑んだ。
「うん。帰ろうか」
俺は右手を差し出した。
「バカじゃない、やっぱ劉って・・」
言いながら彼女は腕をまわしてきた。
「由紀子にも聞いていい?」
「うん。なに」
「彼氏はいるの?」
「いるわよ。あたりまえじゃん。けっこう私もてるんだから」
「そっか。どれくらい付き合ってるの?」
「うーんとね、あんまり覚えてないけど、14年くらいかな・・」
言い終わらないうちに
パット腕を引き抜きながら由紀子は、走り出した。
5m先で立ち止まり、振り返りながら
「おやすみ。劉」
そう言いながら彼女はもう小走りに人ごみの中に消えていった。
4歳の時だった、由紀子を初めて見たのは・・