恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「いえ、謝らなくてはならないのは、こちらの方です。安易に無理なツーリングを勧めてしまって。でも本当に無事で良かった。もし仮に事故にでも会ったら取り返しの付かないことになってましたからね」
「あのぉ、お詫びと言っては申し訳ないんですけども......。
ケーキを作ってきたんです。みんなで食べてもらえませんか?」
「おっ、裕美さんの手作りですか? ラッキー!早速食べましょうよ、店長、裕美さん。俺コーヒー淹れてきますから、ゆっくりしていて下さい」
「こらっ、ツバサ。元はと言えば、お前が安易にツーリングに誘ったからだろう!」
「そんな、店長さん。そのことはもうイイですから、みんなで食べましょうよ。フルーツタルトを作ってきたんです」
***
「裕美さん、これ美味しいっすよ。やっぱ自転車に乗っていると甘いものが欲しくなりますからね。ケーキの差し入れは大歓迎ですよ」
「まあ、ツバサ君もお世辞だけは上手よねぇ」
「裕美さん、本当にこのタルトは美味しいですよ。でも今日は裕美さんが来てくれて本当に嬉しいです。あんな辛い目にあったんですから、もしかしてロードバイクを嫌いになったんじゃないかと思って心配していたんです」
「そんな、店長さん。みんな良い人だし楽しかったですよ。」
「えっ? タカシさん達を良い人ですか? 裕美さんも相当変わった趣味をしていますねぇ」
「コラッ、ツバサ!」
「そうよね。ちょっとセクハラはキツイし、子供みたいな人達ばっかりだったけど......。
でもわたしが遅いからって怒る人なんて誰もいなかったし、心配して探しに来てくれてたんだもん。なんか良い人達なんだなあって思って」
「そうですよ。チームの皆も裕美さんが来てくれて喜んでいましたからね。今度会った時に、裕美さんも喜んでたって伝えておきますよ」
「えっ、店長さん、それはダメぇ! そんなこと言ったら、みんなお調子者だから、今度こそわたしの身が危うくなっちゃう。オカズじゃ済まなくなるから、ダメぇ!」
「アハハハッ! それもそうですよね。タカシさんにはキツく言っておきますから」
裕美は彼と朝のコーヒーを一緒に飲めたことで、至極上機嫌だった。
まだお店も開けたばかりなのだから、お客も少ないだろう。もう少しこうしてゆっくり出来ればなあ、と考えていた。
だがその時、聞き慣れない女の声がしてきた――。
「すいませーん。滝澤君いますか? ちょっと良いかしら?」
「あっ、エリカさん、いらっしゃい!」
裕美は"エリカ"という名前を聞き逃さなかった。
もしかして、ツーリングの時にタカシさん達が言っていたエリカのこと?
それに滝澤君って呼び方は何?
皆"彼"のことを「店長」とか、親しみを込めて「タッキー」と呼ぶことはあっても、「滝澤君」なんて呼ぶことはない。
裕美はその女を見て、女としての、また職業上のセンサーがピピッと動いた。
唯の美人という訳ではない。その女のスタイルやファッションから、"それなり"のモデルだということは直ぐに分かった。弁護士とは言え、高級ブランド『ロワ・ヴィトン』に勤める裕美だ。少なくとも、唯の「客」ではないことは直ぐ分かる。
「裕美さん、すいません。お客様ですから、ちょっと失礼します」
彼はそう言ってエリカという女の所へ行ってしまった。
「滝澤君、この服見て。似合う? 撮影でも平気かしら。自転車用のウェアじゃちょっとヤリ過ぎるから、テニスウェアにしてみたの。スカートも可愛いでしょ?」
「そうですね。初心者向けなら、テニスウェアの方がアピールしやすいかもしれませんね。それじゃ、そのウェアの色に合うバイクを選んで......」
「うーん、どっちがイイいか迷っちゃうわ。滝澤君、一緒に選んでくれない。それとロードバイク用のウェアも選ばなくちゃならないの」
「それじゃあ、女性用のウェアをを幾つかピックアップしましょう」
「それなら滝澤君がいつも着ているやつが良いな。ブロンドの女神の絵が描いてあるジャージ。わたしにピッタリじゃない」
えー! 何よ、あの女! 彼のこと"滝澤くん"ですって?
わたしでさえまだ"店長さん"としか呼べてないのに!
それに「この服似合う?」とか、「スカートも可愛いでしょ」なんて。
わたしでさえ、そんな露骨に彼に聞けないわよ!
「ちょっと、ツバサ君! あの女誰よ?」
裕美は小声で、だがちょっとドスの効いた口調でツバサに聞いてみた。
「裕美さーん、怖いっすよぉ。エリカさんのことを初対面で"あの女"呼ばわりっすかぁ? 彼女『エリカ』さんって言って、結構有名なモデルなんですよ。よく雑誌なんかでも見かけますしね」
「ふーん、わたしは知らないけど。モデルって言っても、ウチのブランドとは関係ないでしょ。どこかの"安い"ファッション雑誌のモデルなんじゃない?」
「裕美さん、マジ怖いっすよ。お願いですから、俺に当たらないで下さい!」
「で、ツバサ君。"あの女"、店長さんとどうゆう関係なのよ?」
「彼女、"Cancan"っていうファッション雑誌の専属モデルなんですよ。今そのCananでロードバイクとかスポーツ用自転車の特集を連載しているんです。最近、自転車で痩せるってことで、雑誌でも取り上げられることが多いですからね」
「ふーん、でもどうして店長さんがそんなことを手伝っているのよ?」
「その出版社にウチの店がロードバイクや色んな物を貸し出しているんですよ。それだけじゃなくて、店長がエリカへの"先生役"ってことで雑誌にも載っているんです。店長、ルックスも結構イケてますからね。ほら裕美さん、この雑誌ですよ」
そう言われて、ツバサから渡された今月の"Cancan"を見てみると、確かにエリカと彼が一緒に写っている写真があった。そこにエリカはクロスバイクにパステルカラーのテニスウェアを着た姿で写っている。女の子向けの随分"カワイイ"格好をしてることが、何か裕美の癪に障った。
「まあ、ウチとしても広告になりますからね。喜んで受けたって訳ですよ!」
「そんな役は店長さんじゃなくて、ツバサ君がやれば良いじゃない。女の子を扱うのは得意でしょう。自称No.1ホストなんだから」
「エリカさんが店長を"ご指名"したんだから仕方ないですよ。店長のことを気に入ったんじゃないですか? 裕美さんみたいに?」
「......。ツバサ君、わたしに怒られたいの? 一言余計よ!」
「ツバサー! ゴメン、店の方を任せて良いかな? バイクとジャージをスタイリストさんの所に持って行かなきゃならないんだって」
「了解です、店長。今は他にお客さまもいませんから......。あー、平気ですよ」
ツバサは裕美にバツの悪い顔を見せながら、店長を送り出さざるを得なかった。
「裕美さん、すいません。せっかく来て頂いたのに!」
「滝澤クーン。そろそろ行けるかしらー?」
「すぐ行きます。裕美さん、本当にすいません!」
裕美との逢瀬を惜しむことなく、彼はサクサクと店の車にエリカを乗せて行ってしまった。
そんなあ、店長さん、まだケーキがあるじゃない。折角一緒に話をしてたのに......。
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ