恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「いやー、裕美さん、大変でしたねえ」
「もう、イヤになっちゃうわよ。セクハラなんだから。テル君とユタ君はそんなこと言わないわよねえ?」
「それりゃ、流石にあそこまで言えませんよぉ」
「まあでも、ただマジメに走るより、冗談を言っている方が楽しいでしょ?」
「もう、あんなのが楽しいなんて、やっぱり二人とも男の子ねえ」
「でも、長時間黙って一人で走るなんてツマらないもんなあ。サイクリングロードって、こうやって並走して走れるから話もできて楽しいんですよ。普通の道路だと並走して走れないから、黙って走ることになっちゃうし」
「そうそう、この前千葉の銚子まで行った時には、ずっとサイクリングロードを走って行けたんで、もう喋りっぱなしだったもんなあ」
「そんなに長い間、テル君もユタ君も一体何を話しているの?」
「そりゃあ、話す事は山程ありますよ。この前のレースどうだったとか、新しいフレームやホイールのインプレッションとか」
「そうそう。どこの峠が面白いとか、あの店が美味いとかね。今日行くお店やツーリングの企画も走りながらノリで決めちゃったみたいな感じだし」
「それより裕美さんも結構話題になってたんですよ。ホノルル・センチュリーライドのミニスカート。みんなのツボにハマったらしくって」
「それであのセクハラ発言なの? 女の子にそんな話をして気を引こうとするなんて、本当に子供みたいな人達ね」
「でも、ノリがいいから結構楽しいでしょ?」
「もう、変なチームワークが良いのは間違いないわよねえ」
「おっと、裕美さん。もうすぐサイクリングロードが終わりますから気を付けて下さいね。俺達がリードしますから、付いて来て下さい。車に注意して下さいね」
「分かったわ。テル君、ユタ君」
***
車も走る一般道に入ると、これまでの様なおしゃべりモードでは走れない。車道に入ると、皆、レースや練習の時とは違う別の緊張が走る。意識が360度全ての方向に張り詰めるのだ。
後ろから迫る車に注意を払う必要もあれば、信号や対向車を見るため前方に意識を払う必要もある。それだけではない。路面も段差等があるので、必ずしも状態が良いとは言えず、前のバイクとの車間距離もキチンと確保する必要もある。
さらに先頭を走る人は、道に迷わないよう道路標識を見たり、後ろを走る人が千切れて置いてけぼりとならないようペースを一定に保つ必要もある。
しかも都内のような2・3車線もある広い道路ならまだ良いが、ちょっと都心を離れた地方だと、片側一車線しかない狭い道路。なのに交通量が多い道を走ることも少なくない。車も"逃げ場"がないのだ。必然的にロードバイクのギリギリを車が追い抜いて行くことになるので、サイクリングロードより危険度が高くなる。
テル、ユタ、裕美の三人は他のチームから少し離れて走っていた。車が彼らを追い抜くためのスペースを作るためだ。それに少人数の方が車間距離を確保しやすく安全性も高まる。
速く走る工夫は、それだけでない。テルとユタに続いて裕美が走るフォーメーションを組んだ。空力の面からも、先頭・2番目よりも、3番手以降の方が負担が少ないためだ。
「スゴーイ。テル君、ユタ君。車道はちょっと怖いけど、思ったよりも走りやすいわ!」
「そうでしょう。美穂さんから、公道での走り方もキッチリ叩き込まれましたからね。意外だったんですけど、ロードバイクを乗る時に、最初に安全運転の方法ってのを教えられるんですよ。てっきり、シャカリキになってペダルを踏めって言われるかと思ってたんですけどね」
「そうそう。最初は、こうゆう車道じゃトレインを組ませてもらえなかったもん。下手に大人数でトレインを組むと危ないってね」
「『 お前一人で走ってるんやないぞー!』って何度も怒鳴られましたよぉ」
「美穂姉え、厳しいー!でもやっぱり美穂姉えってカッコイイわねえ。好きになっちゃう!」
「ええ、ひょっとして裕美さん。そっちの趣味!?」
「もう、二人とも。タカシさんじゃないのにセクハラ?」
「オレも美穂さん好きっす。カッコいいっすよねえ。美人だしさあ!」
「でも美穂さん、俺達のこと子供扱いして相手にもしてくれないしなあ。裕美さんは、その点相性良さそう!」
「頼りになる所もあるしさあ、こうゆう風にロードバイクに乗ってる時は逆に頼ってくれそうだしぃ」
「あっ、イイねえ。頼ってくれる女で、イザって時に頼れる女ってサイコー!」
「やあねえ。女はそんな都合の良いものじゃないわよ!」
アハハハッ!
どうも、裕美とテル、ユタはどこか"レベル"が同じなのか、不思議とウマが合うようだ。
幸いにも、このような車道ではペースを上げることも出来ないので、なんとか裕美も付いていける。30分も走ると街中を抜け、田舎の田園風景が広がってきた。白い石灰岩が広がるパリの大地とは違う、透明な川の水と緑が溢れる日本の風光明媚な山々の景色だった。
「気持ち良いわね、緑がキレイで。やっぱり日本はこうでなくっちゃ!」
「おっ、出た! 裕美さんのフランス帰りのセリフ!」
「でも本当よ。パリなんかはこんなキレイな景色はないわあ。今日は来て良かったわあ」
「まあロードバイクで走ると、田舎まで来れますから結構気持ちイイですよね。でもヤッパ景色より旨いものですよ」
「もう、ロマンチックも台無しねえ。テル君もユタ君もアイドルなんだから、もっと女の子が喜ぶ話をしなきゃダメよぉ」
「そうは言っても、走ると腹は減るし美味いもの食べたいもんなあ。裕美さん、もうすぐ休憩ポイントのパン屋に着きますから。そこのパンがホント旨いらしいんですよ」
「ええ? こんな田舎にパン屋さんがあるの?」
裕美は周りを見回したが、この田舎の景色はパン屋ではなく、どちらかと言うと田舎の蕎麦やうどん屋さんの方が似合うような場所だ。
そんなパン屋がとても美味しいとは思えない。青山にある裕美の行きつけのブーランジェリー"Boulangerie"の方が絶対に美味しいに決まっている。
「ほら、裕美さん見て下さい。アレですよ。ジャージが集まってますよ!」
えっ? 何アレ?
『シロクマ・パン』と看板があるその店には、不思議なことに『ワルキューレ』のメンバーだけではない。ちょっとした自転車レースの会場かと思われるほど多くのローディー達が集まっているのだ。
裕美は事情がよく分からないまま、テルとユタの後に付いて自転車を置く場所を探すと、何とロードバイク専用のバイクスタンドまである。
一体、何なの? このお店?
「ハハハ。裕美さん驚いたでしょう。ここは自転車乗りの間では有名な店で、この辺りのローディーのメッカみたいな場所になっているんですよ。これだけの人がわざわざ買いに来る位だから、味はかなり良いらしいですよ。プロのロードレーサーも常連になってるらしくて」
先に着いた『ワルキューレ』のメンバー達はテラスで休んでいるが、テーブルの上には文字通り山の様にパンが積まれている。皆"戦闘準備"は完了しているようだ。
「おっ、裕美ちゃん着いたねー。早くパンを買ってきちゃいなよ。みんな待ってるからさあ」
「俺達も少しゆっくりするからさあ、いっぱい買ってきていいよ」
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ