恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「裕美さん、パンク以外には特に問題はありません。それじゃあ、くれぐれも気を付けて走って下さい」
「ウン!行ってきます。店長さん!」
「ほな、行くよ。裕美」
美穂はペダルを踏み出発した。裕美もワンテンポ遅れて出発する。美穂の後ろに張り付いて少しでも負担を減らすのだ。
「ごめんね。美穂姉え、我が侭を言って......。
でもわたし、どうしても店長さんの前で落ち込んだり、泣いたりしている所を見られたくなかったの。泣いているだけの女なんて思われたくない!」
「裕美、あんたカワイイ顔してる割には、結構強いところあるやん。お前ホンマええ女やなあ。わたしが男やったら惚れてるところやで。エエわ、付き合ったるから。こうなったら泣き言も言えん様なるまで走ってみい」
「ありがとう! 美穂姉え。ありがとう......」
***
「裕美ぃ! ペースが落ちとるで。やっぱ具合が悪いんか?」
「......。ごめんなさい、美穂姉え」
裕美はこれ以上声を出すことが出来なかった。
いや、声は出るが、何と美穂に返事をしたら良いのか分からなかった。肩の痛みがこれ程走る負担になるとは思っても見なかったからだ。
肩の痛み自体は我慢できる程度の鈍痛だ。でもその僅かな痛みが身体全体の筋肉を緊張させ、また痛みを庇うために無理な力を使いと、逃げられない悪循環に陥ってしまっている。
今まで120キロも走ってきているのに、その上この怪我だ。次の休憩ポイントで休んだとしてもどれだけ回復できるか分からなかった。
美穂もこれ以上走ることは難しいかと思い始めていた。ホノルル・センチュリーライドは制限時間内にゴールしなくてはならず、それに間に合わなくては完走したと認められない。
これは体力の限界を超えた無理な走行を止めさせる安全のための措置であるし、体力の低下による不注意から、先程の様な接触事故を防ぐためのものでもある。決して無理をすることが正しい訳ではないのだ。
「裕美ぃ、とりあえず次の休憩ポイントまで走るよ。もう少しやから頑張ってなあ」
ああ、"とりあえず"かあ。
次で美穂にリタイアを宣告されるかなあ。
でもこれ以上、美穂姉えに迷惑をかける訳にはいかないし、美穂の指示に従わざるを得ない。裕美は自分の置かれている状況を冷静に考え、リタイアを覚悟した。
美穂と裕美は最後の休憩ポイント、サンディ・ビーチ・パークに付いた。
するとそこにロードバイクを持った"彼"が裕美と美穂を待っていた。
「裕美さん、美穂さん、お疲れ様です。これから僕も一緒に走りますから!」
「タッキー!あんた サポートカーはもう良いんかい?」
「ええ。ツバサから連絡があって、先に行った皆さんは全員無事にゴールしたそうです。残るは裕美さんだけです。最後まで一緒に走りましょう」
「店長さん......」
「タッキー、実はここでリタイアさせようかと思ってたところや。裕美も体力的にキツイかも知れんで。最後にはハートブレイクヒルもあるしなあ」
「大丈夫です。僕が後ろから押していきますから。もう少しです。頑張りましょう」
「店長さん、ありがとう。わたしのために......」
裕美は少し涙が出た。でも彼のためにも、自分のためにも"泣く"訳にはいかなかった。
これから最後のパレード・ランが始まるのだから!
「さっ、裕美さん。冷えたコーラがありますよ。これが一番スッキリします」
「ありがとう。わたしいっぱい飲んじゃう!」
「良かった。まだ元気そうですね」
***
バシッ、バシン!
彼と美穂が、シューズをビンディングペダルを填める音が響く。戦闘準備が整った音だ。
「それじゃ裕美さん、行きますよ。美穂さんの後に付いて行って下さい」
「ハイ!」
裕美は彼の声を聞いて不思議と元気が出たようだ。大きな声を出して返事をし、ペダルを踏み始めた。
美穂、裕美と"彼"の3人はトレインを組んで、ホノルルへ向かうハイウェイを走っている。
今度は裕美もペースが落ちない。軽い坂道や向かい風が吹いている場所では、さりげなく彼が背中を押してくれるからだ。
ペダルに力を入れる必要もないので、肩や全身の筋肉に負担を掛けず、風に押される様に走っていた。
これならホノルルまで行けるわ。裕美はそんな安心感から思わず笑みがこぼれた。
裕美は突然、傍で押してくれる彼に話しかけた。
「ねえねえ! 店長さんって、どんな女の子が好きなの?」
「裕美さん、どうしたんですか? そんな、いきなり?」
「それじゃあ、キャリアウーマンとカワイイ女の子のどっちが好き?」
「そんな、どっちと言われても......」
「じゃあ、細身の女の子と胸の大きい女の子だったらどっち?」
「ど、どうしたんですか? 裕美さん?」
「ううん。何でもないの、ちょっと聞いてみただけ。店長さん、わたしのことも見ててね。わたし頑張るから!」
「ええ......」
3人の前にハートブレイクヒルが見えてきた。
裕美は最後の力を振り絞ってペダルを踏み始める。美穂のアドバイス通り、背筋を伸ばして顔を上げてペダルを踏んだ。
もう力はほとんど残っていないのでスピードは出せないが、彼の前でフラフラした所を見られたくない。息を整えて、上を向いて、凛とした姿を保って走り続けた。
「裕美、エエ女やで、頑張れや」
「裕美さん、もう少しです。頑張って下さい」
美穂姉えが声をかけてくれると、不思議と力が出るし、彼が背中を押してくれるとツライ坂も楽になる。
二人の力を借りて、裕美はやっとハートブレイクヒルを登りきった。
「ヤッター ! 美穂姉え、ありがとう!」
裕美は"彼"の手を取って、今の気持ちを伝えた
「店長さん、本当にありがとう!」
***
「それっじゃあ皆さん! 100マイル完走、おめでとぉぉございます!! カンパーイ!!」
「カンパーイ!」
ガチャ、ガチャン!
ツバサの威勢の良い掛け声で、ホノルル・センチュリーライドの後夜祭が始まった。
裕美の怪我も医者に見てもらったが、特に骨等に異常はないというので、この後夜祭に参加することが出来た。
ここでも裕美はここでも抜かりなく準備をしており、"ヴィヴィアン・タム"の南国テイストのロングワンピースを着てパーティーに参加していた。
このワンピースならハワイにも合うだろうと、裕美がセレクトしたものだ。
ただ今回の怪我で肩の傷の所に大きなガーゼを張り付けている。でもこれは100マイルを完走した勲章と言えるもの。決してそれを変などと言う人はここには居ない。
テルとユタがビールを持って裕美の所へやってきた。
「裕美さーん、100マイル完走おめでとうございます。びっくりしましたよー。てっきりあそこでリタイアしたかと思ってたんですけどねー!」
「そうそう、もうダメかと思ってたんですけど。怪我は大丈夫なんですか?」
「ありがとう。テル君、ユタ君。怪我はそれ程じゃなかったの。軽い打ち身なんだって」
「そっかー、大したことなくて良かったですねー。傷なんか残ったら大変ですからね」
「ホント、ホント。俺たちも落車したけど、怪我とか大変だったもんなあ」
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ