恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「そんなこと分かっとわあ。あんたらはペースを上げ過ぎんようにな。あんたらのペースに合せたら、裕美なんかすぐ参ってしまうわ。それよりもあんたらはお客さんに声をかけて映画の宣伝をしっかりせえよ。せないと映画がコケてしまうで!」
「うわぁ、美穂さん。そんな縁起でもないこと言わないで下さいよ!」
「そうっスよ。危うく落車しそうになったじゃないですか!」
フフフッ。やっぱり美穂姉えと話すのは面白いなあ。美穂姉えと話してると、疲れもどこかへ行っちゃうわね。
「裕美も笑っているようなら大丈夫やね。でも、疲れも溜まってこれから辛くなってくるからな」
「うん、平気よ! でも気を使ってくれて、美穂姉え、ありがとね!」
幸い海風も凪いでいたことから、集団のペースも少し上がり始め、『ワルキューレ』のメンバー達はホノルル・センチュリーライドの復路を確実に走破していった。
このペースなら、時間内に十分ゴール出来る。
裕美がそう思い始めた時、その期待と裏腹に、残り40マイルの休憩ポイント、カイルア・ディストリクト・パークの近くでアクシデントは起きた。
***
ほんの一瞬だった。
アスファルトの路面が悪くなった所で集団の速度が自然と落ちた。それに合わせ自転車同士の車間距離が縮まった時、裕美の『デローサ』の前輪と前の自転車の後輪とが一瞬接触したのだ。
路面が悪いこともあり前方を走る人がハンドルから手を離せず、ハンドサインも出せない。裕美は集団が減速したことに気付くのが遅れた――。。
シュー! シャー!
タイヤとタイヤが擦れる音を聞いた時、裕美は危険を、いや"悪寒"を全身で感じた。
前走者のタイヤが邪魔で、前輪を取られハンドルを切れなかったのだ。
バランスを失うと感じた時、落車と怪我のイメージが頭を過った。
"寒気"を感じるもの、当然だ。
キャー! 転ぶ―!
裕美はバランスを崩し、道路から落ちて自身も自転車ごと転倒してしまった。
落車をしてしまったのだ。
ガツン、ガシャーン!
裕美が悲鳴を上げると同時に、自転車から鈍い音が鳴った。
「裕美! 大丈夫か?」
「裕美さん、大丈夫ですか?」
『ワルキューレ』のチーム全員がバイクから降り、ツバサと美穂が裕美の元へ駆け寄ってきた。
「ああ、美穂姉え。転んじゃった......。ごめんなさい......」
「そんなことエエから。それより痛い所はないか?」
「イタい......。肩が痛い。転んだ時に打ったみたい......」
裕美は身体を仰向けにしたものの、まだ起き上れない。
自分が落車したことを、そして右肩に痛みが走ることをやっと認識した状態だった。どうらや大きな怪我ではないようだが、初めての落車だけにショックは大きい。
「肩か、ちょっと見せてみい」
美穂は、裕美の水玉ジャージのジッパーを降ろして怪我の具合をみてみた。
「どうやら鎖骨は折れていないようやな。でもジャージ越しに擦り傷があるようやから打ち身もあるかもな」
「裕美さん、大丈夫ですか!」
"彼"がサポートカーから降りて急いで駆け寄ってきた。
「ああ、店長さん......。大丈夫です。一人で起き上がれます」
そう言って裕美は立ち上がろうした。
「イタイ!」
肩に鈍い痛みが走った。裕美は思わず声を上げてしまった。
「裕美、痛いんなら無理せん方がエエよ。それに『デローサ』も落車でタイヤがパンクしとる。残念やけど、タッキーのサポートカーもあるし、それに乗せてって貰った方がエエ!」
「ええ! そんなあ!『デローサ』まで怪我しちゃったの......」
裕美は泣きそうな声を上げた。自分のミスで彼との約束をフイにしただけでなく、大切な『デローサ』まで壊してしまったのだ。落車のショックもあり、余計に悲しく感じてしまう。
「仕方ないですね。裕美さん、ここで諦めましょう。ツバサ! 他のみんなを出発させて先に行ってくれ。裕美さんは俺と美穂さんでサポートするから」
「分かりました。裕美さん、くれぐれも無理はしないで下さいね!」
そう言って、ツバサや他の参加者達は裕美を置いて出発して行った。ホノルル・センチュリーライドは制限時間が設けられており、5時までにゴールのカピオラニ公園に着かなくては失格になってしまう。
皆100マイルの完走を目指している。一人のメンバーのトラブルで全員を巻き込む訳にはいかないのだ。
「裕美さん、傷を洗いますから、そのまま座っていて下さい」
彼がミネラルウォーターで傷口を洗った。裕美は声には出さないものの、傷が染みて痛い。
まだ出血は止まらないようで、彼が大き目のガーゼを貼ってくれた。幸いにも草むらで転んだせいか脚や腰は無事のようだ。彼はアイスボックスの氷で氷嚢を作り、裕美の肩に当てた。怪我を冷やし、出血を止めるためだ。
「裕美さん、元気を出して下さい。今回は運が悪かっただけです。落車では仕方ありません。怪我も酷くありませんから、また一緒に頑張りましょう」
彼の励ましの言葉がひどく虚しいものに聞こえる。
こんな形でセンチュリーライドが終わるとは考えてもみなかった。
裕美も少し落ち着くと、水玉ジャージと白いスカートが汚れてしまったことに気が付いた。
折角、この日の為に練習までしたのに。
ジャージだって彼に見てもらう為に頑張ったのに。
美穂姉えだって応援してくれたのに。
彼と約束したのに。100マイル走るって。
こんなんじゃ、寂しいよ......。
「店長さん、怪我は平気だから、走りに行かせてもらえないかなあ」
「裕美さん、そんな無理しないで下さい。初めてのロングライドで、ここまで来ただけでも十分ですよ」
「でも、わたしまだ何もできていないもん。店長さんとの約束もあるし、もう少しがんばってみたいの。イイでしょ?」
「そんな写真の約束なんか心配しないで下さい。怪我をしているかも知れないんです。無理は禁物ですよ」
「でもわたし、このまま終わったんじゃ全然楽しくない。後夜祭のパーティーだって、きっと楽しくないし、テル君やユタ君に慰められたって楽しくないもん。それに店長さんに慰められたら、わたし余計惨めになっちゃう」
「しかし、裕美さん......」
裕美は立ち上がって、『デローサ』の前輪を外した。
パンクを修理しなくてはこれ以上走れない。これから先を走るには自分でトラブルも対処しなくてはならないのだ。
「タッキー、裕美の好きにやらせてやってくれんか? わたしがゴールまで付き合うから大丈夫や。裕美、その代わりわたしがもうダメって言ったら本当に止めるんやで」
「ホント? ありがとう、美穂姉え。ねえ、店長さんもイイでしょ。お願い!」
「......、分かりました。裕美さんが頑張るならサポートします。その代わり本当に無理だと思ったら止めて下さい。パンク修理は僕がしますから、裕美さんは食料と水を補給していて下さい」
「ありがとう、 店長さん!」
その時、彼が少し嬉しそうな顔をしていることに裕美は気が付いた。
彼がパンクの修理を終えると、裕美はすぐに『デローサ』にまたがった。
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ