恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「後は背中を伸ばして、リラックスして走ることやな。ほら、そんなスピードを上げて無理せんでエエよ。疲れてしまうやん。前も言ったやろ。力を入れずにリラックスして自然に走る方がロングライドでは早くゴールに着けるって」
裕美は美穂の話しを聞いて、100マイルを走れると思えるようになってきた。自然と裕美の脳裏に彼の笑顔が浮ぶ。
これで彼の期待に応えることができる。
『ワルキューレ』のHPに写真を載せて目立っちゃうんだから。
「美穂姉え、わたし100マイル走る。店長さんをわたしに振り向かせてみせるから!」
「よっしゃ頑張れ。骨は拾ったるで。女の意地を見せるんや」
「アハハハ。アレー、アレー!」
***
裕美たちは現地時間の午前10時半に、100マイルの折り返し地点『スワンズィー・ビーチ・パーク』に到着した。
ホノルルを出発したのが朝の6時頃だったから、80キロを走るのにおよそ4時間半もかかったことになる。
このペースは裕美のような初心者に合わせているので、ツバサに言わせると遅めのペースらしいが、それでも80キロという距離は裕美の最長走行記録だ。幸いにも身体の痛みはないが、裕美も脚だけでなく、肩や腰など全身の疲れと身体が重く緩慢になっていることをハッキリと感じていた。
ところが不思議なことに、これ程疲れながらも裕美のテンションはハイになり、妙にノリノリの状態だった。
「みんなー、お待たせー! やっと皆に追い付いたわ!」
裕美は先に折り返し地点に着いていたテルとユタに声をかけた。
「裕美さん、元気ですねー。これなら余裕でホノルルまで帰れるんじゃないですか?」
「そうね、頑張るわ! でも、ちょっと疲れてきちゃったかな?」
「それにしては、ご機嫌も良さそうですねえ。疲れてるようには見えませんよ」
「だってー、こんなキレイな海を走れるんだもん。サイコーに気持ちイイじゃない!」
そう言って裕美はスワンズィー・ビーチを見ていた。コバルト・ブルーの海と水平線が裕美に解放感を与える。ハワイの乾いた風が汗を吹き飛ばし、爽やかな気分にさせてくれる。
こんなステキな所を走れば、どんな疲れも吹き飛んでしまうのも当然よ!
実際に他の参加者達も、「疲れたー」、「キツイ、もうダメー」とネガティブな言葉を口にしながらも、皆満面の笑みを浮かべて、"不満"や"文句"を言い合っているのだ。
実に不思議な光景だ。きっと皆"スイッチ"が入ってしまっているのだろう。
「ハイ、ちょうど裕美さんの好きなアップルパイがありますよ。ドンドン食べて下さいね」
「うわー、ありがとう。いっぱい食べちゃうわね!」
そんなスイーツでテンションが上がる裕美に、突然彼が後ろから声をかけてきた。
「裕美さん、元気みたいですね?」
キャー! また"彼"が来たの? どうしていつもわたしが食べている時に、彼ってば声をかけてくるのよー!?
裕美はアップルパイを急いで飲み込みつつも、あくまで平静を装い笑顔を作って振り向いた。
「店長さん! わたしここまで来ましたからね!」
「スゴイじゃないですか! 初めてのロングライドで、ここまで来れる人は中々いませんよ。身体で痛い所はありませんか?」
「ええ、大丈夫です。みんなも応援してくれたから、わたし頑張れます!」
裕美がまだヤル気のある見せると、彼が子供の様に嬉しがっていることが見て取れた。
本当にもう! 店長さん、そんな自転車のことはかりだと、女の子は怒っちゃうわよ!
「それじゃ裕美さんの写真を取らせて下さい。ハワイの記念ですからね。『デローサ』を持って、海をバックにしてね。いい写真が撮れますよ!」
それじゃあと、裕美は『デローサ』を片手に持ち脚を伸ばし、つま先を広げ、体をカメラに少し斜めに向けるモデル顔負けのポージングをさりげなく決めていた。
裕美の会社にはモデルも多くいるので、ポージングについて本物のモデルから教えて貰っていたのだ。
これには彼だけでなく、アイドルのテルとユタも驚いた。つい彼もシャッターを押すのを忘れて裕美に魅入ってしまったようだ。
「うわー、裕美さん、決まってますよ」
「んもう! 店長さん。恥ずかしいから早く写真を撮ってよ!」」
「ああ、すいません。ちゃんと撮りますから」
パシャ、パシャ。
あら、彼も結構喜んでくれてるみたい。
ここはもう少し頑張っちゃおうかなあ。せっかく彼がわたしを見て喜んでくれるんだし。
裕美も彼の反応を見てその気になってきた。
裕美はカメラに視線を向けつつも、少し後ろを向き背中越しに指先で白いプリーツのスカートを摘んで上げて見た。
ヒップが見える程度スカートを捲り上げた。
もちろんスカートの下には自転車用のレーパンを履いている。
しかし裕美のヒップラインもクッキリと分かるし、メガネをかけたキャリア・ウーマンの裕美が男を誘う様な仕草をするとは、流石に彼らの度肝を抜いた。
パシャ!
"彼"は咄嗟にシャッターを押したが、息を飲み、半ば呆然としていた。
「裕美さん、カッコいい。ヤバイ、ヤバイっすよー」
「"Mercy beaucoup"(メルシー・ボークー)、テル君、ユタ君!」
テルやユタを軽くあしらいつつ、裕美は彼に声をかけた。
「店長さん、わたし、絶対100マイル走るから応援してね!」
「ハっ、ハイ......」
彼はまだ呆気に取られた様子だった。
***
食事を済ませ、裕美達『ワルキューレ』のチームはスワンズィー・ビーチ・パークを出発した。
100マイルを走るには無理をせず一定のペースで淡々と走るだけなので、皆思い思いに気の合う人と話をして時間を潰すのだが、少しテルとユタの態度が変わったような気がする。
今までは二人とも裕美のことを"お姉さん"の様に扱っていた。だがさっきの挑発的な仕草を見てからは、まるでフェロモンに誘われた蝶の様に裕美の周りに群れてくる。
もちろん裕美だって悪い気はしない。女王蜂ってこんな気分なのかしらと思う程だった。
相も変わらず裕美をからかうのはツバサだ。
「裕美さーん。店長に写真撮ってもらいましたか?」とニヤニヤしながら話かけてくる。
もう! さっきの姿をツバサ君にも見せてあげれば良かった!
プッ、プー!
突然、後ろから車の軽いクラクションが鳴った。"彼"の乗るサポートカーが集団を追い駆けて来たのだ。この折り返し地点の付近の道路は交通量も少ないので、サポートカーも併走できる。
「あー、店長さん! こっち、こっちー!」
裕美は手を振って彼にアピールした。
「裕美さーん、頑張ってくださーい」
彼はわざわざ車を裕美の側まで寄せ、ウィンドウ越しに視線を合せて返事をしてくれた。
彼がわたしを見てくれてウレしい! さっきのポーズが効いたのかしら?
彼のさりげない一言でも不思議と元気が出てくる。
「裕美ぃ、テル、ユタ! 調子はどうや?」
美穂が後ろに下がり声をかけてきた。
「美穂さん、俺達は大丈夫っすよ」
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ