恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
「一応ね。フランス系の会社だけど、英語も使うしね」
「それじゃあ、明日買い物に付き合って貰えないですか? スッゲー行きたい所があるんですよ。でも日本語が通じなさそうなんで、ちょっと不安だったんです」
「そうそう! 俺たち、ハワイのロードバイクショップに行きたいんですよ。日本じゃ手に入らないジャージとかもあるし、パーツも安く買えそうだもんな」
「オレ、ロックレーシングのジャージが欲しい!」
「オレは"LIVE STRONG"のジャージ欲しいなあ。ランスがこの間ツールで着ていたやつ!」
「イイわよー! 付き合ってあげる。その代わり、夜のディナーの時はちゃんとわたしをエスコートしてね」
「もちろんですよ。俺らも明日は一日中フリーだし、旨いもん食べましょう!」
「よっし、 テル! 俺、カーボンホイールも買おうかな」
「ディープリム・ホイール欲しいよな。日本で売ってないモデルもあるし」
テルとユタはロードバイクのパーツについて云々と話しているが、裕美は二人が何を言っているのかサッパリ分からなかった。
女の子とは違うわよね。わたしだったら、まずコーチの新作のバックを買って、それからネイル・サロンでちょっとトロピカルなネイルにして、なんて考えるんだけど。
でも男の子って本当に車や自転車なんかの機械モノが好きなんだなあと、今更ながらも感心する。
そんな自分の好きなものに夢中になっている男の子もカワイイわよね。こんな可愛いギャルソンを連れて食事へ行くのも素敵だわ。
裕美がそんな妄想をしたり、テルやユタと話をしている合間に、どれくらい走っていたのだろうか?
辺りの景色が変わり、延びる道路の先に、登り坂とそれに続く小高い丘が見えてきた。
ハワイ・センチュリーライド、文字通りの最初の"山場"、『ハートブレイクヒル』と呼ばれる山だ。日本語でそのまま『心臓破りの丘』と言う意味である。
「ハーイ! 皆さん、ハートブレイクヒルやからねえ。ギアをしっかり落として、無理をしないで登って下さーい。ギアを落とさんと、心臓よりもヒザが折れてしまうよぉ」
アハハッハ......。
美穂がアドバイスをすると、参加者達の笑い声が木霊の様に返ってきた。
「ほら、裕美もフロントのギアを落とすんやで。裕美の『デローサ』はフロントがトリプルギアやから大丈夫や。スピードは気にしなくてエエから、無理しないで登るんやで」
「平気よ、美穂姉え。この前みんなが登っていた山と比べたら、全然小さいじゃない! あれ位なら、わたしだって登れるわよ」
「オッ、言うやないか! その意気や。それなら登るコツを教えたる。エエか、サドルの前に座って、上体を起こしてやるんや。山のてっぺんを見ながら走るんやで。下を見たらアカンよ!」
「分かったわ。見てて、美穂姉え。わたしだって登れるんだから!」
美穂もそんな裕美の強がったセリフを不快に思うことはなかった。むしろ裕美のヤル気を嬉しく思ったくらいだ。
気の弱い女の子は、足が地面に付かないロードバイクに乗ることを怖がることが多い。文字通り"腰が引けた"状態になって、フラフラと真っ直ぐに走れないのだ。
しかし裕美は細い華奢な身体ながらも、ロードバイクに乗ることを怖がりもせず、背中を伸ばしたキレイな姿勢でペダルを踏んで行く。
そんな裕美のフォームはプロから見ても悪いものではなかったし、実際にセンチュリーライドを十分に走ってくれる予感を感じさせるものだった。
「ウォー、オレもう我慢できねー!」
「オレも! 一気に登っちまおうぜ!」
テルとユタはそう言うと、サドルから腰を上げて一気にスピードを上げハートブレイク・ヒルに登り始めた。
若い二人はスピードを出すことを控えていたが、坂を見て我慢出来なくなった様だ。
「コラー、テル、ユタ! 人が無理をするなって言ってるのに、行く奴がおるかー!」
「ゴメーン、美穂さん! 映画の宣伝だから許してー!」
「そうそう。坂での勝負が映画のクライマックスだからさー!」
「何ゆうとんのや! 後でシバいたるからなあー!」
そんな美穂たちの言い合いを見て、他のツアーの参加者たちもドワっと笑い出した。
裕美もさり気なく笑いつつも、テルとユタの男の子らしい元気な姿を見て、つい嬉しく感じてしまった。
「皆さーん! あんな二人のマネはしないで、ゆっくり走って下さいねー!」
気を取り直して美穂が指示を出すと、皆がクスクスと笑いながらギアを落とし始める。さすがの美穂も立つ瀬がない様子だ。
ガチャ、カチャ!シャシャー!
ロードバイクの変速は、まずハンドルにあるレバーを操作することから始まる。その動作によりレバーに接続されたワイヤーの張力が変化し、ディレイラーと呼ばれる変速機をシフトさせるのだ。そして最後にそのディレイラーによりチェーンがギアに沿って移動し変速が完了する。
ガチ! ガチャン! シャシャー!
このチェーンが移動する時に発する軽い衝撃が、自転車のホイールやフレームに共鳴し、この変速音を発生させている。
裕美も美穂の指示通りフロントのギアを『インナー』と呼ばれる一番軽いギアに落とした。
カチ!ガチャン!シュー!
ペダルが一気に軽くなった。『デローサ』のシフトチェンジが完了した証拠だ。
坂に入り絶対的なスピードは落ちるが、ギアを軽くしたので決してペダルは重くならない。
裕美は、美穂のアドバイス通り背筋を伸ばし坂の上を見ながら走ると、『デローサ』はハートブレイク・ヒルの坂道をスルスルと進んで行く。
「美穂姉え、見てー! ちゃんと登っているわよー!」
「ええ具合やん。その調子や。無理にペダルを踏む必要はないからな!」
裕美はハートブレイク・ヒルを快調に登り続けた。
ペダルもそれ程重くはなく、グイグイ力を入れて踏んでいる訳ではない。裕美は、坂は本当は簡単なものなのかと一瞬錯覚をした。だが周りを見ると男性も含め多くの人達が自転車を降りて坂を登っている。
ウソー!? わたしって実はスゴイのかしら?
よーし! だったら、わたしも思いっきり走ってみよう!
裕美はテルやユタのように、サドルから立ち上がりダンシングを始めた。
ペダルに体重を掛けて、クンッ、クンッとリズミカルに登っていく。
燕の様に飛んでいく美穂には遠く及ばないものの、自分も彼女の様に坂を登れることが嬉しかった。
それを見て驚いたのは美穂だ。
裕美が着ている水玉ジャージは彼女のボディラインにピッタリとフィットしているので、裕美の身体の筋肉の動きが見て取れる。細身の身体ながらも背筋が伸びて、脚や手が連動している様はとても初心者とは思えないものだったからだ。
裕美は息も切らせずハートブレイクヒルを登りきった。
「ハア、ハア、ハア......。ヤッター! わたしちゃんと登ったわよ」
「オー、裕美さん、やるじゃないすか!」
頂上で待っていてくれたテルやユタが、ちょっと驚いた様子で誉めてくれた。
「ハア、ハア、ハア。流石、テルくんやユタくんには敵わないわね。二人とも凄い速いんだもん。驚いちゃった」
「イヤー、それ程じゃないけど。まあこれくらい登れなくちゃ、映画も特撮で撮ったって思われちゃうもんな!」
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ