恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
でもロードバイクの違いなんてわたしには全然分からないし。出来るだけ綺麗なデザインのバイクが欲しいわよねえ。
そんな風に考えて、裕美は店内に並ぶロードバイクのカラーやデザインを細かくチェックしながら、店内をグルグル回った。
その時、裕美の眼に信じられない数字が飛び込んできた。
"1,200,000円"
えっ? えっー? 120万円?
「信じられない! この自転車そんなに高いの?」
「ええっと、裕美さん、そんなに驚かないで下さい。これはプロの選手も使う特別な自転車ですから。でもプロと同じマシンに乗れることが、僕達にとっては一種の憧れなんです。だからこの様な高級バイクも売っているんですよ。あっ、でもそんな高いバイクばかりじゃないので、裕美さんは気にしないで下さい」
「あのお......、店長さん? 転んだ時に店長さんが乗っていた自転車はあんなに高い自転車じゃないですよね......?」
裕美は微妙に視線をズラしながら、恐る恐る彼に聞かざるを得なかった。
「ハハハ、そんなに心配しないで下さい。大丈夫ですよ。通勤用の安いロードバイクでしたし、どこか壊れた訳じゃありませんから」
「よかったあぁ。120万円もしたら、今日持ってきたクッキーなんかじゃ許して貰えない! でもどうしてこの自転車はこんなに高いの? 他のとロードバイクと違うように見えないけど?」
「それはですねぇ。ちょっとこのバイクを持ってみて貰えますか?」
裕美は彼の言われるまま、その120万円のロードバイクを持ってみて......。
驚いた!
「ええ! これ何? 全然軽い! わたしでも片手? ううん、指一本で持てちゃう。すごい!これが"ツール"の自転車なんだ!」
「そうなんです。実際にこれと同じロードバイクが『ツール・ド・フランス』でも使われているんです。指一本で持てる程軽いんですよ!」
実際、裕美は右手の人差指で、ロードバイクを持ち上げながら話を聞いていた。バックを持ちながら世間話をしている程度にしか感じられない。
「これは"TIME"『タイム』というフランスのメーカーの自転車で、車重がたったの6.5キロしかないんです。いわゆるママチャリの3分の1程度しかありません。このバイクの素材は航空機で使われている最先端のカーボン素材で作られていて、鉄やアルミよりも断然軽いんですよ」
「でも、店長さん。そんな高いバイク、わたしじゃとても買えないわ!」
「これはあくまで世界のトッププロが使うものですから、裕美さんがそんな無理はする必要はありませんよ。気楽に気に入ったものを選んで下さい」
しかし彼がそう言ってくれるものの、中々裕美のお眼鏡にかなうバイクは見付からない。殆どが黒を基調としたデザインで、裕美好みの鮮やかさ、華やかさ、艶やかさを感じられるバイクがない。赤や青のバイクもあるが、車で言えばF1マシンか"走り屋"系のデザインばかりが目に付く。
『ロワ・ヴィトン』のバックを持ち、ダナ・キャランのスカートを履く裕美に、こんなものが選べる訳がない!
そんな中、1台だけ裕美の目を釘付けにしたロードバイクがあった。
「ああっ!店長さん、あれがイイ! あの赤と白の自転車が良いわ!」
裕美は赤と白の華やかなデザインに目を奪われた。他の自転車にはない白を基調としたカラーリングが鮮やかに赤を引き立てている。ロゴのハートマークも、このロードバイクに華を与えている。不思議なことに、裕美の嫌いな黒も、むしろ赤と白を際立たせていて不快な印象はなかった。
ルージュ "赤"
ブラン "白"
ノワール "黒"
裕美は薔薇の息吹を頬に受けたような感触を覚えた。決して強い香りではない。控えめな香りだが、薔薇が花であることを慎ましやかに感じさせてくれる薔薇独特の香りだ。そんな凛としつつも爽やかな薔薇の香りを鼻腔に感じたのだった。
好きな人にそとお耳元で囁かれるのも、きっとこんな感覚なのかも知れない。
「これは『デローサ』というイタリア製のロードバイクです。赤と白で全てのパーツをコーディネートしているので女性に人気があるんですよ。
『ロッソ・ビアンコ』、
イタリア語で赤と白という名前のロードバイクなんです」
そう言って彼は『デローサ』のロードバイクをディスプレイから降ろし、裕美に見せてくれた。
「わあ、ハートマークが可愛い! 白い色が綺麗。店長さん、わたしこれがイイな......」
と、裕美が言った瞬間、このロードバイクの値段が飛び込んできた。
"298,000円"
30万円!? たかが自転車なのに!?
ロワ・ヴィトンのバックより高いじゃない!
......
裕美が値札を見て固まっていることを察した彼はすがさずフォローをした。女性が自転車にこの金額を出すことは難しいことは百も承知のようだ。
「ええっと、裕美さん。初心者向けのロードバイクでしたら、20万円位のものもありますから......。クロスバイクでしたら10万円でも十分なものが手に入りますし。初めてスポーツタイプの自転車に乗るなら、むしろそちらの方がいいかも知れませんよ」
「でもわたしロードバイクが欲しいの......」
裕美としては、ツール・ド・フランスと同じ自転車と同じ自転車が欲しい。それに美穂の様にと、彼女に憧れロードバイクを乗りたいと思ったのだ。今更クロスバイクは選べない。しかし30万円を出すには勇気がいる。そんな裕美の悩む姿に追い討ちをかけるように彼は言った。
「あの、裕美さん、ちょっと言い難いんですが......。ロードバイクに乗るにはヘルメットや専用のウェアも必要になりますので、少なくともあと5万円は必要になるんです......」
35万円!? 貯金はあるけど、欲しいスーツもバッグもあるのに! どうしよう?
「裕美さん、やっぱりクロスバイクの方が......」
でもツール・ド・フランスと同じ自転車じゃなきゃイヤ!
美穂姉えみたいなロードバイクが欲しい!
そして彼と一緒に! 彼と一緒に!
"故郷フランスの思い出"。
"憧れ"。
そして、"恋"。
これ程の"想い"があって、どうして躊躇ことがあろう?
「店長さん、どうしてもロードバイクが欲しいの。この『デローサ』にするわ!」
***
ロードバイクショップ『ワルキューレ』の前に、裕美の愛車ルノー『ルーテシア』が停まった。裕美が先週に注文した『デローサ』が納車されたので、裕美は早速受け取りに来たのだ。裕美のお気に入りのワルキューレの店長にも会えて話もできるのだから、こんな機会を逃す手はない。
裕美は『彼』と『デローサ』に会うことを待ち切れず、土曜日の開店直後の時間にやって来た。
「店長さん、おはようございます。『デローサ』が出来たんですね?」
「おはようございます、裕美さん。ちゃんと組み上げておきましたよ。こちらに置いてあります」
「わー、キレイ!カワイイ!」
裕美は店に飾られている自分のロードバイク『デローサ』を見て思わず声を上げてしまった。
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ