恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
その時裕美はトンネルの前の石碑を見て言葉を無くした!
"標高一五〇〇米"
「ええ? 1500メートル!? 本当に皆こんな所まで登って来れるの?」
プロレーサーである美穂は問題ないとしても、タカシやオサムは平気なのだろうか? 途中で走れなくなってしまう人もいるのではないか?
彼らが坂道で苦しそうな表情を浮かべていた姿を思い浮かべると、不安が裕美の胸を過る。
裕美は車から降り、峠から山の麓を見降ろした。
眼下の建物や川がとても小さく、今まで登ってきた山々も遥か遠くに見える。いつものドライブなら最高の景色となるはずだが、こんな雄大な自然が逆に裕美の不安を増幅させてしまうのだった。
「みんな大丈夫かしら......」
だが暫くすると眼下の峠道で何か動くものが見えた。明らかに車とは違う。
ロードバイクだ!
そのロードバイクが山を登り、こちらに近付くに連れ、"ワルキューレ"のジャージを着た人達だと分かった。皆が確かにこの山を登って来ているのだ。
本当にこんな坂を登っている!
「みんなー! 頑張ってー! もう少しよー!」
最初にやって来たのは、やはり美穂だった。
「スゴイ、スゴイ! 美穂姉え!」
「オッ! 応援、ありがとなー」
美穂は軽く返事を返すと、スッと立ち上がりダンシングでスピードを上げた。最後のラストスパートだ!
「美穂姉え、行けー! アレ、アレー!」
Allez, Allez, Allez!
〈"Allez"「アレ」。フランス語でGo、Go!という意味〉
裕美もつい楽しくなって、応援する声にも自然と力が入る。ついフランス語で声を掛けてしまうほどノッテいた。
美穂は坂を登り切り、バイクを止めてヘルメットを脱いだ。美穂の長い髪が山の風でサラサラと流れる。こんな坂なのに、全く疲れているように見えない。
さすがチャンピオンね、と裕美は関心せざるを得なかった。
「お疲れ様、美穂姉え」
「イヤー、流石に、疲れたわー。一度後ろに戻って、随分タイムロスしたからな。挽回するのに苦労したでえ。もうすぐ他の連中も来るから、もうちょっと待っててな」
程なくして、他のメンバーもやって来たが、さすがに美穂と違って苦しそうだ。
「もう少しやでー。女の子の前や、格好エエとこ見せてやー!」
「頑張って下さーい! もう少しですー!」
皆峠を登り切り、「裕美ちゃん、ありがとう!」とお礼を返してくれる。
でも遅れてくる人程呼吸も苦しい様で、ずっと下を向いたままの人もいた。
裕美が「大丈夫ですか?」と声をかけても、やはり下を向いたまま一言二言声を出すのが精一杯の人も少なくなかった。
皆苦しそう......。
尚更みんなに声を掛けてあげなくちゃ!
「皆さん、頑張って下さい! 頑張ってー!」
裕美だけでなく美穂や他のメンバーも、新たに峠を登って来るメンバーに「頑張れー!」と声をかける。真剣に応援する人もいれば、美穂の様に「ベンガ!ベンガ!」(『ベンガ』とはスペイン語で「行け」、「頑張れ」という意味)と笑いながら、和気あいあいと応援する人もいる。
中には遅れて来ても全く悪びれず、腕を高々と上げて"ガッツポーズ"を決めてゴールする人もいる。そんな人には皆笑いながらも、遠慮なく罵声を浴びせたりする。
こんな苦しみながらも、なぜか皆楽しくて仕方ない様子だ。
最後に来たオサムは、「パンクしちゃってさあ」と見え透いた嘘を付くので、皆から叩かれてたりしたものの、これもご愛敬というものだ。
ああ、ロードレースってこうゆうことだったんだ......。
裕美はパリのシャンゼリゼの風景を思い出した。
裕美もフランスに居た時に一度だけツール・ド・フランスを見に行ったことがある。ただロードレースに興味のなかった裕美はシャンゼリゼの通りすがりに、自転車の集団が通るのを1、2度見ただけだ。むしろ裕美はロードレースそのものよりも、これ程沢山の人が集まり、そして熱狂し選手を応援している姿が印象的だったことを覚えている。
国境を越えレースを見に来た人達。
ワインを片手に大声で応援する人。
レースを楽しそうに眺める子供達。
当時はこの観客達が、なぜこれ程熱くなっているのか全く分からなかった。
でも今は違う。
フランスの暑い夏の記憶が蘇り始めた。
「美穂姉え、こんな坂を登るのに、皆楽しそうね......」
「そうやなあ、やっぱり坂を登ることは楽しいからなあ。しんどいけど、これは止められんわ!」
「裕美ちゃん。やっぱり、山を登りきった人はカッコイイんだよ。どんなに遅くたって、峠を登り切った人を悪く言う人はいないしね」
「そうそう。ロードレーサーは自意識過剰な人が多いからさあ、M(エム)じゃなくて、N(エヌ)が多いよな」
「何よそれ? S(エス)とM(エム)なら分かるけど、N(エヌ)って何よ?」
「N(エヌ)はナルシストのことだよ。裕美ちゃん、どう? 見てよ! 俺たちも結構イケてるでしょ?」
「ほら、脚だって細くて、体型だってスマートだし。見て見て!」
一人のメンバーが、パッツン、パッツンの自転車用のパンツを見せてきた。
「エー!? そんな恥ずかしい水着みたいなパンツを見せないで!」
「"レーザーレーサー"みたいで、カッコいいでしょ!この脚の筋肉を見てよー!」
「キャー、止めて! もう、セクハラ!」
そんな風に言い返しながらも、裕美は悪い気はしなかった。軽くてセクハラばかりで困った人達ばかりだけど、今日の彼らの姿を見て、そんなに悪くないかもね、と思い始めていたからだ。
勿論、自分の身が危険になるので、褒めてあげることは絶対に出来ないけど。
***
「それじゃあ、今日の練習も無事終わったということで、カンパーイ!」
「カンパーイ!カンパーイ!」
カチャン、カチャンとビールジョッキが一斉に鳴りだした。
皆、練習とお風呂で相当に汗をかいたので、スゴイ勢いでビールを飲むし、沢山運動をした後なので、お肉をガツガツと一気に食べていく。
信じられない食欲!
子供の様に我先にとお肉や魚を取り合う姿を見て、目が点になってしまった。
「腹減ったー。ビール、旨ーい!」
「肉、ウマーイ!」
「コラー! 俺の焼いてた肉を盗るなよ」
「パスタも頂戴―! ゴハンもねー!」
「マスター、早くワインも出してよー! 俺、赤ね!」
肉や魚のメインディッシュだけでなく、テーブルに山と積まれたパスタやご飯までもがアッと言う間に無くなっていく。まるで食べ盛りの小学生や中学生が料理を取り合っている様だ。勿論彼らの食欲は小学生や中学生を遥かに上回ることは間違いない。
それだけではない。彼らの食べる量に比例して、ワインやビールを飲むスピードもどんどんと速くなってゆく。
お互いに酒を注ぐ様な大人の社交辞令も一切無い。皆自分でガンガンとグラスにワインを注ぎ、そして飲み干していくのだ。学生時代の無茶なアルコールの飲み方も、彼らに比べたら本当に"子供"のカワイイ飲み方でしかなかった。
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ