恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス
オサムは下を向いたまま、苦しそうに息を吸っている。せいぜい2〜3分程度の時間だったが、既に限界ギリギリのペースで走っていたのだ。ダンシングを長時間続けることなど出来ない。オサムのゼイゼイと苦しそうに呼吸をする姿を見て、裕美も彼なりに必死だったことが分かった。
「オサムさん、頑張ったじゃない! ちょっと素敵だったわよ!」
「ハア、ハア......。苦しひぃぃ......。でも、裕美ちゃん、褒めてくれてありがとう」
「うん、ちょっと見直したわよ。オサムさん」
「オサム、ようやったで! まあちょっとペースダウンして、呼吸を整えてな」
「ウィっす、美穂さん。ハア、フウ、ハア・・・・・」。
しかしオサムが呼吸を整えている間、スピードは格段に落ちた。もはや"止まらない"程度の速度でしか走っていないからだ。要するにフラフラの状態。足を付いて休むことをしないオサムを褒めてあげたいくらいだ。
プワッ、プワッ!
その時、後方からクラクションが鳴った。オサムに付き添って走る裕美のルーテシアが他の車の邪魔になったのだ。裕美はハザードランプを点灯させ、左側にルーテシアを寄せた。
マナーも宜しく、後ろの車が静かに追い抜いて行ったことに裕美は感謝した。
しかし、これでは他の車の邪魔になってしまう。県境に近い山道では車の往来は少ないものの、流石にこのスピードでは走っては道路を塞いでしまい、他のドライバーからは迷惑なことこの上無い。
「裕美―! アンタ先に行ってエエよ。他の車の邪魔になるやろう?」
「分かったわ! オサムさん! わたし先に行くけど大丈夫よね?」
「裕美ちゃん、先に行って良いから! ちょっと遅れるけど、走れない訳じゃないし。ダメだったら携帯に電話するから、心配しなくて良いよ!」
「裕美、オサムの心配は要らんよ。坂はちょっと遅いけど、この程度の山でギブアップする程ヘタレやあらへん」
「美穂さんも、先に行って下さいー! 美穂さんが隣りに居ると休ませて貰えないし!」
「ハハハ、まあ今日は裕美も居るし勘弁してあげるわ。普段ならそんな泣き言は許さへんけどな。
裕美行くよ! 付いて来いや!」
えっ? 美穂姉え、今「付いて来い」って言ったの?
自転車が車に向かって付いて来いって一体どういうこと?
裕美は美穂の言葉を理解できず、ついアクセルを緩めてしまいルーテシアのスピードが落ちた。
その瞬間、美穂はサドルから立ち上がり、ダンシングで坂を一気に駆け登った!
美穂は一瞬で裕美とその愛車を置き去りにしたのだ。そのスピードは車と全く同じと言って間違いない。時速40キロ近く出ている。
美穂が地球の重力の逆らい、まるで飛ぶように坂を駆け上がって行くのだ。裕美は撮影に失敗した特撮映画を見せられているのかと錯覚した。常識では有り得ないその光景を見ては、現実とは違うのではないかと思った程だ。
美穂の姿を鳥に喩えるとしても、唯の野鳥がゆっくりと羽ばたく姿とは明らかに異なる。それは燕が風に乗り、地上スレスレを滑空しながら飛んでいる様だった。さっき見たオサムとは次元が違う。別の生き物の様に見えた。
美穂は細身だがその長身の身体を踊るように左右に揺らしている。そしてロードバイクを勢いよく左右に振りながら、ペダルを踏んで坂を登って行くのだ。
裕美は完全に魅せられ、アクセルを踏む事を忘れてしまっていた。車のスピードが落ちて、美穂が完全に先行してしまったのだ。美穂がコーナーを抜け彼女を見失うと、やっと魔法が解けたのか、裕美は目の前で起きた現実を理解したのだった。
いけない! 美穂姉えを追い駆けなきゃ!
裕美がアクセルを踏み直して、坂を登って行くと美穂がいた。今も尚ダンシングで凄い勢い走っている。裕美がスピードを更に上げて、美穂の隣りに近づいた。
「美穂姉え!」
すると美穂はダンシングを止めてサドルに腰を降ろし、裕美と歩調を合わせて返事をした。
「裕美、ちょっとサービスや。面白かったやろ?」
「信じられない! ちょっと怖いくらいだったわ!」
「まあちょっとの間だけの走りや。幾らわたしでもずっとあのペースでは走れんからなあ」
「でも車より速かったのよ! わたしこんなの見たこともなかったわ!」
「ハハハ、まあ喜んで貰えてこっちも嬉しいわ。また本気で走るから、並走は止めて私から離れて走ってな!」
「分かったわ、美穂姉え!」
すると美穂はまた少しペースを上げた。今度はサドルに座ったままで、先程の様な勢いはないが、時速30キロは出ている。しかもそのスピードをしっかりと維持しているのだ。もちろん坂が急になればそのスピードも落ちる。ただしその時は裕美もアクセルを吹かしてやる必用があるので、決してペースを落としている訳でないことが分かる。
美穂はワルキューレのメンバー達を次々と追い抜き、走り去って行く。そして追い抜く時に、美穂がお説教をカマしながら抜き去って行くのだ。恐らく何かキツイ事を言われているのだろう。美穂と離れているので何を言っているかは聞こえないが、抜かれた男の人達は血相を変えて美穂を追い駆けようとするのだ。
きっと抜かれたら、お尻を叩かれるとか、厳しい練習が待っているとか言われているに違いない。そんな事を想像しながら、つい裕美もクスクスと笑ってしまうのだった。
裕美達も峠をかなり登り、その山の様相が変わっている事に気が付いた。
道路も徐々に狭くなり、カーブを抜けるにも対向車に気を付けなくてはならない。それに坂の傾斜もキツくなり、流石の美穂でも時速20キロ辺りまでスピードが落ちてきている。ロードバイクの側を並走することもちょっと難しくなってきたのだ。
そんな頃合いを見計らってか、美穂が後ろに下がり声を掛けてきた。
「裕美ー! 無理に私達と一緒に走らんでエエから。先に頂上で待っててくれんか?」
「そうね。ちょっと一緒に走るのは危なくなってきたし、先に行って待ってるわ!
美穂姉え! 皆も頑張ってねー!」
「裕美ちゃーん、ありがとう!」
「すぐ追い付くから待っててねー!」
美穂と他のメンバー達から声を掛けられると、裕美も軽くクラクションを鳴らしながら手を振った。
***
裕美はアクセルを吹かしスピードを上げた。これからは山のコーナーが続く。絶好のドライブコースだ。裕美は山の涼しい空気を感じながら、流れる景色を眺めている。フレンチポップスを聴きながら、愛車"ルーテシア"と戯れる時間は裕美を最高の気分にしてくれた。
うーん、天気も良いし、最高のドライブ日よりだわ!
ところがそんな楽しいドライブも長く続かなかった。山に深くなるに連れて、次第に急坂が増えカーブもキツくなり始めたのだ。ハンドルも世話しなく回さなくていけなくなるし、スピードも出せなくなってくる。九十九折の山道では対向車に気を使う必要もあるので、無暗にギアを落としてアクセルを踏む訳には行かない。
実にストレスが溜まる。裕美は不満タラタラで、暫く坂を登り続けた。
裕美のお気に入りのアルバムがちょうど終わりかけた頃、トンネルの前に辿り付いた。道路標識には『山伏峠』と書いてある。どうやらここが目的地のようだ。
作品名:恋するワルキューレ ~ロードバイクレディのラブロマンス 作家名:ツクイ